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寛永12年、家光が発令した武家諸法度。
一、大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ。従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ。但シ上洛ノ節ハ、教令ニ任セ、公役ハ分限ニ随フベキ事。 (wikiからコピー ) この中の「但シ上洛ノ節ハ、教令ニ任セ、公役ハ分限ニ随フベキ事。」とは、上洛の際に何をどうせよと命じているのですか、教えて下さい。 参勤交代とは、どんなつながりがあるのですか。 また、ここで言う上洛とは、二条城へ入ることですか。 よろしくお願いします。
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ご回答ありがとうございます。 なるほど、分かりました。 「但シ上洛ノ節ハ、…」とありますから、参勤交代は従者の人数を減らせよ、しかし将軍上洛時は軍役規定を守れ、ということになりますね。 将軍の威光を京の人々に見せ付ける狙いがあったのでしょうか。 そんな気がします。