こんにちは。
No.1の回答内容と あるいは重なるのかと思いますが 問題は――社会的動物である人間にとって―― ひととのカカワリ(関係性)です。
マジワリ(交通)をいっさい断っても ひとは ひとと互いにカカワリを持ちます。無人島にいるひとは 有人の世界とかかわっています。
このような社会性という場において見ると
★ 幸福とは「満ち足りていること」である
☆ という定義が どういう意味合いを持つようになるか? または 持つべきところでの意味が 放ったらかしになっていないか? といった見直しを迫られるかも知れません。
たとえば 《独り満ち足りている存在》と言えば 神の定義(または かんたんな説明)です。
とすれば たとえば
○ 幸福とは「社会という人間関係において わたしもほかの人びとも互いにそれぞれが 満ち足りていること」である
とでも捉えるなら 社会性という人間の条件を満たすかも分かりません。
ということは おそらく――人間と社会とは 動態なのですから(そして ほかの回答にあったかと思いますが)―― 道をゆくその一つひとつの過程が 互いに大事であるということなのでしょうか。
でも ヒラメキをとおして得られるわれわれ人間の目覚めは その世界観をあたえられたことについて《しあわせ》であり そのときひとは
★ 満ち足りている
☆ はずです。と考えます。
★ 矛盾を見つけることはでき
☆ たのか どうなのか。・・・