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公の精神とは?戦国時代から現代までの変遷を探る
- 公の精神について調べると、戦国時代から現代までの変遷が見えてきます。戦国時代は弱肉強食権謀術数の世界であり、個人の利益が重視される時代でした。しかし、幕末になると尊王攘夷運動などが起き、国家のための行動が求められるようになりました。歴史番組でも、大日本帝国の人々が自己の利益よりも国家のために尽くす精神が報道されています。しかし、戦後の個人の自由の時代では、公の精神は封印されてきたとされています。
- 公の心が根付いた理由については、村社会や国命、法律など多くの要素が関与しています。村社会では、共同体の繁栄のために個人の利益を超えた行動が求められ、それが公の精神として浸透していったと考えられます。また、国命や法律によっても公の心が育まれました。しかし、近代以降の個人主義の流行や社会の変化により、公の精神は薄れていってしまったのです。
- 公の精神の変遷について知りたいですが、戦国時代から現代までの流れを辿る必要があります。戦国時代の弱肉強食権謀術数の世界から、幕末の尊王攘夷運動による国家のための行動へ移行しました。そして、戦後の個人主義の時代においては、公の精神は封印されてきました。村社会や国命、法律など多くの要素が公の心を育みましたが、現代社会においてはその存在が薄れつつあります。公の精神の変遷について詳しく調べることをおすすめします。
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質問者が選んだベストアンサー
ですから日本は平等主義という主義ではない対等感があるのです。草木も虫も人もおんなじという。 中朝はその八百万の神的な原始的思想が育たなかったのです。いわば中国文明の高度な戦乱に巻き込まれて。 日本と同じ条件にあるのは日本だけなのです。中朝は地勢学的にも異なります(安倍晋三は何故か韓国とは同じ価値観と言いマッコリを愛していますが)。 西洋はキリスト教で王も奴隷も神様の前で平等にされるのです。 村社会や都会の長屋みたいな平等的な集団では公的なマナーが自然的に作られるのです。日本はその土着性文化が特徴なのです。 戦国時代と質問文にありますが、極論すると、現在につながる庶民文化は江戸中期以降の物になると思います。それ以前はいわば歴史や儀式です。心理的に関係するのは、つまり日本人の精神は江戸時代の平和ボケ由来です。しかし江戸時代の平和ボケは反戦主義ではないのです。平和に暮らす文化なだけで悪い奴は(誰かが)ぶっ殺していいなのです。ましてや外国人ならば村を上げて迎撃します。 天皇なんか関係しません、鎌倉武士の築いた平和であり、江戸幕府がもたらした精神文化です。
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- hekiyu
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補完します。 ”村社会とかからの自然発生か、国命や法律由来なのか” ↑ これが原因なら、中韓に公の精神が乏しいことを 説明できません。 ”なぜなくなってきたのか知りたいです” ↑ 天皇の権威が弱くなってきたし、 憲法のお陰で、欧米流の個人主義が浸透してきた からだと思います。 欧米は、キリスト教という軸がありますので 個人主義でありながらも、公の概念が結構強い のです。 しかし、そんなモノがない日本で、安易に 個人主義を導入したため、個人主義が単なる 我が儘、利己主義になったからでしょう。 それでも、中韓に比べればはるかにありますけどね。
- customarr
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領主や国王は公ではないと思います。素直に忠義です。忠義というのは一種の恋愛感情です。天皇天皇という人らは身近な個人へ向けるべき情を天皇に向けた変態です。 新撰組がわかりいいですね、百姓身分のくせに自分の地位が向上した気になるのです。天皇信奉者はそういう動機であり、貧乏人や成り上がりが主流です。 質問者さんが例示する村社会の方が妥当です。江戸っ子にも口やかまし作法があったわけでしょ。江戸っ子の方はしゃれていて、プライバシーを保護するマナーがあったわけです。公私があったわけです。村の方はむしろ公が主体なわけです。これは武家が統治していたようで実際は百姓身分が百姓身分をまとめていたわけです。同じ身分ですから公の概念が必要になります。新撰組には公はありません、公方への忠義です。明治新政府は忠義の先を天皇に振り替えただけで、公の精神のような道徳観は庶民生活由来です。天皇がいなくてもそういう意味での民度は高いのです。 ですからやはり素直に道徳観で議論されるべきです。キリスト教みたくはっきりしないのは日本文化ではいつもことですよね。人様の言う事を聞きなさいとか。悪用する犯罪者が出ます。オレオレ詐欺につながります。コピペで保守成りすましなんかも。公務員は日本人の道徳観を利用している悪人なのは明白です。 最後に公の精神が減ってきたは間違いです。むしろ公が強まりすぎて個を否定している社会なのです。芸能人や政治家の不倫がニュースになります。 逆に戦前にどれほど個があったことか。戦前は封建的だったのです。 ともかく敗戦日本人の常識は朝鮮人と変わらないような空想になっています。個人主義も殺人も戦前の方があったのです。日本の民度を破壊したのは安倍晋三の祖父なのです。日本は戦時下から社会主義の民族になり下がりました。馬鹿民族は負けます。社会主義は個人主義ではなくて平等主義です。公vs個ではありません。それは西洋人の話です。日本に個人主義ありますか。日本は単に人と違う事をするな、平等ではない、でしょう。つまり乱暴に言うと、日本人は社会主義者の自覚がないのに自由主義国の議論するから頓珍漢になります。これは自民党が悪いんですね(世界で最も成功した社会主義政党です)。
- hekiyu
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”日本の歴史で長い目で見て、公の心が何故根付いたのか” ↑ 永く続いた天皇制、及び、武士支配の封建時代の間に醸成されて来たものと 考えられます。 天皇とか領主、というのは生きていて、目に見える 「公」 なのです。 薩摩藩主、島津斉昭公、という具合です。 そういう公に何百年も接して来たので、そういう心が 自然と醸成されたのでしょう。 現代では、国旗とか国歌、歴史教育などが付加されて います。 国体とかオリンピックもその一環です。 その「公」概念にも変遷があります。 江戸時代では「公」というのは主に藩でした。 明治になってから、山県有朋と西周が相談して 公概念を藩から日本に変更しようと画策しました。 お前らは、薩摩藩の人間、という以前に、天皇が 治めている日本という国家の民、つまり 日本人である、 ということです。 これが成功し、日本はアジアで最初の国民国家化に 成功した訳です。 中国などは大正時代の留学生ですら、中国人などと いう意識は持っていませんでした。 上海人、北京人という意識が専らでした。 孫文はこう言っています。 「日本人は粘土のようだ。すぐに固まる。 中国人は乾いた砂のようにバラバラだ」
お礼
ありがとうございます。日本は今まさにバラバラですね。団結できず警戒状態です。どうしちゃったのでしょうこの国は。