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『啓蒙』の言葉の意味は?

先日、友人に冗談で『お前を啓蒙してやる!』と言ったところ、その使い方は間違っていると指摘されました。個人に対する言葉ではないと。 恐らく一般的には「大衆に知識を教え広める」というような意味合いで使うケースが多いと思いますが、 私は『啓蒙』という言葉の語源といいますか、漢字の成り立ちからしても、個人に向けて使える言葉ではないかと思うのです。 辞書で調べますと、多くは複数向けの意味を説明していますが、 三省堂 デイリーコンサイス国語辞典では、「無知な人に知識を与えること」と載っていました。 http://www.weblio.jp/content/%E5%95%93%E8%92%99%E3%80%80 それとも、ここの「人」も複数と捉えるべきでしょうか? 瑣末なことではありますが、指摘されて以来、どうもそのことが気になっています。 皆様の御意見、お考えを是非お聞かせください。

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noname#79662
noname#79662
回答No.5

「蒙」という漢字を調べてみますと、一番の原義は「獣の皮」のようです。そこから、それを頭からかぶると、「覆いかぶさるように暗い」ということになって、「暗い」や「無知な」という意味になったそうです。 従いまして、「啓蒙」という漢語は、理屈では個人相手でもいいはずなんですが、大抵の場合「大勢の無知な人に知識を与える」という使われ方をしていまして、私は個人相手に使われた例を知りません(冗談以外は)。 ですので、無知蒙昧な個人の目をこじ開けるのに、啓蒙はチョッとヘンだというのが、現在の日本語の相場なんだろうと思います。 とにかく言葉の使い方には理屈に合わないことが多いです。 「○○さんは留守です」といったら、○○さんは家にいないことを意味します。 しかし、これは「留守」という言葉の意味からいうと明らかな誤用です。 「留守」は、留まって守るということです。 古代の中国では「天子が外征するとき、都に留まって守る役目」が「留守」でした。 ところが、室町時代の末期には「留守守(ルスモリ)」というヘンな言葉が出てきます。今の留守番のことです。 室町時代の末期に、留守=不在 という誤用が始まっていて、そしてそれが現在の「留守番」、すなわち、留まって守る人を更に番するという明らかな誤用につながっています。 言葉の真の意味を知らない庶民が使い始め、それが国中に広まっていって、誤用が定着してしまったわけです。 誤用が定着して、それが社会的に承認されてしまうと、もうどうしようもありません。 現在、「『留守番』なんて言葉は誤用だ!」と大声で糾弾しても変人だと思われるだけです。 そういうわけで、言葉は理屈ではなく多数決です。 無知蒙昧者の多数決でも、それはそれで決まりです。 現在、啓蒙という言葉が「大勢の無知な人に知識を与える」という使い方しかされていないと思いますので、これはもう、これで定着しているんでしょうね。しょうがありません。

ronmens
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「チョッとヘンだというのが、現在の日本語の相場」 という意見は、的を射ていると思います。 辞書の説明や言葉の由来を勘案しても、 おそらく対個人使用は間違いではないのでしょう。 但し、一般的に「チョッとヘン」なのだと思います。 推論ではありますが、もし権威ある国語学者のような方が、 この言葉を定義するとしても、 きっと皆さんがここで行ったような考察をするのでしょうね。 他に方法が浮かびません。 過去の文献などは、流動的である言語に対して参考にはなりませんし。 そうすると結局のところ、明確に線引きはできないが、 現在では、対個人使用は間違えとは言えないものの、 若干ヘンであるというのが、落としどころになるように思います。

その他の回答 (6)

noname#80753
noname#80753
回答No.7

No.6です。 啓蒙という言葉は手元の辞書(字源)によると朱子にあるそうですから少なくとも「啓蒙思想」よりはずっと古くからある言葉をおそらく明治ぐらいにenlightment の翻訳語としてあてただけではないでしょうか。 また同辞書には蒙は幼蒙、童蒙として「おさなきもの」とあります。字統は童蒙をぼさぼさの髪の毛に覆われた様子、ここから転じて蒙昧に使われるようになったとしており、字源と同じ解釈の立場をとっているようです。 啓蒙という言葉がもっぱら「啓蒙主義」を通してしか現代の私達に入ってきていないことから「啓蒙」=啓蒙主義という思い込みが啓蒙は大衆を対象としたものだ、という思い込みにつながっているというのが前回の主旨です。 また啓蒙とは教育という概念に近いと思いますが教育が学校教育を本来意味しないのと同様と思います。 つまり啓蒙とは相手の人数に何か制限のある言葉ではない、大衆を対象としたものという考えこそあとで付け足された本来は無かった意味という意見です。

ronmens
質問者

お礼

再コメントありがとうございます。 なるほど。非常に興味深く書き込みを読ませて頂きました。 『啓蒙』という言葉が、古来中国より由来しているとは知りませんでした。 それを考慮すると確かに我々の考える『啓蒙』とは、 多かれ少なかれ西洋的啓蒙思想のバイアスがかかっている状態なのかもしれません。 口惜しいのは、その様な状態のものでも、 広く一般に普及してしまうと、それが正解となってしまうことですね。 結局のところ、 語源をその言葉の概念の根拠とするか、 一般への普及具合とするかは意見の分かれるところでしょうし、 語源を根拠とするには、もう少し朱子の啓蒙に関する考察が必要ですね。 朱子の思想が対象を大衆としていたとも限りませんので。 ただ、 個人向けに使うことを否定する根拠もありませんね。 語源的な立場から言えば、 yamada365さんの仰る通りのものである可能性は十分にあり、 個人向けの使用は決して間違いとは 言いきれないものであることがわかりました!

noname#80753
noname#80753
回答No.6

自分の経験を語る場合に「○○に啓蒙されて」と言いますから逆もありだと思います。 つまり個人に使うのもありです。冗談で言うのならなおさらおおありではないでしょうか。 そもそも個人を啓蒙できないものがどうやって集団を啓蒙するのかと。「大衆を啓蒙する」(広辞苑〔啓蒙〕の例文)とは重複表現なのかと。 啓蒙は比喩的表現なのは衆知の通りと思います。 啓蒙が今の日本で人気がない、大衆を対象とすると思われているのは比喩のせいではなくて「啓蒙主義」「啓蒙思想」の影響ではないかと思いますがどうでしょうか。 比喩としては目からウロコが落ちるのと似たようなものではないかと思います。

ronmens
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 私見ではありますが、仰るとおり、 「啓蒙」という言葉の概念自体、啓蒙思想から生まれたものだと考えます。 故に、本来は大衆に向けてのものであるというところから、 端を発していると考えますが、言葉は移ろいゆくものであり、 また純粋に漢字のみの意味をみると、 個人に向けても使用できるのでは、と考えました。 賛否の分かれるところですね。

回答No.4

 回答番号:No.1  あなたのお話は允に(まこと)、私には啓蒙的なものであります。 とはいいましょうが、この本はあなたには啓蒙となりますよ、とはいわないと存じます。  不特定の方にとって、啓蒙的な本とか、お話とかはいうでしょうが、特定の個人に対しては使わないことが普通でありましょう。  専門書や論述などに、啓蒙的ということもあるとは存じますが、場合によると、初歩的とか、入門書、手引書となりますね。  啓発的というのなら無難だと思います。  素敵と思ってか顰(ひそみ)にならって、まねっこで≪刺激的≫などというより、啓発的とか覚醒的とかもいいかもしれません。

ronmens
質問者

お礼

再コメントありがとうございます。 言葉というものは流動的であり、 時代に即して変わっていくものであります。 ですから、皆さんが普通は使わないと考える以上、 国語学的にどうか定かではありませんが、 『啓蒙』を特定個人向けに使うのは、 やはり一般的に「間違い」とされるのでしょうね。

  • owata-www
  • ベストアンサー率33% (645/1954)
回答No.3

微妙に日本語がおかしかったので訂正 >「蒙」には無知な…という意味があるので、役所では不適切な表現として「啓発」という単語が使われています。 「蒙」には無知な…という意味があるので、役所では不適切な表現としており、代わりに「啓発」という単語が使われています。

  • owata-www
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回答No.2

個人に対する言葉かは知りませんが 「蒙」には無知な…という意味があるので、役所では不適切な表現として「啓発」という単語が使われています。 ただ、歴史的な背景を考える(啓蒙主義など)とやはり大衆に向けて使うのが一般的かと

ronmens
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 確かに『啓蒙』の概念の始まりを考えると、 大衆向けとみる方が自然ではありますね。 啓発は個人にも使えそうですね。

回答No.1

 蒙(昧)を啓く(ひら)という漢字の並びですよね。    それから判らない人たちにおしえることでしょう。  ある権威からご共著書を送られたとき、啓蒙書ですね。  と申し上げたら、失礼なことをいうものではない。  みんな一生懸命かいているのですよと、まだ40代、つまり35年くらい前にいわれました。   確かに専門書というより、いろんな方々にわかりやすくかいてあるな、とは思って申し上げて、後悔しておりますが。  はっと気づかせる場合にはには使わない、相手におしえてやるというようなことのようですね。  蒙昧な民の目を啓く啓蒙思想とか。  漢字の成り立ちは仰せのとおりですが、自分の啓明に役立つ場合はいいが、蒙昧という観念が入っていますようで、遣い方は気をつけるのだと存じます。

ronmens
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 確かに使い方に気をつけなければならない単語であると思います。 すいません、こちらの質問が曖昧でしたが、 その『啓蒙』という言葉の対象は、 大衆を指していう言葉か、 それとも個人のみに向けても使える言葉か、 というのが質問の趣旨でした。 その辺りのご意見はございますでしょうか?

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