昨日の報道2001のことであれば、石破さんは
「集団的自衛権とは、国連憲章の中核的概念」
と言っていましたね。この言葉が素晴らしくまとまっているおかげで、
あとの説明は蛇足になってしまいそうなのですが
つまるところ、国連が集団的自衛権を定めた、というよりは
むしろ、国連は当初から集団的自衛権を実現させるための組織と
言った方が正しいわけです。
ここに至った経緯としては、まず、第一次大戦までは戦争の考え方は
「外交の一部」であって、手段として容認されていました。
ですがこの考え方で引き起こされた第一次世界大戦は、
ご存じのとおり各国に甚大な被害をもたらしたのです。
その対策として、国際法の考え方として、戦争を「違法行為」としたのです。
ですから、紛争の解決には話し合いや裁判などを行います。
今でも自衛権に反対する人たちは、話し合いで解決を、と言っていますよね。
現在でもこの考え方は基本的に引き継いでいますが、
それでも、再び世界大戦は起きてしまいました。
しかもより被害が大きくなってしまったのです。
これはなぜでしょうか?
とても単純なことで、ダメなことをルールとして定めるだけでは、
ルールをやぶる人の行動を止められなかったのです。
一方で、ルールを守る人たちは、あくまでルール通り話し合いで解決
しようとしたため、自分自身の行動に足かせをはめてしまい、
身動きが取れなくなってしまいました。結果として
「話し合いで戦争を止める仕組み」は悪用され、機能しないどころか
止められたはずの戦争をより拡大させてしまったのです。
これらの反省から、第二次世界大戦後に出来た仕組みが
現行の「集団的自衛権」なのです。
古代や中世の相互防衛(あるいは戦争協力や戦時同盟)という意味で
誤解されている方も多くいらっしゃいますが、その中核となるのは
「違法行為である戦争を"起こした国"に対してのみ発動する戦争」
であるわけです。もちろん、これが名ばかりのものでは
戦争そのものの原因となりかねないですから、悪用を防ぐために
厳しく監視の上で使うことになります。ここが古代の軍事同盟との
最大の違いで、具体的な条件としては、1978年の国際司法裁判所の
裁定で
・犠牲者が助けて!と言ったときのみ。
・本当に必要なときのみ。
・やりすぎは禁止。
といった要件が定められています。この要件で「戦争をしかけたい言い訳」
としての使い道を封じ、発動後も本当に妥当な決定であったかは、
国連が監視し、議論がされることになります。
人を助けるときにのみ、力を用いる。
第二次大戦後に登場した、監視下でのみ限定した力を用いる、という発想・哲学は
広く応用され、軍事に限らず経済や文化、科学技術も急速に進む景気となりました。
平和を願う人類がたどり着いた究極の知恵と言えるのではないでしょうか。
一方で、監視を緩めてしまってはまた悪用が始まってしまうので、
そこだけは注意が必要ですかねー。
最後に、現時点で「報道2001 web版」なら昨日の放送がまるまる見れますよ。
お礼
ご解説いただき助かりました。 ご回答誠にありがとうございます。