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競争社会

人と競争することに疲れました。中学受験の頃から人と競争してからもう15年以上人と競争しています。点数、偏差値、順位など数字で判断され、社会人になってからはテストだけではなく人間性、普段の行いまで数値化します。いつになったらこの苦しみから解放されるのでしょうか?定年するまで我慢しなければいけませんか?

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  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.9

会社では確かに給与やボーナスで査定され、人事評価でも査定されています。 会社という組織は、そういう評価をすることによって社員のモチベーションをアップさせれるとかアップさせたいと考えているだと思います。 あなたが会社のトップにいて、この会社を大きくしたいそのために社員のやる気を引き出したいと考えたら、何を実行しますか? きっと今あなたが感じているような仕組みを行うのではないでしょうか。 まあ、社員の評価基準も誰かをサポートしたことが高く評価される仕組みになったら、お互いがお互いを助け合う形が見えるかも知れません。そうしたら、少しは居心地が良い会社になるかも知れません。 「世間を師とせず」という言葉を思い出しました。 あなたが競争という社会は「世間」の評価基準が一番にあるのだと思います。 学校で何番、会社でどんな地位にあるか、いくらの年収があるかなど、競争で勝ち取るものは「世間」の評価です。 問題は、あなたがそういう評価を拒否できるかです。 知らず知らずのうちに、あいつは俺より劣っているのに会社での評価が高いとか給与が上だとか思っていませんか。 そう思い始めていたら「世間病」です。 そういう病理に罹っているのに、おれは競争は嫌だというのは虫が良すぎますよ。 自分は「世間」の評価を気にしない。自分で自分を評価すると言い切る以外に脱出方法はありません。 偏屈者、変り者、そんな他人の評価を受ける覚悟ができるまでは隠れているしかありません。

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。周りの評価を気にしすぎているのかもしれません。しかし、周りの評価によって給料が決まるので、気にしない訳にもいきません。どうしたらいいでしょうか?

その他の回答 (8)

  • roadhead
  • ベストアンサー率22% (852/3790)
回答No.8

何らかの組織に所属したり依存している限り抜け出せません。 競争が嫌なら自分だけで生きる道を探してください。 好きな事だけやって生きることが出来るならその様な道を探す事も可能ですが既に他人がやっている事なら必ず何らかの競争があります。 競争相手がいないような仕事や生き方を探してください。 私は過去に身体を壊して入院してからは競争をやめてそういう生き方をしています。 贅沢言わなければ結構何とかなるものです。

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。しかし、多少は贅沢したいです。どうしたらいいでしょうか?

回答No.7

プライドが高すぎるから疲れるのです たとえ負けても、劣っていても頑張ったのなら悔いはないはず そもそも、そんな順位や勝ち負けなんて他人が作った物差しです 自分がそこそこ楽しければそれでいいじゃない 趣味とかスポーツとか別の楽しみを見つけましょう

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。あなたの言うとおり、楽しんでいないのだと思います。楽しめるなにかを探します。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.6

ある程度は、やむを得ないですね。人間以外のすべての生き物は、死ぬ間際まで食うか食われるかをやっているわけですからね。地球の生命体の宿命ですね。 どうしてもそういう世界から抜け出したいなら、出家するくらいしかないでしょうね。でも人間は出家すればそういう生き方もできるわけですから、嫌でもなんでもそういう世界で生きなければならない他の生物よりマシかもしれません。

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1512/3682)
回答No.5

「一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。 現在は過去と未来の間に劃(かく)した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」 これは百年以上昔に書かれた小説の有名な一節(森鴎外 「青年」)ですが、21世紀の令和の時代になっても根本的には変わっていないように感じます。学校時代も社会人になっても「競争社会」を「駆け抜けよう」「成し遂げてしまおう」とする人が多いのですが、それはストレスの多い、気が休まらない生活が継続するということです。 ただ、定年を迎えて人生の残時間を気にするようになると、「我慢して競争社会で生きていくか・我慢せずに競争社会を離脱するか」という単純な二者択一ではないということに気づきます。 今から40年以上昔、就職して新人研修を受けていた時、現場から来ていた40代の講師が次のように語りました。「同期会というものは、新人の頃は「スカッとさわやかコカコーラ」(時代を感じるたとえですね)のようなものだが、だんだん「ほろ苦いビールのような味」になり、自分くらいの年齢になると「味の素をそのまま舐めたような何とも言えない味」になる」 40年余りたって、その通りだったと思いますが、さらに付け加えるなら定年を過ぎ、再就職先からもリタイアする年齢になれば「さらっとした水のような味」になりました。同期会が「ほろ苦くなる」のも「何とも言えない味になる」のも、他人と比較するからです。サラリーマンの世界では人事考課や昇進・異動などの少しの違いでも一喜一憂して、劣等感や疎外感を持ってしまうことが少なくないのは事実です。 ただしそのうちに、単純に昇格・昇進レースのトップを走ることが必ずしも幸福ではなく、自分のやりたい仕事をやれてそれが評価されることの方が生きがいを感じられるのではないかと、負け惜しみではなく思うようになりました。この辺りは人それぞれで、管理職のトップを目指す優秀な人材もいなくては組織としては困りますが、全員が同一方向に一斉に駆け出して競走する必要はなく、現場で専門職として「余人をもって代えがたい」仕事に打ち込む人も重要だと気が付いたのです。競争といえば競争ですが、対戦する相手は他人すべてではないということです。 職場の同期会も学校の同窓会も、ある年齢を過ぎると職場などでの競争の話題が少なくなります。それより自分の健康や親の介護、子どもの就職・結婚など「生活」に密着した切実な問題が話の中心になります。そこにはまぎれもなく「生活がある」からです。

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。時がたてば考え方も変わっていくのですね。時間が解決してくれることを望みます。

回答No.4

自分自身で「自由になった」と思えば解放されます。 例えば、今の仕事の能力を生かして自営業として独立することはできませんか? 不自由ない程度の稼ぎを手に入れて、それで満足すると自由になったと思えるかも。 あとは有名企業なら昇進はある程度諦めて、「このくらいでいいか」と思うとか。 働いていると出来のよさ、悪さ、人間性も数値化されて生きづらいですね。自分の趣味などにお金を使って、たまには息抜きしてくださいね。

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。妥協することも大事ですね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.3

十分な財産を手に入れれば後は働く必要も競争する必要も無くなります。それを目指してください。

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。十分な財産とは具体的にどのぐらいですか?

  • kukurin5
  • ベストアンサー率23% (121/511)
回答No.2

そうですね、今の会社にいる限り競争は避ける事は出来ないのかな…いっそのこと出世を諦めマイペースで生きていければ楽でしょうね いつの時代も多かれ少なかれ競争はあり他人と比較されてきたと思いますが、今の時代は特に激しいと思います 他人を蹴落とし、のしあがっても果たしてそれが幸せかなとも思います 贅沢をして良い暮らしをしたいのであれば、どんどん競争に勝ち抜き出世しなければいけませんが、私の知り合いで苺農家をしている人がいますが、美味しい苺を作り皆から感謝されながらマイペースで働いています 確かに私の知らない所では色々な苦労は当然あるでしょうが働き甲斐はあり、ギスギスして働いてはないでしょうね

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。無理せずマイペースに生きていきます。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1726)
回答No.1

あなたが変える

24143324
質問者

お礼

ありがとうございます。何を変えるのでしょうか?

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