特に不吉な数字とされていた訳ではありません。
仏教つまりお経などで六を使われていたことから、現代人の感覚からお寺→葬式→不吉という連想がでてきてしまったのでしょう。
仏教の基本的な考え方に六道輪廻(六道=天、人、修羅、餓鬼、畜生、地獄)という考え方があります。
死んで四十九日経つと、この六つの世界の何処かへ生まれ変わるという考え方です。
各々の世界の救済者であるお地蔵様を六地蔵と呼んで、古いお寺などによくありあります。
又、法華経を六十六回書き写して、それを六十六のお寺へ納めてあるくという習慣がありました。
これをやっている人を六十六部略して六部(りくぶ)と呼んでいました。
実際は、信仰や修行のためにやる人よりも物乞いをして放浪して歩く人の方が多かったようです。
いわゆる乞食坊主です。
村に定住しない人は、よそ者として排斥する考え方が日本の村落には根強くあります。
何分にも宗教行為であるということになっていますから、これ等の人達に危害を加えて殺せば祟りがあるとされていました。
この習慣的な考え方から発生した「六部殺し」と呼ばれる怨念話が日本のあちらこちらにあります。
河原は非常に古い時代から、世間からドロップアウトした人達が住む場所とされていました。
歌舞伎役者を河原乞食というのは、このことによります。
又屠殺した動物から皮革を製造するためには大量の水を使うことから、川岸でやられていました。
仏教思想から、皮革製造業者を蔑視したことも悪影響を及ぼしています。
以上のような背景から、六は不吉という印象をお持ちになられたのではないのでしょうか。
後は、碌でもないという言葉からのごろ合わせもあるかもしれません。
古代のインド人がなぜ六道と六を使ったのかまでは知りません。
お礼
ありがとうございます。「六部殺し」初めて知りました。インドでの語源も興味深いですね。大変勉強になりました。