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The Necessity of Mental Evolution in the Doctrine of Organic Evolution
- This article discusses the necessity of mental evolution in the doctrine of organic evolution.
- It argues that if the doctrine of organic evolution is accepted, the doctrine of mental evolution must also be accepted.
- The evidence of organic evolution serves as a pedestal for the evidence of mental evolution.
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以下のとおりお答えします。 さてそこで、「私の読者はみな生物進化主義や、すべての動植物の種が起源からの派生様態を自然な血統の筋道のまま保持しているわけではないという確信を受け入れること」を私は当然と考えます。またさらに、その1つの偉大な法則あるいは(進化)過程での方法は、自然淘汰、または適者生存であったことを私は当然と考えます。もし本件を認める人は、あまねく動物界全般にわたる「精神的進化」の仕方および歴史から、人類が例外として峻別されるという事実を、私に認めてくれるに違いないと受け止めます。私がこのように受け止めるのは、もし「生物進化」の主張が受理されるなら、それは、必要な推論の結果として、野獣の創造に関わる限りすべての事柄で「精神的進化」の主張を帯びている、と考えるからなのです。 野獣の創造全体にわたって、全く無知な動物から最も高度に知的なものまで、1つの連続的な段階をたどることができます。それゆえ、すでに動物生活の特定の形式がすべて派生の起源を持っていると信じているならば、これらの様々な形式が示すすべての心的能力には同様の派生的な起源がある、と考えることを拒絶することはできません。 また、実際問題として、もし「生物進化」の証拠が受け入れられるならば、私の指定した範囲内で「精神的進化」の証拠が一貫して拒絶されるということを、支持したり、いわんや提案したりするほど不合理な人は誰も見かけません。― したがって、ある1つの証拠の主要実体は他方の土台として役立ちます。前者がない状態では、後者もその立地点をもたないでしょう。(「生物進化」あるいは種の変化の証拠なしでは、「精神的進化」の正夢を見ることができる者は誰もいないでしょう。)一方、土台が支援用の論理構造としてその状態にあるので、前者の存在が否応なく後者の必要を示唆していることになります。このような具合に(1つの実体部が他方の土台として役立つように)なっているわけです。 以上、ご回答まで。