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幸福の定義

幸福とは「満ち足りていること」である、とします。 この定義でも、矛盾を見つけることはできますか?

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回答No.9

 こんにちは。  No.1の回答内容と あるいは重なるのかと思いますが 問題は――社会的動物である人間にとって―― ひととのカカワリ(関係性)です。  マジワリ(交通)をいっさい断っても ひとは ひとと互いにカカワリを持ちます。無人島にいるひとは 有人の世界とかかわっています。  このような社会性という場において見ると  ★ 幸福とは「満ち足りていること」である   ☆ という定義が どういう意味合いを持つようになるか? または 持つべきところでの意味が 放ったらかしになっていないか? といった見直しを迫られるかも知れません。  たとえば 《独り満ち足りている存在》と言えば 神の定義(または かんたんな説明)です。  とすれば たとえば  ○ 幸福とは「社会という人間関係において わたしもほかの人びとも互いにそれぞれが 満ち足りていること」である   とでも捉えるなら 社会性という人間の条件を満たすかも分かりません。  ということは おそらく――人間と社会とは 動態なのですから(そして ほかの回答にあったかと思いますが)―― 道をゆくその一つひとつの過程が 互いに大事であるということなのでしょうか。  でも ヒラメキをとおして得られるわれわれ人間の目覚めは その世界観をあたえられたことについて《しあわせ》であり そのときひとは  ★ 満ち足りている  ☆ はずです。と考えます。  ★ 矛盾を見つけることはでき  ☆ たのか どうなのか。・・・

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その他の回答 (13)

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.3

「自分の信じる夢を追う」というのもひとつの幸福だと思います。 でも、夢というものはその時点で「満足していない」からこそ存在するもの。そういう意味で、「満ち足りている」者は夢を持つことは出来ないのではないでしょうか。・・・「夢を持たない」人間は、果たして「幸福」と言えるのでしょうか? 「目指すところがある」とか「何かに駆り立てられる(言い換えるならモチベーション)」ということが、「生きる」ということそのものなのではないでしょうか。目指すところが本当に無くなってしまった人間は「生きた屍」と呼ぶに値する・・・というのは言い過ぎなのでしょうか? もしかしたら「自分の幸せに辿り着くまでのプロセス」が一番の「幸せ」だったのか?とも・・・。 それは私個人が結論付けることではない、人間の永遠のテーマなのかもしれませんが。 ただ言えるのは、どうしても「満たされること(安心、夢)」に到達出来なくてもがき苦しんでいる人間に、自分は惹かれます。「満ち足りた」人間ほど人としての魅力が半減するものはないと思います。 例えばですが、浅田真央がトリプルアクセルであっさり金メダルを獲っていたら、ここまで大衆の関心は得られなかったでしょうね。 もっと言うなら、時代を越えて評価されるような作品を残した偉大なアーティストはみんな、公私共に様々な問題や不満を抱え続けていたような「不完全な(ある意味とても人間らしい)人間」ばかりです。「不満足」は「力」そのものなのかもしれません。・・・この「不満足」精神は、アーティストとか、何かを成し遂げようとしている者にとって、「幸福」とは言えるのかもしれません。(例え本人は不幸だと思っているとしても。)

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  • neo-pp
  • ベストアンサー率25% (173/666)
回答No.2

「満ち足りていること」 というものが物欲ではなく心のありかたを指すのであれば 矛盾は無いと思います。

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  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

mikaze007様、こんばんは。 >「幸福とは「満ち足りていること」である、とします。 この定義でも、矛盾を見つけることはできますか? 」 はい。 「満ち足りる」が、個人についてのもの、である限り。

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