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私の持論はどれくらい間違っているでしょうか?
一部を書きますが 人間とは何か?どのような存在かが分からなければ人間の本当の目的 価値も分からないのではないでしょうか。 人間は存在する為に生きているのです。存在する事が価値なのです。存在してるだけで価値があるのです。 物質も動物も存在をせめぎ合っています。動物の世界ではそれは弱肉強食の生存競争となります。 人間は存在をせめぎ合っています。しかしそれが生存競争になってはいけません。意欲を引き出す競争が良いのです。 適度な競争を活かしながら時間をかけて真の目的を一緒に目指して行きたいものです。本当の目的と人間の合意です。 人間の本質は存在しようとする性質(存在性)、生きようとする性質の集まり 存在性itselfです。 人間の精神は性質で出来ています。クオリアと言うのも 赤や青や低音等を人間が記憶するように性質(精神)として捉えたものです。 概念なども人間が覚えたのです 憶えたのです。これらも存在性の一つです。 「存在性」とはそのもの、その存在が存在する為に必要な性質 又は有効な性質を言います。 存在を目指せば存続につながり存続を目指せば永遠につながる。 付記 性質と言うのは大きな概念ですが 力 速さ サイクル等の働き 相互作用 などを含む概念です。 エネルギーの完全循環する永遠はあるか・・・
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- NemurinekoNya
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こんばんは。 ☆人間とは何か?どのような存在かが分からなければ人間の本当の目的 価値も分からないのではないでしょうか。 ◇人間の本当の目的、価値があるのかどうか。 まず、ここから始めるべきなのでは。 そもそも、本当の目的や価値なぞなければ、それを追求する行為は、蜃気楼を追いかけるようなものになってしまうと思います。 ☆人間は存在する為に生きているのです。存在する事が価値なのです。存在してるだけで価値があるのです。 ◇価値は主観的なものです。 したがって、存在することに価値を見出せなければ、 「存在することが価値なのです。存在しているだけで価値があるのです」 は、少なくとも、その人には成り立たない話です。 たとえば、 ダイアモンドや金が、その辺にゴロゴロと存在していたら、工業的な有用性はあるでしょうけれど、ただの石ころと変わらず、ほとんど価値のない存在となってしまいます。 ダイアモンドや金は、少ないから、その希少性ゆえに、価値があるじゃないですか。 そして、この希少性に価値を見出すのは、人間です。 人がいなければ、ダイアモンドや金には何の価値もない。 ヒカリモノが好きなカラスは、これを珍しがって、巣に持ち帰ったりはするかもしれませんが・・・。 ☆人間は存在をせめぎ合っています。しかしそれが生存競争になってはいけません。 ◇人間は動物であり、生き物なのですから、互いに生存競争をするのは自然なことですよ。 なのに、なぜ、生存競争を否定するのですか? そして、この生存競争とヒトの意欲は表裏の関係なのではないですか? そして、他の人との協調や他のヒトへの共感も、自身の生存にとって有利に働いたので、そのような能力を有したヒトが、生存競争の結果、残ったまでの話。 ヒトは、猫と違って、ひとりでは生存できない、非常~に脆弱な生き物です。 そして、他の人のみならず、他の生物との関係性の上においてのみ、ヒトは生存できる。 ですから、 ヒト、そして自分自身こそは特別な存在である、というのは、思い上がりの以外の何物でもない!! そうした考えこそが、人間や人類という存在を危機に向かわせるんです。 ☆概念なども人間が覚えたのです 憶えたのです。これらも存在性の一つです。 ◇概念はヒトが作ったものです。そして、それはitselfではありません。 ☆「存在性」とはそのもの、その存在が存在する為に必要な性質 又は有効な性質を言います。 ◇哲学では、普通、これを《実体》や《本質》というのではないですか? なぜ、《存在性》という新たな言葉を用いるのですか? 《存在性》を英語にすると何になるのでしょうか? character of existenceか何かですか? それとも、itselfやexistenceですか? ひところ、この哲学カテではやった 《あるけ~》ですか? ☆存在を目指せば存続につながり存続を目指せば永遠につながる。 ◇存在を目指せば、ヒトは永遠の存在になるとおっしゃいたいのですか? そうなんですか、わたしは永遠に生きられるんですか。 ふ~ん。
- 0fool0
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「存在する事に価値がある」との言葉をあからさまに否定はしませんが、それを言うなら、「存在しない事にも価値がある」となります。 「存在」は「存在」であって、「価値」はそれを評価したもので、その評価は、其れを下すモノが定めます。 貴方の「好悪」の感情からの「価値」は、独りよがりであって、他人には勿論、貴方にとっても本質的に無価値です。 「無」と「有」は等価交換の関係にあります。 ですので価値は当然ありますが、例えてみれば「幸福が高価で、不幸が借銭」という事は無く、どちらも人生の教訓です。 貴方は自身の「感情」に溺れているのです。 別に感情を捨てろと言っているのではないですよ。 “溺れている事実に気付きなさい”と、言っているのです。
お礼
そういうつもりはないのですが(^^ゞ
- zephyr_1919
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存在しているだけでは、自他共に対して何の貢献もしていない。無価値です。
お礼
生きてくれてさえいればいいという思いは分からないと言う事でしょうか? 存在してれば何かできるかもしれません。 どうもでした。
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お礼
私は長年の思索で 人間には本来 目的があり それは之これだという見当がついたのです 価値は主観的なものって言っても その人が存在するかしないか 必要なものが在るかないか という価値があるのでは? 価値が相対的なものであることはわかりますが それでも何もなければ価値もないわけですから 価値のあるものはその時その時にあるはずです 水一杯くれとか。 人間の体は動物ですから生存競争の中にありますが 人間自体は精神ですから 生存競争には適さないのです 危険です 世界大戦が起きます。 人は紗季的動物という言葉もあるくらいですから、集団で活動することも多いでしょう。しかしそれは強いです けして弱くない だから今繁栄しているのです。 《実体》や《本質》などの古い言葉だけでは新しい哲学は語れません。「存在性」という言葉も自然に出てきたのです。 人間は存在を目的として意志する特別な存在です。 どうもありがとうございます。