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言葉をなぜ まなぶのか?
いろんな言語の知識を得て それをひけらかすためのほかに 何でしょう? 個人のご意見としても 一般論としても また両方としても どうなのでしょう?
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言葉を学ぶ意味 1.生活の必要性があるから 自分が生活している地域で使われている言葉が使えないと買い物にしても、何をするにしても困ります。そういう意味で言葉(自分の母国語でない言葉を使う地域に住む場合)を学ぶ必要があります。 2.知識を吸収するため 日本は翻訳がかなり行き渡っている国ですが、それでも外国の言葉がわからないと科学や技術などの最先端の情報を手に入れるのは困難です。そういう知識を吸収するために必要です。 3.コミュニケーションをとるため 人と直に話をすることでコミュニケーションをはかることができ、それによって、お互いの情報を交換したり、交友を深めたりすることができます。日本の鎖国のような状況を世界のすべての国が持っていたら、とてもつまらない世の中になるし、お互い疑心暗鬼となって、戦争がはじまる可能性も増えますよね。人はコミュニケーションが必要なのです。 4.言葉を学ぶことは異文化を学ぶという面白さがある 異文化を知らないで一生を過ごしても悪くはありませんが、私などは異文化を知ることで自分の幅が広がったと思います。言葉も文化の一部であり、これを学ぶことに意義があるとも考えられます。 5.自分を知る 他の言葉を学ぶことは、自分の言葉を相対的に知ることであり、自分自身を相対的・客観的に知ることでもあります。たとえば、英語を学んではじめて、日本語と「相手」についての伝え方が違うというのに驚きます(英語では自分はI相手はyouですから)。さらに深く自分とは何者かというような哲学的な問いにたどり着くことさえできるかもしれません。 以上の理由で言葉を学ぶのかと思います。なお、やや教科書的な回答であったかもしれませんが、あなた様がどのような回答を求めているかわからないので、このような答をしてみました。 ご参考になればと思います。
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- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#5です。寝言です。 >>わづかに一点 未練があるのは 語学と言語学とは違っていることについてです。この外国語カテでは 語学はやるが 言語学は あつかわないということでしたら これは 必ずしも《学問・教育》の分野に入っているのがおかしいように思います。語学は 《ビジネス・キャリア》や《趣味》のカテでやるとよいでしょう。 おっしゃる通りだと思います。 >> あっ でも 《教育》には入っているのですか。学校でおしえていることですから。あぁ そういう意味でしたか。と妙な幕切れになりましたが これ以上しつこくはお聞きしえないでしょうね。 これはことの核心を突いたご意見だと思います。ことばは自然に入る物だから、教育には?と僕は思います。 最初に「言葉をなぜまなぶのか?」という題を見て、よく「まなぶ」に当てられる「學」を藤堂明保の『漢字語源辞典』には「X 型にしぼる」という単語家族に入れられているのを思い出しました。 ヒトが、ほかの動物にないものを持っているとしたら、それは「言葉」だと思います。だからヨチヨチ歩きが出来ると話も出来る。学校で絞られて身につける物ではない。だから「まなば」なくても話せる。 身内の者が3歳ぐらいの時、よそから遊びに来た従兄弟の方言を巧みに操るのを聞いて、二つ以上の言葉を話すのも別に異例の能力ではないと思います。 しかし、世の中が進んで外国語にも「標準語」のような組織が出来、教育でそれを扱うようになり、それを何か特殊技能のように取り扱うことになった。何となく阿呆臭い、とおもいます。
お礼
ふうむ。わたしも考えて行かなければいけないことをおしえられた。問題提起を受けた。・・・ えすぴーえす700さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ほんとうのことを言えば この外国語カテの《変革》は ぷらぽたさんの進めて行くそのあとについて行くだけくらいに思っていたのですが このところ 雲行きが何だか昔にもどったみたいに感じたものですから いちど例によっていぢわる質問をしてみようかなと。・・・ ★ 身内の者が3歳ぐらいの時、よそから遊びに来た従兄弟の方言を巧みに操るのを聞いて、二つ以上の言葉を話すのも別に異例の能力ではないと思います。 ☆ そうなんですか。それに当てはまるようなことをすでに書きましたが 思弁的なことでしたので 合点が行くところですね。 ★ しかし、世の中が進んで外国語にも「標準語」のような組織が出来、教育でそれを扱うようになり、それを何か特殊技能のように取り扱うことになった。何となく阿呆臭い、とおもいます。 ☆ ここが 何とも切ない気持ちをも催して 未来にひとすじの光が差すか差さないかのイメージを呼び起こされました。 いつか ジャパニーズ・イングリッシュが 世界に市民権を得て 通じるようになるといったさまを思い浮かべるのも おもしろいかと。 主題提示を文頭に持ってくるような英文です。 日本語が消えるのではなく 生活じょう二重言語を使いこなすかたちです。バイリンガルですね。 まぁ 昔のことを思えば いまは自由な雰囲気の中で・自然に近いかたちで 外国語に接するようになりました。英語の授業も けっきょく漢文のばあいと同じような感覚でやっていた部分がつよかった。返り点を打つようなかたちで 読解するかたちでした。 それでも おもしろかったですけれどね。漢字ばっかりとアルファベットの世界とは くらべものに成らないほど 《新世界》でした。いなかに住んでいましたし。 外国語との違いと言いますか 言語のあいだでの互いの違いについて これは 何で違うのか? どうしてこういう発想が出てくるのか? といったことを 互いに出し合って行くのも よいかと いまふと思いました。そういった発見を見て このカテでまなぶ人たちは その姿勢のようなものをむしろまなぶかも知れません。 でも いづれにしても たのしくおこなわれているのならば ひとまづは それでよしとしなければならないのでしょうね。 ぴらぽた氏の雲行きが ちょっとあやしいのが 気にかかります。
- Oubli
- ベストアンサー率31% (744/2384)
高校生でいろんな言語の知識を得ているのならたいしたものです。将来、絶対に何かの役に立ちますよ。 大学生でそんなこといっているのなら話にならないです。専門というのがあって、何かを選んだわけですから。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 専門というのがあって、何かを選んだわけですから。 ☆ なぜそれを専門として選んだのか? です。
こんばんは。悪魔のplapotaです。bragelonneさんのときは「悪魔」でよかつたのですよね。豚、負け犬、怠け者、アホ、バカ、ショッカーなどなど、いろいろ呼ばれるので、覚えるのが大変です。記憶のために、単語カードを作るつもりです。 >>いろんな言語の知識を得て それをひけらかすためのほかに 何でしょう? それ以外にあるのですか? あちこちのカテゴリで何度も書くのですが、私の投稿はすべて、自慢することが目的です。自明の理にすぎず、この質問に意味があるとは考へられません。 bragelonneさんの場合は、ギリシャ語でねこさんをやりこめるためですか。ヘブライ語で組織宗教をたたくためですか。英語で私を困らせるためですか。 作曲家の先生は、御多忙です。繊細な心をお持ちですので、おてやはらかに。英語と日本語の一致について詳細をご存じなのには驚きました。あれは、他人の説を紹介したまでで、私の責任ではありません。
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ぷらぽた氏に登場願わないことには この質問は 終えられません。 第二弾として どういう方向へ向かっているのか? これを明らかにする頃合いでありましょう。 さて ★ bragelonneさんの場合は、ギリシャ語でねこさんをやりこめるためですか。 ☆ 自分自身についても明らかにするべきなのでしょうか。 わたしは 初めっから趣味です。ですから 気が向いたときに哲学カテ以外に出向きます。まれですが。 趣味でならったことを 思想の問い求めに使うことはあります。そういうことです。 くれんげさんは 作曲家さんでしたか。声楽家さんかと思いました。何となくですが。
- wy1
- ベストアンサー率23% (331/1391)
いろんな言語の知識を得て それをひけらかすためのほかに,,,. あなたの投稿内容は外国語を学ぶ者として、不愉快です。あなたにそのままお返ししたいですね。 おれと、そのように思う人に、私がなぜ外国語を学ぶか教える気持ちにはなりません。
お礼
★ おれと、そのように思う人に、私がなぜ外国語を学ぶか教える気持ちにはなりません。 ☆ 《おれと》が どういう意味になっているのかが読み取れません。 わい1さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 それほど ひけらかすという言葉が 引っかかったでしょうか。 どうぞご自由になさってください。
- Dieci_Quattro
- ベストアンサー率21% (8/38)
再び失礼します。他人の褌で相撲を取るようで恐縮ですが、#9さんが挙げられた 「実用的意義 教養的意義、思考力を鍛える」について、違う角度から考えようと思います。 実用的意義: これが 一番理由として大きいと思います。この視点だと 先ずは断トツで 最初に英語が来ます。そして、英語の次として 中国語が来ますね。 教養的意義:これも英語がトップには来ますが、ドイツ語やフランス語も重要性が高いです。また、中国語も 教養的な側面からも非常に興味深いです。ただ、ドイツ語やフランス語は 教養的意義が高い割には 実用性は低いですね。 思考力を鍛える: これは 私が先の回答で書いたことと関係ありますね。 先の二つに比べると 何語でも いいんですが、英語がもっとも便利ですね。余裕のある人は 英語の他にも どんどん新しい外国語にチャレンジするといいでしょう。 因みに、私は フランス語が得意なので フランス語をベースに色んな外国語を学習しています。 何語でもいいんですが、既習の外国語で新しい外国語を学習すると、思考の鍛え方も ハイレベルです。
お礼
きゃとるずさん つづきましてのご回答をありがとうございます。 ★ 実用的意義: これが 一番理由として大きいと思います。 ☆ これは そのとおりでしょうね。そうでなければ 言葉をなくして生活せよというようなことになります。 ★ 教養的意義: ☆ 英語・独語・仏語・漢語ですか。 わたしは ぜひ日本語をくわえたいですね。言葉についてまなぶための宝庫ではないかと思っております。つまりは 全般的教養ではなく 言語学にとってですが。 ★ 思考力を鍛える: これは 私が先の回答で書いたことと関係ありますね。 ☆ あたまの体操が 地球規模での人びとの共生につながるといいのですが。ということを思います。 ここで 質問者としましては 共生・共生・共生です。旗印がです。
再び失礼します。 >>最初に気がついたところを言っておくのですが 【Q: name と名前・・・】についての ぷらぽた氏の回答は ひどい。 私は、あれは、ぷらぽたさん流のおとぼけかと思っていました。ネットで調べたら、学説としてはとっくに否定され、エンターテインメントとしての価値しか残っていない、と読んだものですから。 >>《失望→退会》ということで やっぱしアーティストさんは デリケートでいらっしゃる。売り言葉に買い言葉で わたしなどは その横槍のアラシ屋さんを追い返すのですが。・・・ デリケートということとはちょっと違うのです。私は、仕事の合間の限られた時間に、質問者の役に立てれば、という結構単純な動機で入ってきたものですから、横槍に付き合ってはいられない、というのが現状です。逆のケースもあります。質問がはっきりしないので、質問者と何度も対話していると、「一発回答の美学」などといって割り込まれます。こういうのに付き合っている暇もありません。 今回退会を考えているのは、この件とは別のことなので、つまり、自分の仕事の障害になることがある、という事情です。
お礼
★ 私は、あれは、ぷらぽたさん流のおとぼけかと思っていました。 ☆ ですから 《おとぼけ》だとしますと 余計ふざけていると 質問者のわたしには感じられます。ゆえに ひどい。のひと言です。 くれんげさん つづいてのご回答をありがとうございます。 ★ デリケートということとはちょっと違うのです。私は、仕事の合間の限られた時間に、質問者の役に立てれば、という結構単純な動機で入ってきたものですから、横槍に付き合ってはいられない、というのが現状です。 ☆ あっ そうなんですか。デリケート如何を措いておいても この場でのやり取りの性格の問題ですね。 これはですね わたしは 哲学カテが常カテなのですが それはそれは たいていはけっきょく人間どうしのぶつかり合いであると思っています。覚悟しています。そういうねちっこい性格が どこでも質疑応答のつながりには 出て来るのかも知れません。 ★ 逆のケースもあります。質問がはっきりしないので、質問者と何度も対話していると、「一発回答の美学」などといって割り込まれます。こういうのに付き合っている暇もありません。 ☆ ねちっこくないケースもありだ。ということのようですね。 なるほど。時間の効率的活用にとっては 裏目裏目に出て来るやり取りなのですね。 これは わたしも そしておそらく ぷらぽたさんにも どうにかしようにも 出来ないかも知れませんね。馬を水飲み場まで連れて来ることは出来るが 水を飲ませることは出来ないと言いますから。 ★ 今回退会を考えているのは、この件とは別のことなので、つまり、自分の仕事の障害になることがある、という事情です。 ☆ あっ それは いけないですね。そして 残念ですね。そこまでのことだと 仕方がないのでしょうか。 ううーん。世の中 うまく行きませんね。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
>言葉をなぜ まなぶのか? ⇒すでにNo.1さんらの的確なご回答が寄せられており、これでほぼ完璧と思います。とはいえこの際、重複があるかも知れませんが、普段から私なりに感じていることを整理してみようと思います。 言葉を学習することの意義(ないし目的)は、実用・教養・思考力錬成の3つの観点から整理できると思います。 ☆実用的意義:当然ながら、伝達の大半は言葉によりますので、その学習により意思疎通の能力が向上することは言を待ちませんが、その延長上にコレポン(商業通信)、外国文化の理解・吸収(因みに観光の「光」とは文化のことだと聞きます)、さらには学術的交流などなどがあり得ると思います。 ☆教養的意義:ゲーテは言ったそうです、「外国語を知らぬ者は自国語を知らぬ」と。なるほど、言葉は「使っている」からといって、必ずしも「知っている」(認識している)ことにはならないかも知れませんね。我々は外国語を知って、それと比べることによって初めて、自国語を「知る」(認識する)のでしょうから。およそ「己」(と己に付随すること)は、それを他と比較して初めて分かるのでしょう(因みに「分かる」は、「比べて分ける」から来たと聞きます)。ということは、外国語を学ぶことで、その言葉やそれを使う人やその国のことを知りますが、さらに進んでは自国語や自国民や自国の文化などを知ることにつながる。基本部分を要約すれば、「他を知って初めて己を知る」「外国語を知って初めて自国語を知る」ということではないでしょうか。 ☆思考力を鍛える:言語はすべからく、有限個の材料を使いながら、無限の表現を可能とします。つまり、閉じた体系でありながら、無限へつながる開いた機能を有するということで、そのあたりの仕組みを学習する過程で我々は無意識裡に頭脳を鍛えていることになります。すなわち、言葉の学習によって、副次的に、考える力(分析力・推理力・判断力)を鍛えている、ということでしょう。(ただしこれは言語学習に専属的効用でなく、例えば数学や論理学などにも同じような効用があると思いますが。)そして、上記の教養的意義との相乗的効果として、思考力・判断力・批判力などを鍛えるのみならず、認識・見識・世界観などを涵養することにつながるものと信じます。 ところで、言語学者サピアと人類学者ウオォーフは言ったそうです。「我々はみな自分の用いる言語によってがんじがらめに拘束されている」(サピア・ウォーフの仮説)と。これすなわち、我々の思考や行動、とりわけ知的営為が、言語に縛られており、それに左右され、決定づけられる、ということのようです。極端な単純化との謗りを怖れずに具体的な例を挙げれば、「語彙力1万語の人と2万語の人とでは、頭脳労働の能力が2倍違う」、ということになるのだと思います。 ともあれ、「言語の知識」は、想像を絶するほどに広く深く我々の生活と営為に作用し影響を与えている、と言えると信じます。特に、「すべての学問は言語学だ」と断言した学者もいるほど、知的営為での言語的拘束は計り知れないものがある、と考える次第です。
お礼
☆ 言葉を学習することの意義(ないし目的)は、実用・教養・思考力錬成の3つの観点から整理できると思います。 ★ ええ。とまづは 受け留めまして。 なかい702さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ☆ 実用的意義: ★ そうですね。コミュニケーションですね。生活・文化・ことに学術・そして経済活動。 ☆ 教養的意義: ★ 文化・学術の中の基礎領域でしょうか。 ゲーテの言葉について深く考えたことがなかったのですが つまりあやふやのまま一度問い返してみますが ☆ 基本部分を要約すれば、「他を知って初めて己を知る」「外国語を知って初めて自国語を知る」ということではないでしょうか。 ★ について どうでしょう 端的に問いを立てるなら こうです: 同じひとつの言語の中だけで意志疎通をおこなっていては 《自己を知り得ないか?》 つまりおそらくそれと同時に 《他者を知り得ないか?》 ――こう問うへそ曲がりがいたら どうお答えになりますか? どうなんでしょう? ☆ 思考力を鍛える: ★ この主題は いろんな論点に分かれるように思います。 たとえば ☆ 認識・見識・世界観などを涵養することにつながるものと信じます。 ★ そうなんですが・つまり そのことにマチガイないと考えたあとでなのですが それでも《世界観》のように全体観としてのものの見方については 言わば言葉を超えて 何がしかのヒラメキのおとづれ〔を受け留め受け容れたこと〕によって それをかたちづくる。といった見解もあり得るように思うのです。 その意味は したがって――母語については大いにまなびますが――外国語は知らなくても そのような《もののあはれを知る》といった世界認識は得ることが出来るかも知れない。 これは 先ほどのゲーテの《格言》にさからう方向での可能性としての思索になりますね。 ひとつの言語と言っても すでにどこかで触れましたが お隣りの国の言葉くらいなら 異文化交流は無理なくあり得るわけですし 借用語がふたつ・みっつもあれば あぁ こういった発想の違いがあるのだなと分かります。そういう問題は 細かすぎますか? あるいは ☆ 言語はすべからく、有限個の材料を使いながら、無限の表現を可能とします。つまり、閉じた体系でありながら、無限へつながる開いた機能を有するということで、そのあたりの仕組みを学習する過程で我々は無意識裡に頭脳を鍛えていることになります。 ★ と言っておられる論点は どうか? わたしなどは 少し違った角度から こう考えたりします。すなわち 書きことばの効用があるのではないか? すなわち 文字の効用ですね。 しゃべっているだけで・対話や話し合いだけで 確かに思考力を伸ばすのは いささか無理があるかも知れない。それを 文字に書いて ひとつのまとまった文章全体をつねにそのとき取り上げこれに批評を加えることが出来るということ。これによって 思考力はおおきく伸びるものと捉えられます。 ただしこれも 自国語だけにおいても 出来るかも知れない。うんぬん。 ☆ 「我々はみな自分の用いる言語によってがんじがらめに拘束されている」(サピア・ウォーフの仮説) ★ これは どうでしょう。これも 先ほどの《もののあはれを知る》の問題にかかわっていると思います。 語彙――その人の使用語彙は 理解語彙よりも少ないそうですが――をより多く持っていることが 世界とはこれだというヒラメキに似た知解を得ることに近いと言えるのかどうか? 表現力に差がついていることは それもマチガイないでしょうけれど。 サピアは まだつい最近読んだのですよ。部分的に読んで すぐほっぽり出していたので。 予断としての違和感は読んでみたら ほとんど感じなかったのですが あっ これは使えるといった発見もなかったのです。まぁ 分かりませんが。 アメリカの言語学者は インディアン諸語にあまりにも こだわっているように思えます。だからよくないとは言えないのですが そこから これはよい発見だという知見も見られないまま 細かく勉強している。 最後の段落でも 言語の持つ大きな役割と言語による人間の拘束というあり方とを ひっくるめて捉え 論じておられるようですが これは なおわたしにはピンと来ていません。役割りの重大さには納得し支持しますが。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#5です。補足です。 >> そこからは広げたりはなさらないのですか? ○国人に○国語で喋って(おどけなくても結構壊れていますので)友だちを作るなど、遊び半分には大いにやっています。 >> あるいは広げる意味はないとお考えでしょうか? 別に無いとか、在るとか、僕はただ通りがかりの者で、とりたてて言うことはないと思っています。 >> 言葉は言葉だ 言語は言語だ。ほかの飾りを付け加えることもなかろうと。 まあそんなところでしょうか。 >> つまりは このいまの外国語カテの状態・情況で じゅうぶんであると。 僕がここに来てからも状態•情況は変わっています。好きな人が聞いて、すきな人が答える、時世時節を計るのにはとてもいいと思います。
お礼
つづいてのご回答をありがとうございます。 ★ ○国人に○国語で喋って(おどけなくても結構壊れていますので)友だちを作るなど、遊び半分には大いにやっています。 ☆ そうですか。まぁ おおいにたのしんでおられることは 分かりました。それだけの素地が出来ておられるのでしょうから。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ >> つまりは このいまの外国語カテの状態・情況で じゅうぶんであると。 僕がここに来てからも状態•情況は変わっています。好きな人が聞いて、すきな人が答える、時世時節を計るのにはとてもいいと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そういう意味合いですか。やはり。 つまり ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ >> 言葉は言葉だ 言語は言語だ。ほかの飾りを付け加えることもなかろうと。 まあそんなところでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ということであるようです。これとしてのポリシーは分かりますけれど。 わづかに一点 未練があるのは 語学と言語学とは違っていることについてです。 この外国語カテでは 語学はやるが 言語学は あつかわないということでしたら これは 必ずしも《学問・教育》の分野に入っているのがおかしいように思います。 語学は 《ビジネス・キャリア》や《趣味》のカテでやるとよいでしょう。 あっ でも 《教育》には入っているのですか。学校でおしえていることですから。あぁ そういう意味でしたか。 と妙な幕切れになりましたが これ以上しつこくはお聞きしえないでしょうね。
No.6 くれんげです。コメント、ありがたく拝読しました。 >>翻訳が出たとしても 原語でまなびたいという欲求は 捨てがたく捨てられない場合があると考えます。 おっしゃる通りです。私は、翻訳と原書を買うので、家がつぶれそうになります。 >>じつはこの外国語カテを活性化させた方がいます。お名前を言ってもよいと思い ぷらぽたさんですが ぷらぽたさんならおできになると思います。ただ、活性化の前に考えなければならないことがあります。私はこれからしばらく時間がないので、ぷらぽたさんにお任せしてあるのですが、このサイト、特に外国語サイトの質問が、YAHOO知恵袋での自作自演に流用されています。そんなものほっとけばいい、という考え方もあるのでしょうが、やはりがっかりします。多くの人の目につくものですから。先日、私はすでに1度退会したのですが、この件による失望が大きかったのです。bragelonneさんの、「name と名前 は同じ発想か?」というユニークな御質問も、たった1行の回答一つで終了しています。解決はできないかもしれませんが、もしこれが原因で外国語カテから遠ざかる会員が増えれば、活性化は難しいのではないでしょうか。 御参考になれば幸いです。
お礼
最初に気がついたところを言っておくのですが 【Q: name と名前・・・】についての ぷらぽた氏の回答は ひどい。知らないとしても ひどい。 dull と だるい とが同語源であるという説を 堂々とわるびれずに何かの本から引っ張って来て 回答としています。何故ひどいかの理由を述べるのもはばかれるほど ひどい。と聞えよがしに まづ言いたいと思います。聞こえていることでしょう。 くれんげさん ご回答をありがとうございます。 ★ おっしゃる通りです。私は、翻訳と原書を買うので、家がつぶれそうになります。 ☆ 演奏家なら 楽器のこともあるのでしょうし。大変ですね。まぁ 切り盛りして行かれるでしょうが。 そう言えば 前回は音楽のことについて とんと触れ得ずじまいでした。 無理もありません。絵画と同じく わたしはただただ聞くだけです。よさそうな演奏家のよいと感じる作品を聞きます。しかも 横着にも BGM がおもです。サティには 失礼にならないと思いますが。 すみません。しゃれたひと言も出て来ません。 ★ ぷらぽたさんならおできになると思います。 ☆ ええ。冒頭の件をのぞけば チカラも意欲もお有りだと思います。 ★ ただ、活性化の前に考えなければならないことがあります。私はこれからしばらく時間がないので、ぷらぽたさんにお任せしてあるのですが、このサイト、特に外国語サイトの質問が、YAHOO知恵袋での自作自演に流用されています。そんなものほっとけばいい、という考え方もあるのでしょうが、やはりがっかりします。多くの人の目につくものですから。先日、私はすでに1度退会したのですが、この件による失望が大きかったのです。 ☆ 《自作自演》という問題は じつは哲学カテで取り上げられていましたので 考えましたが ヤフー知恵袋のほうのことは とんと知りません。ヱブ上では いろいろとあるのですね。 自作自演とは 自問自答を複アカでおこなうことだと捉えましたが まぁ わたしの場合は 関心を持ちつつも じつは 申し訳ないですが 放っておいてあります。 そう言えば ぷらぽたさんは そういう問題にもじゅうぶん対処しておられると思うんですが 初めのころと比べると ちょっと下火になって来たのでしょうか。それが 効果があったからだといいのですが。(そう言えば ここ最近は 分からない状態でいます)。 《失望→退会》ということで やっぱしアーティストさんは デリケートでいらっしゃる。売り言葉に買い言葉で わたしなどは その横槍のアラシ屋さんを追い返すのですが。・・・ ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ bragelonneさんの、「name と名前 は同じ発想か?」というユニークな御質問も、たった1行の回答一つで終了しています。解決はできないかもしれませんが、もしこれが原因で外国語カテから遠ざかる会員が増えれば、活性化は難しいのではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ええ。そうですね。 たぶん 姿勢の問題だと思うんです。あたらしい姿勢。方向性。 それが芽が出れば みなさんのあいだでおのづと水嵩は増して行くでしょうから 活性化も目標への道程も目指して行けるのではないかと考える次第です。
こんにちは。音楽をやっているものです。 bragelonneさんの御質問は、私のようなものにはむずかしくてかなわないので、今まで近寄ったことがありません。事情があって、いったん退会するつもりなので、書き逃げさせていただきます(笑)。 私の場合は、完全に必要に迫られてドイツ語を勉強しました。留学目的です。当初はフランスへ行くつもりでしたので、フランス語を始めたのですが、途中で興味がドイツ語圏へ移ったため、ドイツ語に乗り換えました。 当然レッスンに必要なために学んだわけですが、他にも良かったことはたくさんあります。音楽関係の良書の多くが、まだ日本語に翻訳されておらず、ドイツ語が読めるようになったことで、自分の専門分野の知識や技術を得ることができました。 また、ヨーロッパの人たちと直接話すことで、日本にいては理解しにくい西洋の文化や、彼らの考え方を知ることができたのは、貴重なことです。日本の文化についても、彼らと話をすることで、新たな発見がありました。私の場合、西洋音楽と、日本の伝統音楽の間で創作していたので、異文化を学ぶ目的も、ごく実用的な目的でしたわけです。 また、通訳や翻訳、ドイツ語の講演などもしましたので、私の場合は、語学の習得は、仕事のために必要なものでした。国際的に活躍する音楽家は、数か国語できるのが当たり前です。私の場合は、高校入学後、実技の習得のために学業をすべて放擲しましたので、英語のレベルは中学どまりです。ところが、英語に関しても、このところ自分の作品の解説を英語で書かなければいけない場面が出てきて、仕方なく(笑)やっています。 帰国後も、書物はいつも手放しませんが、ドイツ語圏の新聞をネットで読むことで、日本のマスコミとは違う情報が入手できるので、ありがたいと思っています。ウクライナの情勢なども、日本のマスコミとは違う情報がありました。 外国語カテには不満があります。英語の方はそれなりに充実した質疑応答があるようで、特に、No.1のHim-hymnさんの回答にはいつも感心しております。しかし、ドイツ語の質問は、回答する気が起こらないものも多く、寄せられる回答には、誤訳があったり、知識のひけらかした思われるものもあります。そういう回答に挟まれて答えを書くのはしんどいです。先日も若い方からからまれて、私は外国語カテの質問から手を引いてしまいました(笑)。 さて、私の回答でご不満なところはどこでしょう? 御参考になれば幸いです。
お礼
くれんげさん こんにちは。初めまして。ご回答をありがとうございます。 ★ 私の場合は、完全に必要に迫られてドイツ語を勉強しました。留学目的です。 ☆ 広い意味の《生活世界におけるコミュニケーション》でしょうか。 ★ 当初はフランスへ行くつもりでしたので、フランス語を始めたのですが、途中で興味がドイツ語圏へ移ったため、ドイツ語に乗り換えました。 ☆ 何だかおもしろい〔と言ってはいけないかも知れませんが〕 ですね。つまり そんなにじょうずに転回することが出来るもんなんですね。わたしなどは たぶん未練がのこって 新天地を――留学先としてですから――望む方向をつかみ難いかと思ってしまいます。 (というより 留学や生活経験がないままに終わってしまっています)。 ★ 自分の専門分野の知識や技術を得ることができました。 ☆ これは 《そこにしかないゆえに 外国語をまなぶ〔ことの効用〕》でしょうか。 翻訳が出たとしても 原語でまなびたいという欲求は 捨てがたく捨てられない場合があると考えます。 ★ また、ヨーロッパの人たちと直接話すことで、日本にいては理解しにくい西洋の文化や、彼らの考え方を知ることができたのは、貴重なことです。 ☆ これは 生活世界の拡張・拡大の件ですね。 それによる・そこにおけるコミュニケーションの充実でしょうか。 ★ 日本の文化についても、彼らと話をすることで、新たな発見がありました。私の場合、西洋音楽と、日本の伝統音楽の間で創作していたので、異文化を学ぶ目的も、ごく実用的な目的でしたわけです。 ☆ 《地球人》目的に合致しています。 ★ 帰国後も、書物はいつも手放しませんが、ドイツ語圏の新聞をネットで読むことで、日本のマスコミとは違う情報が入手できるので、ありがたいと思っています。ウクライナの情勢なども、日本のマスコミとは違う情報がありました。 ☆ これも 同じくですが 特にはいわゆるインテリジェンスの問題として メディア一般を活用するしないを超えて 情報が自由に日常的に得られるようになるとよいでしょうね。――そのためには 外国語をまなばねならない。至極もっともだとなります。 ★ 外国語カテには不満があります。 ☆ ええ。 ★ 英語の方はそれなりに充実した質疑応答があるようで、特に、No.1のHim-hymnさんの回答にはいつも感心しております。 ☆ 英語カテでは――わたしはほとんど見ていないのですが―― 情報交換として満足の行くやり取りがある。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、ドイツ語の質問は、回答する気が起こらないものも多く、寄せられる回答には、誤訳があったり、知識のひけらかした思われるものもあります。そういう回答に挟まれて答えを書くのはしんどいです。先日も若い方からからまれて、私は外国語カテの質問から手を引いてしまいました(笑)。 さて、私の回答でご不満なところはどこでしょう? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ じつはこの外国語カテを活性化させた方がいます。お名前を言ってもよいと思い ぷらぽたさんですが ところが なおまだがっかりしたところがあったものですから いちど――ぷらぽたさんご自身は どう考えておられるかのか知りたいと思って――いまいちどその情況について問いたいと思いました。 むろん 知識を問われ そのまま知識を答える。このことが否定されるべくもありませんが もし活発な情報交換のおこなわれる場だとすれば それだけでは物足りない。とも思ったのでした。問うてみるにあたいすると。 言いかえると 回答を言わば競うのはよいのでしょうが 《地球人としての共生のための語学》なる見地からも互いにつとめる。互いにむしろ自由に批判しあってでも そのような方向性を出して行くのは どうか?・・・こういった考えもあるかと思うのです。 くれんげさんは おしとやかなのですね。わたしなどは アラシもノノシリも屁の河童ですので いつも思いっきり相手を批判していますが 確かにそれが むつかしいところもあるようです。 とにもかくにも いちど 特にはこのカテをめぐってみなさんからの考えをお聞きしておくのはよいであろうと思いましたし いまそうしています。 果たして どうなりますか。 ★ さて、私の回答でご不満なところはどこでしょう? ☆ いえ。ありませんでした。書き逃げは そのようにことわっていただけば 何の問題もありません。 退会されるとか。また お気が向いたら 寄ってみてはいかがでしょう。
お礼
ひむ‐ひむんさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ 言葉を学ぶ意味 / 1.生活の必要性があるから ☆ 言わば《生活ことば》は 欠かせない。ですね。 ★ 2.知識を吸収するため ☆ これは 意地のわるい質問者としましては では何故 《知識を吸収する》のか? と問いたたむようにお尋ねしたいと思うところです。 ★ 3.コミュニケーションをとるため / ・・・人は〔* 生活世界を超えて〕コミュニケーションが必要なのです。 ☆ 括弧書きにて記しましたように 《1.生活のための必要性》を直接会って交通する生活世界からさらに広げたかたちでしょうか。 つまりは 《1》と合わせて 《地球上に生活し人びとと共生するための必要性》となりましょうか。 ★ 4.言葉を学ぶことは異文化を学ぶという面白さがある ☆ これは これにもイチャモンをつけたくなります。つまりは 《2. 知識を吸収するため》と同じように では 《異文化をまなぶ》のは 何のためか? と問いたくなります。 むろん 《趣味嗜好》をけなすものではありません。そのほかに 目的はないかという問いであります。 異文化をまなぶのは 《1.+3. 世界における共生に向けてのコミュニケーションのため》という答えにもなるかとは思いますが。 ★ 5.自分を知る ☆ まづこの中で ★ 自分自身を相対的・客観的に知ることでもあります。 ☆ というのは やはり《地球人としてのコミュニケーションのため》に成りましょうね。 あるいは ★ さらに深く自分とは何者かというような哲学的な問いにたどり着くことさえできるかもしれません。 ☆ これは どうでしょう。つまり そのことを否定するのではなく そうではなく ひとつの言語だけでも《人間=存在》論としての《わたし》論にはたどりつくのではないか? つまりおのれの母語をひとつ知っているだけでも 哲学は成し得ます。と言いますか 隣りの国の――たとえ方言の違いであってもの――違った言葉については たいてい《生活世界》の範囲内でも知っているという事情もあるかと考えられるからです。 さて ここからが 問題であると思います。せっかく ★ あなた様がどのような回答を求めているかわからないので ☆ とおっしゃってもらっていますので しっかりと問うてみたいと考えます。 すなわち こうです: ○ 《地球人として互いに交通しあって生活するために それぞれの国の言葉をまなぶ》という答えを得たとするならば では この外国語カテは そういうふうに利活用されているか? です。言いかえると なるほどいろんな国の言葉をまなぶべく質問をつうじてやり取りがなされていますが それらは うわっつらの言葉のやり取りが出来るためにまなんでいるに過ぎないのではないか? という疑いに代えたいと考えます。 どうでしょう。 うわっつらのコミュニケーションのためにまなぶ人たちに対して 先に知ったことをひけらかしているに過ぎないのではないか? です。 それとも この外国語カテは そのような手段の段階での知識の交換と共有にしぼっていとなまれていましょうか?