- 締切済み
競争社会について
なぜインターネットが普及したは必然的だったのか? を考えていたら、その答えが競争社会では必然的だったのではないのかなと思いました。 御幣があり、多少オーバーではありますが、アメリカでは自分の幸せは自分で勝ち取る、他人と競争して幸せを勝ち取る。それは社会にとって良い事である。とメディアで見かけた事がありました。 もちろん競争原理がない国は少ないと思います。 話が逸れましたが、今の社会は昔(人が集団生活をし始めたころから) と比べて、競争社会は加速しているのでしょうか?? もし加速していたら、それは永遠と加速するのでしょうか? それと全世界の人々が競争しない世界と言うのは社会としてなりたつのでしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
チームで動く。日本も弱肉強食だけではないと意義だけ少し認識する人もでてきたと思います。別の文化から学ぶ。ここ数年移植が多く、きちんと他とあっているかわかりませんが。日本人自身いろいろ外からはいっているわりにかわってない感じもします。日本のよさに回帰が必要になっていくことはあるとおもいます。日本は競争しない社会ではないと思います・
- ryuken_dec
- ベストアンサー率27% (853/3139)
個人レベルの話で言えば、競争は加速していると思います。というのも、それは個人の権利が拡大しているからです。 No.1の方の回答にもありますが、昔の方が個人同士の競争は弱かった。それは個人に権利が無かったからです。 村や国という集団が大事で個人はその歯車でした。だから、個人が自由な意思を持って競争することなどできませんでした。 その後の世界もそうでしょう。貴族と平民という社会では平民は貴族と競争できません。政治に参加したり税金について意見する権利などなければ、緊急時には財産も没収になるのですから、競争になりません。 (底辺の平民同士で競争して財を築いても支配階級の一言で没収されるのであれば、競争する意味が無い) 財産を個人所有することが認められたり、自分の生き方を自分で決められるようになったりと、徐々に個人の権利が拡大したことが競争加速の原因でしょう。 今後の加速については、今以上に個人の自由が大きく認められるかにかかっているかと思います。 競争が無い社会というのは、誰か強力な支配者が全世界の人々の生き方を規定して、全ての人がそれに従って動く社会だと思います。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
>なぜインターネットが普及したは必然的だったのか? 情報収集の大事さは紀元前の社会から言われていることです。 これほど簡単に情報収集出来るツールが広まらないわけがありません。 それとは別に競争社会は変化はしているけど加速はしていないと思います。 農耕民族だった日本だって人間以外の動物と競争していたり、または水路を隣村と争っていたりと競争し続けているのが人間です。 単位や相手や競争する目的、方法が変わっているだけで、競争社会の激しさは変わりないと思います。 >それと全世界の人々が競争しない世界と言うのは社会としてなりたつのでしょうか? ひとりでも競争しようと思う人間が出てくると周りの人間は巻き込まれることになります。 人間の闘争本能や生存本能などが有る限り競争をなくすことは難しいです。
- tooma37
- ベストアンサー率25% (96/374)
>競争社会は加速しているのでしょうか?? 加速中ですね、歴史的経緯は概ねNo1に方の回答に賛成です(信長の時代から競争社会が加速し続けているような説明はどうかと思いますが)。現在も加速している理由としてはインターネットなどの情報技術の発達によりグローバル化が進み(あらゆる商品の売り手と買い手を国外に求める事が容易になったので、あらゆる業種で世界レベルの競争を強いられるようになっている)、個人レベルでも国家レベルでも競争から降りる=経済的困難に陥るという構図が出来上がっているからだと考えます。 >それは永遠と加速するのでしょうか? 現在おこなわれている競争は参加者全員にとって公平なものであるとはお世辞にも言えません。貧しいものは富めるものと比べて大きなハンデを負わねばなりませんし、発展途上国と先進国の間でも同じことがいえます。明確な不利益を競争社会によって被っているものが少なからず存在する以上、この不公正が緩和されない限りは競争社会に対する大きな反発はいつかおこるでしょう(共産主義という失敗例が既に一つあります。また世界レベルで考えても現在試行錯誤中のEUのような超国家的共同体が世界中で勃興するのであれば(それが失敗するとしても通信・流通技術の発達が共同体の規模を大きくする事は歴史的にも想像が容易です)一国一国が自国の利益の為に他国の利益を省みないという状態は縮小されていくのかもしれません。 >全世界の人々が競争しない世界と言うのは社会としてなりたつのでしょうか? 全く競争が存在しないという社会は人類全体にロボトミー手術でもして強欲と闘争本能を取り去らない限り不可能でしょう。しかし上記でもふれたような超国家規模の共同体がさらに統合され全地球的な共同体が生まれればグローバル化を抑制し競争を減速させる事は可能だと考えます。
- hokoko
- ベストアンサー率34% (31/90)
そのような質問をされるというのは、asp9999さんはただ単純に客観的といより、外から内、上から下に物事を見る人なんですね~。 本題ですが、競争社会は縄文時代なんかに比べたら全体として加速しているでしょう。縄文時代は、家や村の長を中心に独裁色が強く、競争は起こりにくく、皆が集団として団結していました。また、飛鳥時代以降は、封建制がより強くなり、自由な競争はできず、家柄や血族だけで地位が決まる世の中で、就きたい職には就けなかったはずです。 信長が発令した楽一令により、自由な商売が認められてからは、いよいよ競争は加速したのではないでしょうか。また、敗戦後にアメリカ文化が大量に入り、民主主義が強くなり、より自由な競争は加速したと思います。 競争社会が永遠に加速するかは微妙ですが、今現在は水平に近い右肩上がりのような気がします。少なくとも、減速はしないと思いますね。また、急激な変化も起きないでしょう。国が関税、法人税等の税率を変更したり、公定歩合を変化させて景気調整を行っているんで。 全世界の人々が誰も競争していない社会は、独裁社会です。したがって、独裁社会としての社会として成り立つのではないでしょうか。国家が強い権力を握り、国民が競争しても成果を出さなくしてしまうのです。今の北朝鮮ような。まー、役人になるための競争は起こるでしょうね。
お礼
ご返事ありがとう御座います。 大変勉強になりました。 今までの歴史で独裁社会から人々が自由に生活できる権利を得て、 その中で競争する事が民主主義だという事を忘れていました。。。 競争社会が悪いみたいな事をよく耳にし、競争することが本当に幸せなのか少し疑問に思っていたのですが、独裁社会の事を考えれば、幸せなんですね。 大変勉強になりました。 ありがとうございます。