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五十にして天命を知ることは出来るのか?
孔子の言葉に、五十にして天命を知るというものかあります。この言葉は誰にでも当てはまるものなのか、孔子の場合はそうだったということなのかどうなんでしょうか?私は三十代男性ですが、自分が何のために生かされているのかさっぱり分かりません。昔思い描いていた(興味のあった)仕事とは全然違う仕事をしているし、体力的にハンディキャップがあるし(転職は不可能)、得意分野は全く仕事に繋がらないし、自分の特性や状況が、何のためにどこを目指してそうなっているのかさっぱり分かりません。それでも死なずに生きているということは何らかの意味があって生かされているのかなと思ったりしますが、何なのか分からず、自分がどこへ向かっているのかさっぱり分かりません。「自分の天命はこれだ」と気付いた方はいらっしゃいますか?それはどんな天命で何歳ごろに気付かれましたか?天命というのは誰でも分かるものでしょうか?それとも分からず一生を終える人も多いのでしょうか?天命というのは革命を起こすとかそういう大袈裟な意味ではなく、自分が生まれてきた意味、役割、自分はこれをするために生まれてきたんだというようなものです。ご回答よろしくお願いします。
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- kanto-i
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五十にして天命を知るとは、孔子自身の体験であると思います。 『子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順がう。 七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず。』 (為政編) わたしは十五歳で学問に志し、 三十になって独立した立場を持ち、 四十になってあれこれと迷わず、 五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、 六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、 七十になると思うままにふるまって、 それで道をはずれないようになった。 思い起こせば私は、十五で学問を志すことは無かったですが 三十と四十は、そのようになってますね。 己の天命は、おそらく分かっていると思います。 個人的なことなので書けませけどね。 生涯を通して得て行くものとして捉えています。 誰でも分かるとは言い切れませんが、その経験を通してですから それだけの時間を要するのではないかと感じています。 懸命に生きてきたことと、常に求め続けることはやってきました。 生きることに懸命な時もありましたが、気を取り直して 懸命に生きるやり方に戻し、求め続ける先は己でした。 30代は、立場はあれども独立した個として歩むのに かなりの試行錯誤のチャレンジを続けていました。 その時の「今いいと思えるもの」を手にしやってみる。 その繰り返しの中で自分を磨いて確立して行ったので 天命とかではなく、やりたいからやり続け進み続けることでした。 天職ではないかという人もありましたが、そうだとも感じてなかったですね。 学生の時に思い描いた仕事とも全然違っていましたし 今やりたいことをやれるようになることを目指しただけですね。 そうこうで固まったぐらいに四惑が来ました。 そんな感じで進み続け生きてます。 他の人がどうかは、よくわかりません。
- 雪中庵(@psytex)
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認識の深まりは、一応の到達点はあるが、そこが終着点 ではない。 日常的な感覚における、いわゆる素朴唯物論から始まり、 理解を深めて、その向うにある原理的本質である超弦に 至ったとしても、そこから自動的に、生物の多様性や人間 社会の約束事など、現象的複雑さを導けるかというと、 そうではない。 底にタッチしてUターンしてからは、無常に変転する現象的 多様性の分析という、果てしない途が待っている。 「現象を見て原理的本質を看破する」事はあっても、逆に 「原理を把握して現象的多様性を推察する」事はできない。 なぜなら、そうした現象的表面性とは、階層現象の下位の 単位の相互作用において、安定な反応系が持続し、上位 現象の単位になる、という事のくり返しであり、可能性と 淘汰、そこにおける機能の相補分化による生態系の構成 という、任意的要素(相補分化)が介在するからだ。 天命とか悟りとか、そんな形骸にこだわるヒマがあったら、 一歩でも先に進み、少しでも多く社会貢献すべきだ。
- atelier21
- ベストアンサー率12% (423/3293)
詳しく理解していないで 自分勝手な解釈です(最初に間違いだったらと断ります) 宿命は 変えようがない道 天命は 天との交流で探す道 運命は 自分の選択結果 天職が見つかるのは 一万分の一の確立かもしれない 当てずっぽうに迷走するよりは 好きだと思う事を遣り続ける 或は 今遣ってる事が何処まで何処まで好きになれるか 小生は 少学生の時に好きだと思った事を遣り続けている 管理職になる直前に自営の道になったのも 好きな事を遣りたかったから
- kia1and2
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50代で自分の言葉で表現できなくとも、他の偉大な哲学者の借り物の哲学でなく、自分の哲学を持つ、ってことだと思います。 自分の哲学を持った人は、死期を迎えても冷静に受け止め、天命をまっとうしたように、安らかに亡くなっていきますが、他人の哲学の投売りの人、醜い醜態での死に方をさらします。 その死亡前の元気な時でも、哲学を持たれた方は、愚痴もいわずに幸せで平和な暮らし。哲学をもたれなかった人は、愚痴だらけ、目先のどうでもいいことに目くじらを立てています。 わたしも、肺癌で18ヶ月、脊髄にも移転した病人なので、この先長くはないですが、神様から与えられた人間としての義務は果たせなれたので、余命何ヶ月と宣言されても、静かに聞き取ることができました。まだ、何ヶ月もあるので、人生を存分に楽しませて頂きます。 わたしと何らかの関係にあった皆様、ありがとうございますと感謝の念です。皆様がなにか困れたことがおこれば、あの世から御一家が平穏に暮せるように応援させて頂きます。この質問者のお方も何かのご縁なので、勝ってですが応援させてもらいます。これが、私の天命かも。
- あずき なな(@azuki-7)
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当然 孔子が悟った言葉です 一般人には無理でしょう
最近は・・・ 40にしてリストラに脅え 50にしてリストラされ なんて光景が(笑)組織社会で出世したりしたら、50にして天命を知る(地位が確固たるものになる&実務から離れられる)ってだけじゃないですかね?。生まれてきた意味なんて誰にもわかりませんし、子供を産み育てる以外は、各々が自己肯定しているだけの意味に過ぎませんね。30で結婚していれば、50になって子供が一人前になるから、天命は終えた年では?。自分がこれをする為に生まれてきたなんてのは錯覚に過ぎませんよ。全部、自分を肯定する為の屁理屈に過ぎません。
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お礼
ご回答ありがとうございます。ご回答者様は、私などよりもはるかに大きな苦難を経験しておられるのですね。借り物でなく自分の哲学を持った時を天命を知るというのなら、私はまだまだ苦労が足りないのかもしれません。他のご回答を見ても、天命は、神のお告げのようにある時突然ひらめくのではなく、日々の積み重ねの先にあるもののようですね。とりあえず、まずは不惑の四十を目指します。ご回答者様の残された人生がすばらしいもので有ることをお祈りします。ありがとうございました。