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野原ひろし35歳や慶応大が徴兵されない理由
- なぜ野原ひろしや慶応大は徴兵されないのか?
- 徴兵制度において、野原ひろしや慶応大生はなぜ特例があるのか疑問に思う人が多いようです。
- 過去の大戦においても、35歳男性や慶応大生の徴兵率はどのくらいだったのか不明ですが、一部のエリート校や特定の年齢層には特例がある可能性があります。
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>過去の大戦では既婚で大手企業に勤める35歳男性は徴兵の対象外でしたか? 既婚だったかどうか知らないんですが、作家の大岡昇平は1944年(昭和19年)に35歳で召集されましたよ。 京都帝大卒のインテリです。大企業勤務だったようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E6%98%87%E5%B9%B3 最後のほうはそれまで召集されていなかった比較的年輩の人も召集されることがあったような話を読んだことがあります。 徴兵されて勤務するとして通常は20歳から2年とか3年とかですが、徴兵の候補としてリストに載ってるのは十何年か有効だったと思いますよ。陸軍と海軍で違いますが。 すみません、不正確な理解で。 きっとどなたか、もっとまともな説明をしてくださるでしょう(^^;;; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)#.E5.85.B5.E5.BD.B9.E6.9C.9F.E9.96.93
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- eroero4649
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素晴らしい回答がありますので、補足するだけですが、軍隊では昔から世界中だいたいどこでも20歳前後の若者が中心です。面白いことに、どこの国の軍隊でも25歳くらいになると「オヤジ」と呼ばれるそうです。30歳オーバーになると「じいさん」と呼ばれるのだとか。30歳でおじいさん扱いというと、ホストの世界がそうなんですって。 だいたい、機関銃が待ち受けてる陣地に向かって「突撃ィー!」といわれて突っ込めるのは無謀な若さがないとできません。軍隊では「我が軍は正しい。正義の軍隊である」という洗脳も叩き込まないといけませんから、若いやつが相手じゃないとできないのです。 映画「フルメタルジャケット」を見ると分かりますよ。あんな厳しい訓練、20代前半じゃないと絶対こなせません。35歳だと中にはメタボで引っかかる人も出てきちゃいますでしょ。 また、軍隊経験がないと、軍隊では使い物にはなりません。80年代にアメリカのロサンゼルスで黒人暴動が起き、なぜか韓国人街が襲われたことがありました。韓国人は直ちに自警団を作り自分たちの町を自分たちの手で守りました。彼らが数日のうちに組織化された自警団を作ることができたのは、みな徴兵経験があったからです。 また日本でイラン人が拘置所から集団脱走する事件が起きたこともあります。このときも、拘置されていたイラン人はみな軍隊経験があり、そのときの階級を基に組織化されて集団行動をとり、見事(?)に大脱出をしました。 だから軍隊経験のないほとんどの日本人、70代よりそれ以下の世代は自衛隊経験者以外はみな軍隊では使い物にならないと思っていいと思います。ただ、ある程度より上の世代は学校で行進訓練とかやってますから今のゆとり世代より訓練時間は短くて済むかもしれません・笑。 第二次大戦末期のドイツ軍では50代、60代のおじいちゃん兵士が戦ったという記録もありますが、ドイツは徴兵制で軍隊経験があっただけでなく、当時のその世代は第一次大戦で実戦経験がある世代だったのでその年齢でも戦争ができたのでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 東日本の時でも自主的にパトロールする人たちがいたことを考えると徴兵制のあった時代の関東大震災の自警団は今じゃ考えられない規模の大きい集団だった可能性が高いですね。
>なぜその年代は徴兵されないと信じてる人が多いんでしょうか? 「信じている」とお考えになられた根拠は何でしょうか。 戦争初期には、30歳代ですと、兵役を終えていて、再度徴兵されることはあまり考える必要はありませんでした。 戦局が進み兵の消耗がはげしくなると、次々と猶予条件を停止したり徴兵年齢の幅を広げていきました。 末期になると、それでも足りずに14歳~15歳の子供まで引き込む方策をとりました。 このような状況下でオレは絶対徴兵されないと信じていた身体堅固な男性がいたとすれば、むしろその信念の根拠を知りたいと思います。 >慶応大の学生が徴兵されないのはなぜでしょうか? 「されていない」とされた根拠は何でしょうか。 慶応大学では、1998年にOBの元学徒兵らの要請に応じ三田キャンパス(東京都港区)に「還らざる学友の碑」を建立しました >慶応大生で徴「兵」された人は慶応大生全体の何パーセントぐらいでしょうか? 関係資料は、戦災で焼失したものや、中には意図的に廃棄されたものがあり全貌が明らかになっていません。 敗戦直後に、占領軍による追求を逃れるために、国や地方自治体が一斉に書類を破棄したことも原因しています。 学徒出陣の史実の検証に積極的な大学と極めて消極的な大学があります。 慶応大学も調査検証に積極的とは言えません。 つまり正確な数字は分かりません。 現在、慶応大学の白井厚名誉教授が事態を解明する運動を続けておられます。 下記のサイトをご参照ください。 学徒出陣、いま問う 死んだ仲間に負い目、自分は逃げたのか 壮行会70 ... blogs.yahoo.co.jp/ryokoobasan/32574619.html >エリート校は特別に「在学中は」徴兵されないのか。 東京・東村山市役所に残る「在郷軍人名簿」には、氏名や生年月日のほか「東京帝大農学部卒」「日大専文科卒」「東帝大法科卒」などの記載があります。 >過去の大戦では既婚で大手企業に勤める35歳男性は徴兵の対象外でしたか? このような優遇処置がとられたのも初期の兵力に余裕のある時期での話です。 ただし、終戦までの間、軍が重宝したのは、事務方の係官として、企業で経験のあるサラリーマンや素養のある大学生でした。 このような人達は、軍隊にいても帳簿付けや書類整理をやりながら終戦を向かえました。 軍隊は膨大な物資を動かしますので、それに必要な人員も相当数いました。 国民の生活物資も確保する必要があります。(配給制度を維持管理する必要があります。) これ等に、それ相当の人員を確保しておく必要がありました。 なんせ、パソコンの無い時代です。算盤と鉛筆が頼りです。 ペンもありましたが、万年筆ではなく、インク瓶にチョイチョイと浸けながら書くつけペンが主流でした。 コピー機もありませんから、複数書くか、ガリバン刷り、という恐ろしく手間のかかるものが使われていました。 戦前は大手企業、とくに財閥系の企業のサラリーマンは超エリートでした。 軍需部物資を実務として調達していたのは、これらの財閥系の企業でした。 実務担当の企業がマヒしたのでは、軍の調達業務にも支障が生じてしまいます。 このような経緯から、優遇されていたと誤解されても止むを得ない部分があります。 「過去の大戦」と一括りで考えると、誤解や混乱を生じますので注意して下さい。 末期には、現在の常識では判断不能なことまでやっています。 しかも、それを煽り立てる民衆も沢山いた、というのも事実です。 散々煽り立てて若者を戦場に送り出しておいて、戦後は素知らぬ顔をしていた人が沢山いたのも事実です。 オレは初めから負けると思っていた、オレは反対だった、等と、身辺に危害が及ぶ恐れがなくなってから、書きたてたり言い立てたりした人間が多数いたのも事実です。 回顧談を聞いたり読んだりされる際には、昭和何年のどこの土地に住んでいたのかどんな仕事に従事していたのか、ということも正確に把握しながら読んだり聞いたりする必要があります。 更にその聞いたり読んだりしたものを、どのように判断するのか、と言う問題があります。 当時の価値観で判断するのか、現在の価値観で判断するのかで、大きく違ってきます。 徴兵と呼ぶか呼ばないかなどとうことも、当時の価値観では、文字通り国家総動員、一億火の玉と喧伝され、日夜国民が駆り立てられていた時代です。ご質問のような主旨は全く無意味な時代だったとお考えください。 沖縄でなぜ多数の女性が岬の土を蹴って海へ向かったのかを考えて下さい。 文字通り狂気の時代でした。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 やはりいよいよという状況にならない限りは高学歴や既婚や大手企業は兵卒として激戦区に贈られる可能性は低いんですね。
#1です。 大岡さんは出征時、既婚でお子さんが2人いたようです。 http://hon.bunshun.jp/articles/-/628 ※作家になったのは復員後。また、彼の場合の召集は「教育召集」という種類でした。←これはよくプロフィールに書いてあります。 徴兵のリストというか兵役の期間ですね、失礼しました。 平時は20歳だかに徴兵検査を受けて合格しても全員が兵役に付くわけではなかったんだそうです、そんなに兵隊が要らないので。 ※これはずっと前にここで教えてもらった「兵隊たちの陸軍史」(新潮文庫)というので読みました。 逆に、戦争になると、「国民兵役 40歳まで(1943年から45歳) 」(#1のウィキペディアより)という風に規則を変更したりしています。 大学生の出陣については「学徒出陣」について調べてみたら良いのでは。 インテリの人も出てますよ。ただウィキペディアを見ると文系学生らしく(^^; 理系学生は技術者として動員できるからでしょうね。兵器を作らなきゃいけないので。 でも技術者も大きな軍需工場なんかいけば空襲の標的になりえますが。 ※理系というか技術系?の学生については吉本隆明さんの話を読むと良いかも。彼は「学徒動員」のほうでした。兵隊になろうかとも考えたようですが。 あと、インテリだと通信兵とか暗号兵とか(同じことなのか兼ねているのか私には分かりませんが)になっている人もいます。大岡さんも暗号兵と書いてあるし、作家の(後でなったんですが)阿川弘之さんも通信兵でした。 インテリの兵隊さん(士官でなく)結構いるんですよ、捕虜になると英語できて通訳をやらされたりして。 「アーロン収容所」なんかに出てくるかな。この本は面白いです。面白いと言っちゃいけないんだろうけど。 ちなみに私の祖父は、別にインテリではなかったんでしょうが技術屋で、出征しないで国内の工場に動員されていたようです。でも家から離れていたので、やはり家族としては「父不在」の状態だったそうです。 兵隊でなくて民間人で徴用されて外地に行っていた会社員なんかもいます。こちらのほうが年上が多いかもしれませんね。軍属と言うのか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E5%B1%9E ↑ こういう人達も現場が戦闘で危なくなると影響を受けたし、捕虜になったりもしました。 あと、商船(民間の商業用船舶)も徴用されて、船員もそうなんだろうしなあ・・・そして米軍に多数沈められました。 「戦時徴用船」で検索するといろいろ情報があるようです。 というわけで、総力戦になると、最前線に行ったかどうかは別として、誰でも何かしらの影響は受けたんでしょう。
お礼
ありがとうございました
お礼
高学歴で大企業で35の人が徴兵されたのは1944年。やはり戦争末期ですね とても参考になりました。 素早い回答感謝です。