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戦前、県の公務員の採用試験の学歴は中学卒業以上か

高等小学校以下の最終学歴でも競争試験枠で受けることはできましたか。 一方、競争試験枠以外に縁故採用はありましたか、 その場合は学歴制限無しでしたか。

みんなの回答

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

まず、県による、点はご了解いただいた上で、 そもそも戦前には、小作農などで尋常小学校すら卒業させてもらえずに農業など実家の手伝いをさせられる子どもが多かったのです。 尋常小学校から高等小学校に進めるのは、なんとか親御さんが自分の食うものも削って子どもに弁当を持たせるくらい金を工面なされた家であり、よほど校長先生などに才能を見出されて奨学金を受けなければ、そこから旧制中学への編入などできなかったのです。 そもそも、金持ちは、同じ年齢でも更に帝国大学までの受験資格を得るルートであった旧制中学のほうに進学して、旧制高校から帝国大学への進学資格を得られるようなルートを歩んでいたのです。 つまり、同年齢でも、今の高専・短大・四大のような枝分かれもあった時代で、お金が理由で学歴が決まっていた時代のため、それなりの学歴の枠は自然に金持ち仲間の親戚どうしに限られてしまった、という時代なのです。納税額が○円以上の男子じゃないと投票権がない時代、県によっては該当者が10人いない時代もあったのですから。 その部下として単純作業を任せることは、高等小学校どころか、尋常小学校出身者でも十分能力はあるでしょうし、先のように金がないだけで能力がある子どもは、校長先生などがお墨付きで推薦していたことでしょう。

noname#200115
質問者

お礼

質問文から完全にわかるように、制度のことを尋ねております。 ご回答の内容については、 すべて知っておりますし、かつ あなたがそれを言いたいという気分はわかりました。 回答の最後の「推薦していたことでしょう」は、 事実とは違い、あなたの想像ですよね。 当時のどこかの県を例とする制度=事実を尋ねております。 公務員採用制度の研究者にあらざれば回答は無理かなぁ。 自分の父や祖父の例が有れば良いのですがねえ。

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