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坊主頭の意義

男性が坊主頭にすることは心理学的にはどう説明されるでしょうか? 坊主頭にすることで男性の心理はどう変わるでしょうか? 経験者の方のご意見もお待ちしてます。 (^$^)

質問者が選んだベストアンサー

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  • kawakawa
  • ベストアンサー率41% (1452/3497)
回答No.5

坊主頭にするケースにも色々あると思うのですが、ご質問の意図としては、「謝罪」或いは「反省」或いは「懲罰」を目的としての坊主頭であると解釈して回答します。 ある筋の方々は過ちを起こしたときの責任をとるのに指を詰めたりするようです(最近はあまりないそうですが)。体の一部である髪の毛を無くしてしまうというのはこれと本質的には同じであると定義付けすることができます。 自分の大事な一部をなくしてしまう程の反省・謝罪を込めているということと、見せしめとしての懲罰ということですネ。 源平の時代から、何かあったときに出家して責任をとるという方法がありました。俗世間とのつながりを完全に断ってしまうという非常に重いことでした。 また、江戸時代なんかでは、命の次に大切なチョンマゲを落とすということは、死と同等に近いほどの屈辱であり、懲罰であったといえます。 これらの習慣が現在にまで受け継がれてきているのでしょうネ。 kawakawaでした。

noname#2813
質問者

補足

みなさま、お返事ありがとうございました。 坊主頭にするということは、つらいことに専念すると言った意味合いがあるのではないかと感じました。 あるいは、気合いをいれると言った意味もありそうですね。 わざわざ切っている人は皆特殊な人が多いですからね。

その他の回答 (5)

  • vw411
  • ベストアンサー率41% (12/29)
回答No.6

現在坊主頭をしているので、経験者ということで、 更に、実は、1年ほど前までは、肩より長いロン毛をゴムでくくって、所謂ポニーテール状態でありました。 格好つけていたのかもしれませんが、ものすごく格好悪かったのは、実は自分でもよく解っていました。 それでもかなり長いこと(10年ぐらい)続けておりましたのは、やはり主義(所謂反体制)だったからでしょうか、髪の毛がー長いとゆるされないならー(戦争を知らない子供達より)と言うあれです。(といっても私は20年ほど時代遅れでしたが、ははは) 自分で切るのは、構わないが外的圧力に負けて切ることだけは、絶対にすまいと思い続けてきました。 その後アメリカに住むようになってから、敵(体制派)の数は、めっきり減り、あああの人はロン毛なんだな。だけの事。肩すかしのようになりました。ははは。 それでも音楽関係の仕事の事もあり、まあスタイルとして 所謂ちょんまげ状態は、続けておりました。 しかし不幸な事に血には勝てず、さらにちょんまげにより髪にテンションをかけ続けた結果もうおわかりでしょう、 私の頭頂部は、かなり寂しい状態になりました。 自然に周りからはsamuraiと呼ばれ、とほほ。 さて一年程前に、禁煙をしようと思いつき、それは、めっきり弱くなった自分の意志に腹が立ち何かに挑戦したかったためです。それまで毎日30本程吸っていた私には、 禁煙なんてほぼ不可能な事に思えましたので、もしこれができたら私の意志もまだすてたもんじゃないと思いました。その時に同時に自分で、坊主頭(スキンヘッド)にしました。こんな醜い頭になってしかも禁煙まで失敗したら 私は本当に格好悪いなあという所に自分で追い込みました。あれから1年ちょっと経ちました。禁煙は続いています。いまではたばこの臭いも不快ですので、一応は成功したと思っています。スキンヘッドだと周りの人が怖がるので坊主頭、自分で週に1回バリカンで、一番短く3ミリ位に刈ります。更に不幸な事に私の頭の形がとても悪くとがっているため。我ながら醜いですが、別に同じ醜いなら、坊主頭の方が、実用性がよい(簡単に髪が洗える)と今では思っている。それに頭髪がどうあれ今から女にもてる訳がない。という私の経験談でした。長くなってすいません。それから余談ですが、アメリカの確かバスケットの試合で、審判の判定に抗議するため翌日の試合でチーム全員が、坊主にしたことがあったと思います。坊主頭が抗議の意味があるとは知らなかった。では。

  • Isaisa
  • ベストアンサー率15% (5/32)
回答No.4

「自分からする」のと「他人から「される」のは「違う」ということです。 確かに「利点は」ありますし「欠点も」ありますよね。 しかし、「自分」OR「他者から」は違う。 「自ら」だと、「意志表明」的なのに対し、 「他者から」だと「意志確認(他者からみて)」となります。

noname#2813
質問者

お礼

専門的に説明いただきありがとうございます。

noname#2813
質問者

補足

毎度お騒がせのppooooです。 >わざわざ切っている人は皆特殊な人が多いですからね。 このように書くと不快に思われる方もいらっしゃるかと思います。蛇足でした。すいません。

  • isuke
  • ベストアンサー率34% (12/35)
回答No.3

私は坊主頭を愛好していた者です。その機能性、経済性に心酔しておりました。電動バリカンを買ってくれば(大体一つ一万円以下)、二、三回の散髪代が浮きますし、なんといっても洗髪がものすごい楽です。朝起きてもセットする必要がないので、ギリギリまで寝ていられます。  ただ、あまりにも合理性にすがり付いていると、異性の目などまるで気にしない自分が存在していました。これではいけないと、今は髪を伸ばし始めたわけです。まあ何も変わらなかったんですけどね(苦笑)  心理面ではどうでしょうか。僕自身、坊主にしていた時には、ストイックな気持ちが少しあったように思います。もともと野球部でしたので、さあこれからやってやるぞ、という意気込みが強まりました。(別に強制されていたわけではないので。念のため。)だから、内面にすごく目がいっちゃう訳です。そと、特に人の目とかは全く気にしていませんでしたね。僕だけかもしれないですけど。

  • yamano
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.2

髪の毛は、頭、脳を保護するためのものです。 その他の体毛もサルから進化する際に、 必要があって残っているものです。 体毛が残っている近辺のモノを保護するために 残ってます。 職業的制約(寿司職人など)がある場合を除いて、 坊主頭にするということは、自らその天賦の保護機能を 放棄することを意味します。 つまり、坊主頭は、現在の環境(物理的・精神的両面)に 安心をして生活しているという、心理状態の 表現なのです。 ですから、社会的には、体制派に坊主が多く、 反体制派にロンゲが多いといことになります。 正規軍は坊主で、ゲリラはロンゲ。 ベートーベンがロンゲなのも、芸術で世の中を 変えたいという当時の体制に挑戦する心の表れです。 坊主頭のパンクロッカーは偽物だと見る必要があります。 かな?

noname#2813
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 坊主が安心につながるということは勉強になりますね。

  • nihonrisu
  • ベストアンサー率25% (9/35)
回答No.1

私は、高校生の頃、テニス部に所属しておりました。 ずっと長髪ですごしてきましたが、試合(団体戦) に負けて、顧問の教師の手で、団体戦メンバ全員が、 坊主にされました。 今までは、少なからず女の子受けする行動をとっていた のですが(無意識のうちに)、その瞬間、どうでもよく なりました。出家したようなものです。女の子にもてる よりも髪の毛が伸びるように、努力のベクトルが変わり ました。指でひっぱたり、たたいたり、不老林をつかった り・・・ 顧問の計算違いは、テニスに対する努力の方向 に私(達)を方向付けられなかったことでしょう。 しかしながら、 すくなくとも、なにかしら新しいものに熱中できる 心理状態がつくれることには違いありません。

noname#2813
質問者

お礼

顧問のかたの予定ではテニスに集中できる人間になってもらうはずが、逆の結果になってしまったわけですね。 そういうケースもあることは勉強になりました。 ありがとうございます。

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