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NHKドラマ『花子とアン』の方言について
- NHKの連続ドラマ『花子とアン』で使われている方言について詳細をお尋ねします。
- 『花子とアン』で登場する「・・・するだ」、「・・・しただ」、「・・・ずら」という方言は山梨県(甲府近辺)の方言なのか、それとも劇作家木下順二の創作なのか、確認したいです。
- 子供の頃、東京近郊の田舎を舞台にしたドラマでは「・・・するだ」、「・・・しただ」、「・・・ずら」という方言をよく耳にしましたが、最近ではほとんど聞かなくなりました。木下順二が創作した方言なのか、実在する方言なのかを知りたいです。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者の真意を取り違えていたのかも知れません。木下順二の「夕鶴」は録画で舞台を見たこともあります。また、教科書に採録されていて、それで読んだこともあります。どこの地方の方言とも言えない、しかし、もっとも方言らしい方言が用いられていました。このことは作者自身も話し、かなり有名なことでした。 もとは、柳田国男の「佐渡の民話」の中の「鶴女房」を脚本にした物ですから、もし佐渡弁だけで書かれたら、上演回数1037回というような記録は作れなかったでしょう。そこには多くの人にも解る方言が必要だったのです。 同じことは、この「花子とアン」にも言えると思います。「赤毛のアン」の翻訳者である村岡花子の孫に当たる人が書いた記録を脚本にするとき、純粋な甲州弁(この訳本が出たのは終戦より10年後の1955頃)であったら、その前後の時代の地方の言葉は、現在の人に理解しにくい点が多くあったと思います。そのことを考慮して、脚本家は適当に方言を交えながら、しかし多くの人に理解可能な言葉を話させていると思います。 「ずら」という言葉は、わたしも分からず、「きゃあるが鳴くんであまずらよ」という民謡を聞いて「蛙」に「雨面(あまづら)」があるのか、と受け取りました。(笑い)
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- kine-ore
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いわゆる「ナ・ヤ・シ」方言と呼ばれています。 長野・山梨・静岡の三県は多くの言語事象が共通しています。 1)推量の「ズラ」や「ツラ」 ゆくずら(行くだろう)。いっつら(行っただろう)。 2)意志・勧誘の「ズ」 いかず(行こうず=行こう)。 3)命令形に接続する丁寧の意の「ヨ」と「ロ」 いかずよ(行きましょう)。みろ/みろし(見なさい)。 4)断定の意を表す「だ」と「じゃ」 いかなんだ(行かなかった)。 5)「じゃん」言葉 江戸初期の山梨から、大正期の長野・静岡へ、昭和初期に愛知県に、戦後には横浜を経て東京へと、いわば東海道沿線方言のように「それ、いいじゃん」は拡大しています。 参考:平山輝男編「全国方言辞典1」角川書店 なお、木下順二については次の研究はいかがでしょう。 千田 洋幸「他者のいない言葉 : 木下順二「夕鶴」論」 http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/13444/1/03878929_52_17.pdf 「「方言」、アンゲロプロス、アイヌ」 http://ameblo.jp/stone2/entry-10642589655.html
お礼
お礼遅れましたことお詫び致します。 ありがとうございました。 長野・山梨・静岡の三県に共通する方言を「ナ・ヤ・シ」方言と言うんですね。 たびたびラジオやテレビで聞いてきた「ズラ」が推量とは、恥ずかしながら知りませんでした。 引用資料ありがとうございました。 沖縄の「方言札」、興味深く拝見しました。 この様な愚かな発想をしそうなアナクロ政治家が跋扈する現状を憂います。
- OKAT
- ベストアンサー率38% (247/639)
既に「甲州弁」という回答が出ていますが、このドラマは「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の半生記です。彼女は山梨の農家に生まれので、脚本は「甲州弁」(山梨県地方の方言)を使って書かれたものと思います。ただ「ずら」などは静岡県でも聞かれるようです。
お礼
お礼遅れましたことお詫び致します。 ありがとうございました。 東京、埼玉、千葉、茨城、福島、栃木の知人はみな聞いたことがないと言っておりましたが、方向が違いました。
- alflex
- ベストアンサー率26% (229/869)
これらは山梨県の甲州弁です。実在する方言です。
お礼
お礼遅れましたことお詫びいたします。 ありがとうございました。 やはり山梨県に実在したんですね。
お礼
二度のご回答ありがとうございます。 確か高校生のころ、木下順二の創作方言についてやや批判的な評論を新聞で見かけた記憶があります。 内容についてはほとんど覚えていませんが、名の知れた作家は方言も創作するのかと驚いたことを覚えています。 >脚本家は適当に方言を交えながら、しかし多くの人に理解可能な言葉を話させていると思います。 昔が安直過ぎましたので、つい疑ってしまいました。