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一部の人はなぜ変わりましたか(外観以外)

 日本語を勉強中の中国人です。人はなぜ変わりましたか。この質問でお伺いしたいのは外観以外の変化のことです。  長年会っていない人と再会する場合、相手が変わったと感じることはよくあります。それを感じたのはやはり私自身が変わったということなのでしょうか。相手が変わったのか、私が変わったのかわからなくなりました。でも、自分の両親は外観以外に変わったという実感が沸いてきません。それはまたなぜなのでしょうか。  上記の質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 0wooo
  • ベストアンサー率31% (127/408)
回答No.1

>相手が変わったのか、私が変わったのか 両方が変わっている場合が多いです。それぞれの人生、家庭、仕事など環境変化によって、人も変わって行かざるを得ません。 同時にあなたの記憶(あの人はこんな人だった)も時間と共に変化して行き、殆ど変わってない相手でも、自分ではこんな人だったという記憶(良いところ、又は悪いところが強調されて残っている)と差が出てきます。 >自分の両親は外観以外に変わったという実感が沸いてきません もし、ご両親と頻度高く会っているのであれば、環境変化で変わったのが、短時間で修正されてしまう事及び記憶も同様に修正されてしまうので、変わらないように思うのです。 例えば5年間ほど会う機会が無かったとしたら、きっと変わったと感じると思います。但し、親と子の会話では、気が付くような差は無いかも知れません。 表現としてちょっと不自然だと思った部分は >人はなぜ変わりましたか・・・これは自分が思っていることではなく、変わってしまった人に対するその原因を聞く質問となります。 ここは 「人が変わったと思う原因は何でしょうか」・・これは自分がそう思うことに対する質問となります。 「人はなぜ変わってしまうのでしょうか」・・これは人が変わってしまう事を前提に、その理由を聞く質問となります。 のどちらかのほうが、あなたの質問の意図を理解しやすいと思います。但し、後からの文章を読めば、質問の意図は分かりますので、問題は有りません。

sobatya_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。質問文までも貴重なご意見をくださり、心から感謝いたします。これから気をつけます。

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その他の回答 (6)

  • customarr
  • ベストアンサー率21% (35/165)
回答No.7

その台詞を言う女が多いです。 もちろん年は取りますが、たいてい何も変わっていません。三つ子の魂、百まで、ということわざがあるくらいです。 貴女が有りのままの相手を冷静に認識されていなかったからなのです。あばたもえくぼということわざもあります。そういう事です。 具体的に相手の何が変わったかを考えてみましょう。それは元からそうだったのです。貴女の先入観が強すぎただけなのです。 私は相手が昔と変わったと思う事はありませんね。観察者であった自分が幼かったと嘆く事はあっても。 日本語については毎度のご要望ですから評価に協力します。 ご質問文の日本語は通じますが、厳しく読んだ感想は、タイトルに始まり全部不自然です。どう直すべきかは私には難しいので、国語カテゴリでご相談されてください。

sobatya_cn
質問者

お礼

 ありがとうございます。

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  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.6

親子の関係はまず変わらないし 親の子を想う愛情もそうそう変わらない 大切なものです 変わるということはそれだけ相手が成長したり世間ずれしたりしたりする若い時期や 年をとった同じ人間でも 人間関係で大事に思ってくれるか よそよそしくなるかは他人だからでしょう 変わらぬ友情を求めるのはそういう事があると知るからでしょう。 人は変わります。性格もですが 生活がありますから、仕事を変わっただけでも随分変わります 子供が出来たら変わるし 子供が巣立ったら変わるし 年をとったらまた変わります。 自分が変わったから相手が変わったような気がすることもありますねえ つまり相対的にお互いに変わる 関係が変わるということです。 全てのものは変化して その行先は僕もいろいろ考えましたが まだ見極められません 変わらないものを探すほうが難しいというか 無いかもしれませんね。

sobatya_cn
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。大変よい勉強となりました。

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.5

人生の紆余曲折を経て、生き方が変化するからでしょう。人生観が変わるからと言ってもいいかもしれません。

sobatya_cn
質問者

お礼

 ご親切に回答していただきありがとうございます。とても参考になりました。

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回答No.4

子供の頃は、自己の感情や衝動をダイレクトに発露 させるものです。 大人になるにつれ、そうした短絡的な充足が、長期的 な総和において最大の充足にはつながらない事を 認識します。 認識とは、衝動を抑えるものではなく、長期的総和や 広範な相互作用の洞察において、最大の充足になる ようにコントロールして発露させるためのものです。 経験が、そうした環境認識の発達に寄与すれば、 「次に会った時に変わ」っているでしょう。 歯車として使役されるための詰め込みの知識に留まれ ば、いくら経験しても延長的にしか変わらないでしょう。

sobatya_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。難しいですね。参考にさせていただきます。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

”長年会っていない人と再会する場合、相手が変わったと  感じることはよくあります。  それを感じたのはやはり私自身が変わったということなのでしょうか。  相手が変わったのか、私が変わったのかわからなくなりました。”      ↑ 双方が変わったのです。 「大人は虎変し、君子は豹変し、小人は面を革む」 です。 ”自分の両親は外観以外に変わったという実感が沸いてきません。  それはまたなぜなのでしょうか。”     ↑ 出会う頻度が高いからだと思います。 しょっちゅう会っていれば、変化は小さいですから 見逃します。

sobatya_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。いい勉強になりました。

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  • youcanchan
  • ベストアンサー率32% (330/1029)
回答No.2

人は誰しも一日として同じではいられないものだと思いますよ。 わずかな変化が毎日積み重なって長い年月が経てば大きな変化にもなります。 相手も自分も、当然双方が変わっています。 親と子の関係だけは変わることはない。 もちろん互いに年はとるので考え方の変化等はあるでしょう。 けれど親子の関係性だけは普遍的です。 親であること、その子供であることはたとえ亡くなったあとでも変わりません。 そのお互いに対する思いも、変わることはないのでは。 不自然と感じる表現についてですが。 外観という言葉が不自然に感じます。 間違いではないのですが建物だとか物の状態に対して使うことが多いと思います。 人に対して言う場合は外見と言ったほうが自然かと思います。

sobatya_cn
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。質問文までご親切に添削してくださり心から感謝いたします。今後気をつけます。

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