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遊び

大人の遊びというものを知りたく。 宜しくお願い致します。

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  • Nakay702
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回答No.3

>大人の遊びというものを知りたく。宜しくお願い致します。 ⇒以下のとおりお答えします。 「遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」(和漢朗詠集)と歌われたように、とにかく人間は遊びが好きですね。古今東西を問いません。要するに、homo sapiens「英知人」はすべからくhomo ludens「遊戯人」である、というわけです。 人間、遊びがないと生きていけないとさえ言えるかも知れません。遊びを知らずに、退屈しすぎて死んだ人がいます。また、最高級の遊び(?)と称して命をかける遊びがあります。例えば、ロシアンルーレットなどがそれです。 R.カイヨワ『遊びと人間』によれば、遊びは、(1)アゴーンすなわち「競争」、(2)アレアすなわち「偶然」(ルーレットはまさにこれ)、(3)ミミクリーすなわち「擬態」(ごっこ遊びなど)、(4)イリンクスすなわち「目眩・興奮」(ジェットコースターなど)の4種類に分けられると言います。すべての遊びが、これらのうちのいずれか1つ、またはその複合であるとされます。 さて、「大人の遊び」と聞いて、すぐに思い浮かべるのが「アレ」です。ただし、「アレ」は子孫繁栄に貢献する気にさせるためのインセンティヴ(誘因)かプレミアム(報償)のようなものでしょうが、我々は多くその後者のみ求めるので、それが「遊びその4」とされる所以でしょうね。そして、“SM”などになると、その遊びは、「遊びその4+3」と、いわばバージョンアップするということになりますね!? ところで、子孫繁栄と関係なくそれをするのは、人間(とサル)だけだそうです。(サルにオナニーを教えると、死ぬまでやる場合があるそうです)…。おっと、削除の対象になりそうなことまで敷衍してしまいましたので、このあたりで止めます。ナンマイダブ、ナンマイダブ。 以上、遊びに対する、遊びのようなご回答まで。

kurinal
質問者

お礼

Nakay702様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 むむむ A.No1様のご回答は、そのような文脈で捉えなければ、 真の意味が解らない、のですね、多分。

kurinal
質問者

補足

RX??

その他の回答 (6)

noname#214841
noname#214841
回答No.7

「お礼」ありがたうございます。 >>あまり「お奨め」は出来ませんか? 「文章表現」は基本的に自由ですから、「お奨め」もなにも、みんな好きにすればよいのではないでせうか。kurinalさんの、考へさせる投稿文も好きです。中立の誤解は、大笑ひしました。 ただし、肝心なところでは、万人(といつても無理でせうけれど)にわかるやうな表現が必要でせう。一部に見られる極端に難解な表現も、一種の「殴る」だと思ひます。すこしづつ良くなつてゐるやうですが。私も「殴る」つもりではなくても、さうなつてゐる場合があるので、気をつけます。 これが遊びで、君たちはすぐに壊れるおもちゃだ。 すべては筋肉だ。

kurinal
質問者

お礼

plapota様、おはようございます。 大人になりたい。 ・・・いや、ちょっと待てよ。 そんな、こんな。

回答No.6

正義の味方である私は弱い者いじめが嫌いだ。 でも反面、そんな弱い者いじめが気持ち良い。 男の中の男で女性にモテモテの男子プリキュアである私は、そんな悪に悪の安らぎを見いだした。 よかろう。 自ら悪を名乗ろう。 これが遊びで、君たちはすぐに壊れるおもちゃだ。

kurinal
質問者

お礼

Flareon様、 キター マニアが来た。 >「すぐに壊れるおもちゃ」 これは、褒め言葉ですか

回答No.5

子供は、本当の社会的義務はないので、全て遊びだと 言えなくはない。 大人になって社会的義務が生じ、あるいは分業によっ てお金のために働かされるに及び、その他律的労働に 対して、自由な意志の発露=楽しみとしての遊びが 派生する。 本来、生物にとって生きる事自体(社会生物としては 働く事)が目的=喜びであるべきなのに、分業化の発 達において、その自己の生命性の社会的拡張を自覚化 できるだけの認識の深化を怠り、お金や出世といった “馬車馬の目の前のニンジン”によって、他律的に社 会性のコースを走らせるようになった結果だ。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 なるほど。 「ライフ・ワーク・バランス」ということについては、 どうですか?

noname#214841
noname#214841
回答No.4

「大人の遊び」の手軽なものは、文章です。 ことばで、現実や概念や感情を表現する、これは完璧にできるものではありません。遊びがまじつてしまひます。 kurinalさんの、短い表現など、その最たるものでは、ないでせうか。短いがゆゑに、解釈の多様性が生れます。意図された意味から、とんでもない妄想まで、いくらでも可能です。これこそが遊びなのでせう。 問題は、「遊び」の内容を理解できない人がゐる場合です。「遊びをせんとや生まれけん」が何を指してゐるか判る人は多いでせうが、なぜ『和漢朗詠集』が出てくるのかは、私の『百人一首』の投稿文を読んだ人でなければわかりません。 最近、アンケートも外国語も、「大人の遊び」だらけで、私自身も、だれがだれなのか、区別がつかない状態です。

kurinal
質問者

お礼

plapota様、ご回答ありがとうございます。 >「文章表現」 「遊び」として、どうでしょうか? あまり「お奨め」は出来ませんか?

回答No.2

もう何十年か前に「遊び」をめぐって、ホイジンガとかロジェ・カイヨワという歴史家・哲学者が本を著し、議論されたことがあり、私もちょっと読んだことがあります。 遊びというのは、たいてい子供がするもので、大人がすることは滅多にありません。 子供心を失わない大人が、自分の子供時代に帰ったつもりで、遊びに熱中するときはあります。 たぶんノスタルジアなんだと思いますが…・ 子供はまだ社会の掟に縛られない、柔軟性があり、様々な可能性に満ちていますから、遊びを通じて、それをさまざまに試行錯誤をしている、あるいは予行演習をしています。 だけど、大人になるにつれ、自分の頭も、自分の身体も、社会的な規範に染まって、柔軟性を失い、それで遊びをしなくなります。 手段と目的で、目的に役立たない行為は利益にならないと判断し、徐々に目的がなく手段のみの遊びに興味を示さなくなります。 遊びというものは目的を持たないものですから、遊んだからと言って、何にも役に立たない。 無償の行為のようなものです。 身体は人間が社会人になると職業に相応しい身体様式を備えるようになり、柔軟性を失って行きます。 警察官には警察官らしい身体の振る舞いがあり、また学校の先生もその職業に相応しい身体の行動様式があります。 だから、他人から見て、いかにも警察官らしいと感じるものがあり、第三者にもそれが分かります。 つまり一定の行動様式が身体に備わっており、それ以外の行動様式が取れなくなります。 一定の行動様式が備わっている大人が、遊びに興じるとしたら、子供時代の行動の柔軟性を取り戻したいという願望があるからだと思います。 具体的に大人の遊びにどのようなものがあるか、私は良く知りません。 クレー射撃をやっている友人がいて、毎週週末になると車で県下にただ一つの射撃場に喜び勇んで駆けつけるのを見て、私なんかはなんでそんなものが面白いのか、呆れた思いで眺めております。 大人の遊びには私たちには理解できないものが多いように思います。

kurinal
質問者

お礼

urigadai2013様、ご回答ありがとうございます。 「「遊び」とは、子どものもの」とは、 動物の番組を見ると、よく見かける光景です。 曰く「遊び」とは「準備」である・・・ >「遊びというものは目的を持たないものですから、遊んだからと言って、何にも役に立たない。 無償の行為のようなものです。」 不肖の世代では、学生時代から「レクリエーション」なる表現が、よく聞かれたものです。 あるいは「レジャー」でしょうか。 あるドラマで、こんなセリフがありました。 「酒を飲むために、山に登っている」 そんなことを言って、後輩には飲酒を強制したりもしている。 半世紀も前の話でしょうけれど。

noname#214841
noname#214841
回答No.1

この質問は、規約違反ではないでせうか。このサイトには、何かフィルターのやうな機能があつたと思ひます。

kurinal
質問者

お礼

plapota様、ありがとうございます。

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