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幸福

フ゛ータンには幸福と思える人がたくさんいるらしい 例えば電気がきていなくてもロウソクの明かりだけで 不満はないらしい 他人の不幸は自分がなんとかして あげるという助け合いの精神を実践しているらしい 日本では経済を優先することが幸福になるのでしょうか 宜しくお願いします。

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  • 310f
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回答No.1

こんにちは。 最近、つくづく思うのですが、 両親も兄弟も居て、 友達も居て、 仕事もあるのに、 自分が生きててしんどいなぁ…と思うときって「ストレス」がひどい時なんです。 ストレスがあると、 やたらとイライラしたり、 やる気が起こらなくなってだらだらした感じになっちゃったり、 急に悲しくなったり… 自分がそんな状態だから、 周りを思いやる余裕もない。 そんな自分が嫌になったりで、 幸せとは真逆のところにいるように感じます。 そして、 そんな人との関わりは楽しくない。 むしろ、周りにストレスを与え、 環境が居心地悪くなり、 悪循環もいいところです。 ブータンの方々の幸福度は、 経済的に不便でも、 精神的には裕福で、 まわりを思いやれる余裕があるからだと思うのです。 日本では、 経済面では比較的裕福ですけれど、 幸せ度が低いのは 「ストレスの多い社会」だからだと思いました。 生活の為に、 他国に比べて働く時間が長く、 性格的に生真面目な日本人は ストレスが溜まりやすいと思います。 日本が幸福になるのは、 世界の人が言う様に、 身も心ももっと休めることではないでしょうか? ストレスの軽減。 ストレスを出さない環境とシステム作り。 経済の優先とはあるいみ真逆のことを言っているのかもしれませんが…^^; 少しでもご参考になれば幸いです。

habataki6
質問者

お礼

ブータンではストレスという概念は存在しないようです。

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回答No.3

生物の進化は、淘汰による選択として、物質的に生きる強さを増進させはしても、幸福=精神的な充足量は二次的なものになります。 即ち、直接的な比例関係にはなく、「物質的には豊かになるけど、精神的には不幸」という状態があり得ます。 物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 本質的にお金は、需要と供給をつなぐ情報として、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。 (その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙) その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。

habataki6
質問者

お礼

人間は何をやらせてもすべて優秀という人は少ないように思います 一人では誰も生きていけないからその分野の優秀といえる人に 助けてもらう ことをしないと生きていけません しかし近年の社会情勢を見てみると 優秀といわれる人たちが自己保身 の為素人でもわかることを故意に公表を遅らせ結果的に大勢の人が 迷惑しています 情報はすぐに開示しなければ意味がありません

  • P0O9I
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回答No.2

となりの芝生は青いです。 ほとんど鎖国状態の国だしね。 外の世界のことを知らずに、食うのに困らなかったら、かなり幸福度はかなり高くなるでしょうね。 以前テレビで、母親が病気でお金に困ったから、小学生の子供が学校をやめたようなことをやっていました。 そのような国の幸福度数が高いなんて、どうかな? それに、こんな話もあります。 http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/bhutan/

habataki6
質問者

お礼

ブータンでは教育は無料もちろん医療は無料ですね 食べ物は近所にいけば食べさせてくれるといいます 気軽に家族みたいに歓迎されるらしい 日本はというと助けを求めても厄介払いされる 餓死する人や自殺する人かわいそう

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