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競争社会

弱肉強食の競争社会を、釈迦やイエスは肯定するのでしょうか?

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noname#7082
noname#7082
回答No.14

(#11)【…。ただ、今強く疑問に思っていることは、競争社会の根底にある競争意識というものが強いことは、悟りを開く上で果たしてプラスになるのだろうかということです。】 #.11 です(参考になれば良いのですが…) 質問者様の【回答に…礼】欄に記されている、疑問?“悟りを開いた人”のことで、再度 私見を述べさせて下さいね。 『仏陀&イエスが生きていた当時は“録音機器は無かった”』 仏教教典=仏陀が入滅なさった 約500年後に“根本分裂”したと云われている。 http://www5.ocn.ne.jp/~kaba/thaibuddhism.html キリスト聖書=西暦325年に開かれた、ニケーア会議で、悟っていない人達が“編纂した”と云われている。 http://www2.wbs.ne.jp/~spirit/shohousen.htm *** *** *** …で、もし?質問者様の 思想に さしつかえなければ下記URLを参考にされて、競争意識&本当の幸福の“疑問解消”になさっては いかがでしょう。 現時点での わたしの知っている“現代の悟りを開いた人情報”です、この方々以外にも存在なさっていると思いますが、(独断による)悟りを開いた確実性の高い情報と確信しております(録音テープなども在ります)。    *******   ******* 霊鷲(太母さん) http://www.platon.co.jp/~tamo/home.shtml OSHO (1931-1990/1,19) http://www.osho.com/index.cfm?Language=Japanese ジッドゥ・クリシュナムルティ (1895-1986) http://www.at-m.or.jp/~khoshino/j.k.htm ラマナ・マハリシ (1879~1950) http://homepage.mac.com/iihatobu/spiritual/ramana/self.html G・I・グルジェフ (1866?or1877?-1949) http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7378/    *******   ******* {悟りに関して、開いた方に聴くか?、わたしも含めて 悟っていない人間に聞くか?…ですよね。 ナマステ}

TEDSW
質問者

お礼

回答有難うございました。 >悟りに関して、開いた方に聴くか?、わたしも含めて 悟っていない人間に聞くか?…ですよね。 そうですね。釈迦やイエスの考えを広めてきた人のほとんどは釈迦やイエスの境地には達していないと思いますので、そういった人達が伝えてきたものの多くは本来の教えとは乖離しているように思えます。 そういった意味では、釈迦やイエスの境地に達していると思われる人の考えを知れるメディアを利用することは、非常に有益なことだと思います。 参考URLのクリシュナムルティのところですが。 >「個々の人間にこそ希望がある。社会にも、諸々のシステムにも、組織された宗教にも >希望はない。希望は、諸君の中に、そして私のなかにあるのだ」 >腐敗した社会への順応も宗教生活への逃避も否定する彼は、日常生活における「ある >がままの自分」に無選択に気づくときだけ<真の実在>へのドアが不意に開くと言う。 >たえず何かになろうとする心理的習性は、根深い条件づけの結果であり、それがいかに >破壊的かに気づくことは容易でない。しかしこの心理的メカニズムをとめないかぎり、わ >れわれは永久に本然の生を生きることはできない。いま生きるかわりに、いつか生きる >ため社会や自分自身が立てた目標に向かってたえずせわしなく、不毛な努力を繰り返し >続けていくだけである。 社会に順応することも競争意識を持つこともなく、あるがままの自分を受け入れることが、真の実在へ近づく道であると言われているように感じ取れました。 クリシュナムルティが悟りを開いている確たる証拠はないでしょうが、私には彼が競争社会を肯定しているようには思えませんでした。

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その他の回答 (13)

  • mmky
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回答No.3

参考程度に 釈尊は自らにも厳しい修行を課し修行を通して仏陀になられましたね。そのお弟子さんにも戒律を課し教学と修行を勧め阿羅漢から菩薩への道を勧められましたね。菩薩というのは多くの人々の魂を救うことができる方々をいいます。この考え方はビジネス社会でも同じです。勉強をし社会や組織に立派な成績を残せる人が出世の階段を上って社長になることはつまるところ多くの従業員やその家族を幸せにすることですね。別のいいかたでは現実的な救済ですね。勉強も経験も無い方が社長になると遅かれ早かれ会社は倒産し従業員や家族は路頭に迷うことになりますね。確かに出世の階段を昇るということは多少なりとも弱肉強食のようにみえますが長い目でみて多くの方が幸福になるの であればそれは仏神の心にかなうものです。 「向上を目指せ、限りなく良きものとなれ、我のようになれ」というのが仏神の御心でしょう。宇宙を創造するぐらいの者となれということですから努力、と精進は怠るとだめということですね。イエス様も映画「パッション」にあるとおり大変な苦労はされています。並みの努力ではありませんね。誰も「何とかを唱えれば救われる」何ぞとはいっていませんね。そのあたりに解はあります。

TEDSW
質問者

お礼

回答有難うございました。 >勉強も経験も無い方が社長になると遅かれ早かれ会社は倒産し従業員や家族は路頭に迷うことになりますね。 そういうケースもありますが、社長及び社員が一丸となって自社の発展のために努力することは、ライバル会社を打ち負かすことにつながり、ライバル会社が倒産し従業員や家族が路頭に迷うケースもあります。 また企業が利益を追求しすぎるあまりに、国家と癒着し、戦争を引き起こすケースもあります。そういったことも含めて、競争社会を肯定なさるのかなと、疑問は残ります。

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回答No.2

弱肉強食の世界とは、どういう世界を 意味するのかは、人それぞれですが、 普通は、弱いものは強いものに食われろ! という意味でしょう・・・ つまり、無慈悲な世界・・・ 自己中心な世界・・・ ならば、お釈迦様やイエス様の教えからは 程遠いでしょうね。 ところで、自然界は、弱肉強食の世界ではないので、 誤解しないでくださいね。 強いライオンも、空腹時には弱いシマウマを襲うかも 知れませんが、満腹時には、襲いません。 つまり、自然界は、足ることを知る世界なのです。 全体目的と個体目的が調和しているのです。 過分な欲望のない世界なのです。 人間世界だけが、自己中心な欲望の世界なのです。 弱肉強食の世界なのですね。 大宇宙の真理に 帰れ(南無=ナーム) というのが、お釈迦様の教えです。 イエス様も、人間が本来の堕落以前の状態に 帰り、救われることを願われました。 人間が、つまり、堕落して、願わざる悪なる欲望を 内包するようになってしまったので、 元の世界に戻らなければならない存在に堕ちたのです。 これが「人間始祖の堕落」です。 だから、救われなければならないのです。 人間始祖、アダムとエバが堕落しなかったのなら、 どうして、われわれ人類が救われなければならないので しょうか???救われる必要がありませんね。 人間だけが、堕落して、自己中心的な欲望 すなわち、過分な欲望により、全体目的と 個体目的の調和を乱し、自己の位置を離れてしまう 悪なる欲望を持つに至ったのです。 本来は、弱肉強食ではなくて、 「弱食強肉」でなければならなかったのですね・・・ 弱い者に、強い者が、肉を食べさせてあげる・・・ そのような愛の世界、慈悲の世界を、 イエス様もお釈迦様も、願われたのでしょうね・・・ ではでは。

TEDSW
質問者

お礼

回答有難うございました。 >つまり、自然界は、足ることを知る世界なのです。 足ることを知ることなく、もっと便利にもっと便利にと、餓鬼のごとく生活環境を発展させていこうとすることは、釈迦やイエスの教えからは程遠いということでしょうか。 原始的な生活であっても、それに十分満足して、喜びさえ見出せるような生き方が、「足ることを知る」を実践した生き方ということでしょうか。

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  • michank
  • ベストアンサー率13% (11/84)
回答No.1

私の見解は、「肯定」です。釈迦は、にやにやしながら何をやっても「空」と言うでしょうし、イエスは「汝、左の頬打たれなば、右の頬を出して打たれなさい。」と言うでしょう。少々、ニヒルかもしれませんが、ここを原点にして、常に科学的な情報をキャッチしながら、自分にも他人にも闘うしかない。

TEDSW
質問者

お礼

>釈迦は、にやにやしながら何をやっても「空」と言うでしょうし、 独裁体制に対しても、そういった反応を見せて肯定するということですか? >自分にも他人にも闘うしかない。 最終的な闘いである戦争も肯定するってことですかね。

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