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眼鏡の発明以前 日本で
眼鏡の発明以前の日本で、 目が悪い人はどうしていたのでしょうか?
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- fujic-1990
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> 目が悪い人はどうしていたのでしょうか (1)視力の弱い人はどのように視力をカバーしていたか?というお尋ねでしょうか、(2)どのように生活していたか?というお尋ねでしょうか。 (1) 「汝は、あれが見えぬのか。物見の役には立たぬ男よな」という会話とか、爺さん婆さんの「昔は見えたのに」という昔話を通じて、「視力」という概念はあっただろうと思います。 しかしメガネがない以上、対策は取れなかったでしょうね。 ただ日本人は、大昔に「遮光器土偶」を作った人たちの子孫ですから、あのようなものを付けると雪中でもまぶしくないし、いわゆる「近眼」でも多少良く見えるということは知っていたと思います。 (5円玉の穴を介して月を見ると、多少クッキリ見えた感じがします) だから、あんなものを付けてなんとかならないものかと思っていた人もいただろうと思いますし、実際商人があれを付けている漫画を見た事はあります。帳簿付けに必要だったという解釈だったのでしょう。実際に付けていた商人がいたかどうは知りませんが、おもしろい解釈だと思いました。 (2)目が不自由な人は、生活保護はありませんが、特別待遇を受けて、働いていました。 例えば、江戸時代なら、目の不自由な人はお金を貸すことが出来ました。誰でも貸すことはできたのですが、目の不自由な人から借りたお金は特にキチンと元利返済しないと幕府から処罰されたのです。 で、金貸し業者として、一生懸命働けば働くだけお金を稼ぐことができました。 生活保護制度があるので働かなくてもOK・・・ という現代版の「保護」とは違う制度です。目が不自由なら不自由なりにがんばれば富める。働かないでのたれ死ぬのも自由。健康で文化的な生活を営む「権利」は認める、奪わないが、権利を行使するかどうかは自由というわけです。 「表現の自由は認めるが、国が表現の場を与えるということはしない」、「自分で表現場を探して表現するのを妨害しない」というのと同じ考え方でしょうか。 有名な「勝海舟」のおじいさんは越後の盲人でした。 ザックリ言うと、越後から江戸に出て、一生懸命働いて大金を稼ぎ、検校という位を得て、男谷家と勝家の株を買い取り、子供を武士にしました。 その勝家の子供が勝海舟です。目の不自由な人でも、そんなくらい金持ちになれました、がんばれば。
- yuyuyunn
- ベストアンサー率41% (20359/48650)
こんばんは 裸眼で生活するしかなかったと思います そうなるとそもそも目が悪い、いいという基準すらなかったと思います たとえば盲の場合ですが http://www.geocities.jp/gozearchives/about.html
- reira30
- ベストアンサー率18% (4/22)
勝手な解釈になりますが 眼鏡の無い時代には 目が悪いと言う事さえ 判らなかったのだと思います