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聖書の実存論的解釈の質問です
「ぶどう園の労働者のたとえ」の実存論的解釈の質問です。 私の考えは、 「仕事では、出世において、抜かれていたまたは、抜いてしまったことはよくある。 自分が逆の立場になることもあるから、現状を受け入れることが大切である。」 このような解釈は間違いですか? 回答よろしくお願いします
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神の御前では、下賎な金儲けで「勝ったり負けたり」する事に意味はない。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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▲ (マタイによる福音書/ 20章 01節) 「天の国は次のようにたとえられる。・・・ ☆ と話を始めるにあたってはっきりと言っているのではないですか? 全体が たとえ話である。のですよね。 地上の国でおこなわれている《雇用における賃金をめぐる慣行》については 特に何も語っていないのではないでしょうか。 * 仕事をした時間――そして一般にそれに比例した成果を挙げるというその成果――に応じて 報酬を与える・得るというのは 経験的な原則であると考えます。 その原則的なことがらについて この聖書のくだりは 否定しているのではなくまた直接には論じてもいないと考えます。 問題は 金銭的な報酬以上のものをも見る必要があるということ。これではないのでしょうか? では ただちにどんな別の報酬が得られると言うのか? と問われると 心許ないのですが それでも語っていることとしては 仕事の時間や成果に必ずしも比例するという報酬ではない報酬 これを言おうとしているのではないでしょうか? しかもその何であるか分かりにくいナゾの報酬は 誰れにとっても 平等であると言っているのでしょう? 空想的ですが このほうが ★ 実存論的 ☆ な意味合いを見て取れるようには思います。 *
#1さんのおつしやるとほり、「後に居る者が先になり、先に居る者が後になる」といふ結論が示されてゐる以上、まづは、その範囲で考へる、あとは#1さん#2さんご指摘のやうに、解釈は個人の自由です。 私は別のページで無責任なことを書きましたが、職場に適用すること自体に無理があると、思ひます。すみませんでした。
- NemurinekoNya
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「仕事では、出世において、抜かれていたまたは、抜いてしまったことはよくある。 自分が逆の立場になることもあるから」 から 「現状を受け入れることが大切である。」 に、論理的な飛躍がある。 「…逆の立場になることもあるから、追い抜かれないように頑張ることが大切である」 など、どうとでも言えます。 「…であるから、そいつを殺してしまうことが大切である」 「…であるから、そうならないように他人の足をできるだけ引っ張るべきである」 とも言うことだってできます。 つまり、前提と結論の間に論理的必然性がありません。 質問者さんのお考えを述べたものに過ぎません。 まっ、そういうことで。
こんにちは。 すみません。 実在論というのがそもそもあまりよく解っていないのですが。。。 該当の箇所について私の理解は「後に居る者が先になり、先に居る者が後になる」という所に論点が置かれていた様に思います。 そしてこの論点は天の国に関する教えですから、真の意味で真実を回答できる人はおらず、せいぜい教派の解釈などを説明するに留まると思います。 ですから、ご質問のような解釈としては処世術の一つとしてその様に解釈するのは問題ないかと思うのですが、聖書の解釈として正しいか否かを答えられる人がいたら恐らくその人は預言者です(笑)