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ユダヤ教とキリスト教の違い

ユダヤ教とキリスト教っておんなじものだと思っていたのですが、 この前、 ユダヤ人は、キリストを認めていない?と聞いたのです。 ユダヤ教とキリスト教の違いをご存知の方は是非、教えてください。 よろしくお願いします。

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noname#118466
noname#118466
回答No.3

ユダヤ教は人類発祥から説き起こす「旧約聖書」をもつキリスト教よりはるかに古い、唯一の神ヤハウエを信じる一神教です。現在ユダヤ人と呼ばれる人々を率いて囚われの地エジプトを脱出したモーセは神の啓示を受けて、ユダヤ人こそ唯一神に選ばれた民であり、神の教えを実践すればやがてメシア(救世主)が現れユダヤ人のために神の国が作られると説きました。その言葉に従って生活全般を規制するモーセの立法を実践する宗教がユダヤ教です。ユダヤ教の対象はユダヤ人なので民族の宗教ともいえます。 一方、キリスト教はそのユダヤ人社会から生まれた新しい宗教です。キリストとは メシアが遣わした者であり、キリストは人類(ユダヤ人だけではない)をその原罪から救うために身代わりとなって磔になりました。後にキリストの弟子達がその教えを書き物としてまとめたのが新約聖書です。ユダヤ教では立法を厳しく実践することによって己の間違いを正すのに対しキリスト教では過ちを認めて神に許しを請えば許されるという違いがあります。どちらの宗教も社会の底辺にある虐げられた人々に信仰された宗教です。ユダヤ人を対象とする民族色の強いユダヤ教と人類全体を救いの対象とする新興宗教キリスト教、厳しい戒律のユダヤ教と日ごろの行いに関係なく許しが得られるキリスト教の違いが今日の勢力の差となって現れたのかもしれません。注意しなければならないのは、宗教には必ず少しずつ異なる考えをもつグループが宗派を形成しているこどです。また成立期、成長期、完熟期によって自らの宗教に対する解釈も異なることです。宗教は安易に論じることは出来ません。

shoulder99
質問者

お礼

「宗教を安易に論じることができない」の安易とはどういう意味ですか? この質問のようなものが安易ということですか? それとも理解を簡易にすることですか? 書いていただいている内容はある程度理解できるのですが、 そこ(宗教を安易に論じることができない)にいたるプロセスが よくわからないのです。 この書いていただいている内容だけから見ると、 「ユダヤ人こそ唯一神に選ばれた民」というのは明かに狂っていますよね。 第二次世界大戦時の日本が「日本は神の国で・・・・」といってるのと たいしてかわらないような気がします。 ところで ユダヤ教徒は、キリスト教徒を嫌っているのですか? 逆に、キリスト教徒は、ユダヤ教徒を嫌っているのですか?

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noname#4713
noname#4713
回答No.5

ユダヤ人は世界に散らばっても、独自の宗教・習慣を厳格に守って、移民先の人々とは同化しないですよね。それに教育水準も概して高く、偉い学者や、また各国の経済・金融面で力を持ってる人が多いです。 だからユダヤ人がその国である程度勢力を増してくると「移民などに自国を牛耳られたくない」つまり、キリスト教徒がユダヤ教徒を嫌うというよりは、民族主義者がユダヤ人の台頭を嫌がるんでしょうね。ナチスのユダヤ人全滅計画とかも、ドイツの経済危機&裕福なユダヤ人→ゲルマン民族主義、という流れなんじゃないでしょうか。 そこに宗教を持ち出して、「ユダヤ人はイエスを殺した卑劣な民族」とかいって迫害の1つの理由にするわけです。 キリスト教の側もそれに関して何もしなかった(加担した?)んでしょうね。ローマ法王は昨年のミレニアムにあたり、ローマカトリック教会がユダヤ人の迫害を黙認していた歴史があったことを謝罪したみたいです。 宗教を理由にユダヤ人を迫害するというよりは、宗教の違いがそうしたものに利用され得るってことでしょうかね。

noname#118466
noname#118466
回答No.4

補足に対して。 >宗教を安易に論じることは出来ない。 不特定多数を相手とするこのような場(サイト)で宗教について深入りした議論は避けたいという意味です。宗教についてはいろいろな考え方の人がいるので時に際限のない論争に発達します。海外ではパーティの席上あるいは初対面の人と宗教の話をするのはタブー視されています。 >キリスト教徒とユダヤ教徒は・・ ある宗教を信じるということは好き嫌いのレベルではないと思います。キリスト教徒は仏教徒が好きか?好き嫌いではなく、相手の宗教を理解しようと努め、認めるかどうかでしょう。認めない場合、宗教戦争となり、やがて国家間の戦争へと進むでしょう。

noname#4713
noname#4713
回答No.2

現代のことは私はあまり分かりませんが…。 歴史的には、おおざっぱにいえば、もともとイエス・キリストはユダヤ人でユダヤ教だったのです。 でもイエスは当時のユダヤ教の陥っていた形式主義的な戒律重視や排他性、宗教指導者たちの腐敗に対してそんなものは偽善だと痛烈に批判し、一方で愛と平等を説いて、メシア(救世主)を待望する主に下層階級の熱狂的支持を得ました。 そしてこれに危機感を持ったユダヤ教指導者によって告発され、反逆者として処刑されたわけです。 「メシア」とか「神の審判により悪は滅ぼされる」の様な概念はユダヤ教から受け継いでいるものですが、キリスト教というのはそこから発展して、より内面的・普遍的な教えになっているということでしょうかね。 使徒パウロも、初めは熱心なユダヤ教徒でキリスト教迫害の急先鋒だったのですが、後に改宗して最大のキリスト教伝道者となったということです。 ちょうど今夜10時からNHK教育で「ドキュメント地球時間『再現!イエス・キリストの生涯(2)』」というのがあるみたいです。多分この辺のことがでてるんではないかと思います。

shoulder99
質問者

お礼

残念です。これを見たのが、すでに午後11時過ぎ・・・・ でも参考になりました。 ありがとうございます。

  • ki61
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回答No.1

ユダヤ教とキリスト教の違いは、 キリストを認めているかいないかです。 キリストを認めているのがキリスト教、そうでないのがユダヤ教です。 聖書には旧約・新約があり、旧約はモーゼが書き、 新約はキリストの十二使徒のうち四人の弟子の書いた福音書と、 他手紙類などから成っています。 新約聖書では、キリストはモーゼの子孫である、と記されています。 旧約聖書の中に「救世主(メシア)が現れる」と著されており、 キリスト教ではこの救世主をイエス・キリストとしていますが、 ユダヤ教はこれを認めておらず、救世主は未だ降臨していない ということになっています。 それというのも、キリストがナザレという町の生まれだったからです。 当時「ナザレからは最悪のものしかでない」と言われていたからです。 イエスの父ヨセフはナザレで暮らしており、 イエスも成長して教えを説き始めるまでそこに一緒にいました。 新約聖書によれば、キリストはユダヤ人の司祭の前で たびたび奇跡を見せたそうですが、 彼らはこれに難癖をつけて認めようとしませんでした。 彼らもたびたび問答を挑みましたが、 彼らが出す問題にキリストがことごとく答え、またそれによって恥をかいたため、 キリストのことを恨み、「ナザレ人イエス」と罵り、 数々の謀略でとうとうキリストをゴルゴダの丘で処刑してしまいました。 どちらも聖書を聖典としているのですが、救世主がキリストか、 未だ降臨していないかが両者の違いです。 キリストの説いた教えは当時の宗教慣習に背くものであったため、 その教義(宗教慣習)にしても若干の違いがあります。 キリスト教ではその慣習の違いを、 「間違っていた聖書の解釈を正しい方向に直したため」 と言っています。

shoulder99
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほどそうなんですか。 じゃーユダヤ人は、「クリスマス」を祝わないのですか? クリスマスのかわりのものとかあるんですか? よく知りませんが、「モーゼの日」とかあるんですか? あと、「復活際」というのは関係ありませんか?

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