>日本人はいつから一週間単位で労働したり休んだりするようになったんでしょうか?
明治政府が明治5年の旧暦(太陰暦)12月2日の翌日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日と改めたときからです。
>これってキリスト教?ユダヤ教?の慣習ですよね?
現在の日値曜日を休日としたのはキリスト教、ユダヤ教共通の習慣です。
イスラム教では、現在の金曜日が休日です。
いずれにせよ、一週間単位で日にちを区切るのは共通しています。
日本では単に休日とだけ捉えられていますが、敬虔なキリスト教徒やユダヤ教徒、イスラム教徒にとっては安息日とされて、教会へお参りに行く日です。
教会へ礼拝に行くためには仕事を休む必要があるだけのことでした。
現在のアメリカでも、口うるさい年寄りが、若者に教会へ行けと小言を言います。
キリスト教国でもないのに何故?というのは大きき分けて二つの理由が考えられます。
一つは、あらゆる技術、学問の先生として、キリスト教圏の人達を国家の費用で招聘していました。
この人達が、日曜日に休んだり教会へ行きました。
生徒も仕方がないのでお休みということになりました。
もう一つは、何でもかんでも西欧風の習慣を取り入れてた時期ですから、週間単位で生活するリズムを取り入れました。
もし、このときにイスラム教圏から文化や技術、学問を学んでいれば金曜日が休日となっていたでしょう。
>その前はどうしていたのでしょうか?
日にちを一週間単位で考える習慣がありませんでした。
精々二十四節季と呼ばれる、一年を二十四等分した考え方があっただけです。
今でも、立春、春分、夏至、立秋、秋分、冬至、大寒などと名前が残って使われています。
この基本的な考え方は農作業の目安です。
農作物という植物相手の仕事ですから、人間の都合で手を抜くという訳にはいきませんから、一週間単位での休みなどいものはありませんでした。
精々農作業のない、大寒から立春の間に新年のお祝いとかいって休みました。
後は、農作業が一段落した夏のお盆に休みました。
まぁ~一年中働いていたと思ってください。
ただし晴耕雨読と言われるように、天気次第では、何もやることが無い日が沢山ありました。
江戸時代のお侍さんでお城勉めがある人は月に数回当番の日にお城へ出掛けていました。
TVの時代劇によく出てくる八丁堀の捕り物のお侍は、ひと月置きに外回りをして、外回りがない月は、お奉行所で書類整理などしていました。
江戸時代に下役のお侍の中で一番忙しかったのはこの人達でした。
偉い人は毎日セッセとお城の中で仕事をしていました。
ということで、全国的に皆が同じサイクルで休むというような習慣はありませんでした。
日本だけ日曜日だろうが土曜日だろうが働けばいいではないか、というのは高度成長期のサラリーマンがやっていました。
今のように労働時間がどうのということをお互いに喧しく言いませんでした。
文字通り、夜討ち朝駆け休日出勤の毎日でした。
やがて、世界中から嫌われてWorkaholic=仕事中毒と言われました。
日本人はウサギ小屋に住むワーカーホリックだ、と言われました。
日本のサラリーマンは自嘲的に、オレの家はうさぎ小屋といっていました。
1973年以降オイルショックで不景気になったころから労働時間がどうのこうの、他の国なみに休もうということになって現在の姿になりました。
ご希望とあれば、一年中働いてください。誰も止めません。
但し、働かされたと言うと問題が起きますので、あくまでも自主的に働いていると言ってください。
お礼
さっそくの回答ありがとうございます なんでこんな概念が導入されたんでしょうかね?あんまり意味が無いと思うのですが