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主語の認定について質問です。
質問者 seoyoungjpさん 2014/7/420:07:36 主語の認定について質問です。次の例文における「が」格名詞(括弧内)は主語ですか。 「が」格をとっているし対象格でもないので主語かなと思ったのですが、 従属節の中に入って従属節全体で意味をなしているようにも思われます。 いかがでしょうか。 例1:ある雪のつもる寒い冬の日、学校が休みとなり、彼女をいたく喜ばせた。(学校が) 例2:三時間めの板木がなるとともに行進曲にかわり、みんなの足どりをひとりでにうきたたせて、しぜんに教室へみちびいていた。(板木が)
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- kine-ore
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#4です。 >ただ、「小石先生」がかかるのは「オルガンをならしていた」までで、「しぜんに教室へみちびいていた」までかかるかについては少し疑問に思われます。 : まず、素材でしかない名詞「小石先生」だけでは叙部にはなりません。 そして、この叙部「小石先生だと」とは変則的言い方で、「小石先生だったので」「小石先生であったらばこそ」といった条件節(確定過去・習慣)の意味を成す話し言葉的表現であり、その意味からしてそもそも主語というよりは何より取り立ての題目語であり、そして1)「オルガンをならしていた」、しかもそれによって2)「しぜんに教室へみちびいていた」の二つの継次述語に対して主格補足を兼ねた連用修飾語となっている構造と見ています。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
例1. 一般的な文章であれば次の流れになるでしょう。 1)ある雪の降り積もった寒い冬の日(のことだった)。 2)その雪で交通機関が滞ったため学校が休みになった。 3)そのおかげで彼女はいたく喜んだ。 この3文を1文にすると、 1)ある雪のつもる寒い冬の日、…時の名詞は接続助詞などなしで単独で連用修飾語となれる。 2)学校が休みとなって(なったので)、…接続助詞での一般的用法 3)彼女はいたく喜んだ。…主語(彼女(は/が))、述語「喜んだ」 ところが、実際の「楡家の人びと」において、北杜夫は、2)を連用中止法での切り詰めた表現を選択したことで、原因や理由を表す接続助詞が使えないため、3)を本来の主格である「彼女」を目的格においた使役文にしてバランスを取ったものでしょう。 「連用形に関する問題です」 http://hinative.com/ja/questions/1454 ですから、見かけは英語での物主構文に似ていますが、行動主を使役形で目的格に持っていくこのやり方は、感情動詞においてはよくある言い回しです。 「俺を怒らせるなよ。」「クー!泣かされるぜ。」「嬉しがらせて泣かせて消えた。」 例2. こちらは一つの文章の一部の切り抜きなので、このままでは分かりにくい形になっています。 「小石先生だと、土曜日の二時間めがおわると、そのままひとり教室にのこって、オルガンをならしていたし、三時間めの板木がなるとともに行進曲にかわり、みんなの足どりをひとりでにうきたたせて、しぜんに教室へみちびいていた。」(「二十四の瞳 一、 小石先生」) http://www.e-shodoshima.com/24/ ここからは、「オルガンをならしていたし、」「しぜんに教室へみちびいていた。」にかかる主格修飾語としては「「小石先生だと」がそれに当たるでしょう。
- OKAT
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少し癖のある文章で、おそらく小説の一部かと思います。 例1 ある雪のつもる寒い冬の日(に)学校が休みとなった。(そして、そのこと=休みとなったことが) 彼女をいたく喜ばせた。 という流れだと思います。「学校が」は「学校が休み《と》なった」の中の主語と考えられます。(学校文法の立場から言えば) 「休みとなり、」の部分は連用中止法でつながっていますが、主語はそのままそれ以後の主語になるのではありません。(休みとなったこと)が主語に変わります。 例2 三時間めの板木がなるとともに(曲が)行進曲にかわり、みんなの足どりをひとりでにうきたたせて、しぜんに教室へみちびいていた。 この文も連用中止法でつながっていますが、それ以前に主語が(曲が)に変わり、以後のすべての文の主語になります。「板木が」は「なる」の主語です。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
何れの「が」も主語を示すとはいえませんね。 (1)(2)それぞれの文を解析してみます。 (1)「ある」は「日」を修飾しています。その「日」がどの様な状況であったかとの説明です。そしてここで一度、文は途切れた形となり全体を示すならば、「ある雪のつもる寒い冬の日のことだった。学校が休みとなり、彼女をいたく喜ばせた」となります。学校という無生物が彼女を喜ばせますか?。 こう考えるならば、「が」は主語を示すとの説明は成り立たなくなります。形式的には英語の使役構文と同じで、○○が××に~させる・せしめる、との表現方法となります。或いは物主構文といって、物が主語である場合、殊に受動態文の場合には日本語に訳す時に、その目的語となっている人物を主語に置き換えて訳すと自然な日本語になります。 (1)の例文をこの方法に沿って訳してみると次の様になります。「ある雪のつもる寒い冬の日、彼女は学校が休みとなったことでいたく喜んだ」。つまりこの文の実質上の主題は「彼女がとても喜んだ」との部分だけですから、後は無視してもかまいません。 (2)「三時間めの板木がなるとともに行進曲にかわり、みんなの足どりをひとりでにうきたたせて、しぜんに教室へみちびいていた」。この文も(1)の方法で考えてみれば、シンプルな形にできます。 「三時間めの版木が鳴った。(BGMが)行進曲に変わった。するとその曲に合わせるかのように、みんなの足取りも自然と軽くなり、生徒達は教室へ入っていった」。この三つの文に分けることもできます。 この文の主題は「生徒達は教室へ入っていった」だけですから、主語は省略されていると考えることが自然となります。残りは主題に対しての状況説明だけです。 それから追記として一言。 日本語には「格変化」の考え方はありません。「格」を示す文法的要素は「助詞」であり、その中の一つが「格助詞」と呼ばれるものとなります。そのため「格名詞」との説明を受けたならば、それはとんでもない誤解であり、誤った説明となります。インチキな日本語教室や日本語を教えてくれる人には注意しましょう。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
例1:ある雪のつもる寒い冬の日、学校が休みとなり、(それが)彼女をいたく喜ばせた。 例2:三時間めの板木がなるとともに行進曲にかわり、(それが)みんなの足どりをひとりでにうきたたせて、しぜんに教室へみちびいていた。 のような構図でしょう。 1の主語は「学校が休みとなったこと=それ」、2の主語は「(かわった)行進曲=それ」。 どちらも省略されているわけです。(たぶん)
補足
おっしゃるとおり、例文2において、文脈が大事だなと思いました。ただ、「小石先生」がかかるのは「オルガンをならしていた」までで、「しぜんに教室へみちびいていた」までかかるかについては少し疑問に思われます。他の部分についても、詳しい説明をいただき、どうもありがとうございます。