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日本語の作文の訂正をしていただけないでしょうか。
「 数学はほとんどの学生にとって、大変な存在と言われています。日本のある新聞社は「数学は人生の役に立つか」をテーマとして、アンケート調査をしました。 個人的に言えば、私は「数学は人生の役に立つ」という観点に賛成します。この表から見ると、私と同じ意見を持っている調査対象の数も78パーセントに上ります。役に立つと回答した人の78%の割合に対して、役に立たないと回答した人は、その半にもありません。なぜ、このような考えを認める人がこのように多いのでしょうか。日常生活の中で、数学の重要性が十分に見えるからだと考えられます。 数学は私達の物に対する認知能力だけでなく、会話のロジック性も上げられると思います。数学のおかげで、私たちは物に対する考えも深くなります。スピーチの時も、数学を通じて身についているロジック性のおかげで、すらすらと自分の観点が言い出せるではないでしょうか。」 作文、ご訂正ありがとうございます! 誠にありがとうございます!~
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作文を次のように添削しました。 ------------------------------- 数学は多くの学生にとって重要な課題とされています。日本のある新聞社は「数学は人生の役に立つか」をテーマに、アンケート調査を実施しました。 私は「数学は人生に役立つ」という意見を支持しています。(こちらの表をご覧ください。)この調査結果から、実に78パーセントもの人が私と同意見であることが解りました。これに対して役に立たないと回答した人は、その半数にも満たない結果となりました。このように肯定的な意見を持つ人が多い理由、それは日常生活の様々な場面で、数学的な知識の重要性を痛感しているがためと考えられます。 数学は物事に対する認識力を高めるだけではなく、会話の論述性も向上させます。そして、私たちの様々な物事に対する造詣も深められるのです。スピーチの時も、数学を通して身に付けた論法により、淀みなく自分の見解を述べることが出来るのです。私は、そのように数学は可能性や発展性を秘めた学問であると考えます。(皆様は如何にお考えでしょうか。ご意見よろしくお願いします。) ------------------------------- 原文には、日本語表現として明らかに間違っている箇所はあまりなかったのですが、言葉の流れを良くすることを意識して手直ししています。また、意思的な表現に改めた方が聞き手や読み手を引き込むことが出来ると感じた個所についても、手直ししています。 作文を読んだ感想ですが、これはプレゼンテーション用に書かれたものでしょうか。 もとの文章だと突然、表の話が出てきたり、目の前に人がいることを想定して問う形式になっていますが、通常の作文だと、こういった表現には違和感があります。問う形式は、通常の作文でも見られることがありますが、表の話が唐突なので、読み手としては少々、面を食らったような印象があります。 ですから、添削した当初は “(こちらの表をご覧ください。)・(皆様は如何にお考えでしょうか。ご意見よろしくお願いします。)” のどちらの文章も入れませんでした。 しかし、作文がプレゼンテーション様に用意されたものであるとしたら、これらの文章を入れた方が自然だと考え、上記のように( )を付けて添削することにしました。 プレゼンテーション用に書かれたものであるならば、添削文の次の箇所、 >(こちらの表をご覧ください。)この調査結果から、実に78パーセントもの人が私と同意見であることが解りました。これに対して役に立たないと回答した人は、その半数にも満たない結果となりました。 こちらは、 「こちらの表をご覧ください。調査結果から、実に78パーセントもの人が私と同意見であることが解ります。これに対して役に立たないと回答した人は、その半数にも満たない結果となっています。」 とするのが良いと思います。 通常の作文なら “同意見であることが解りました・結果となりました” と過去形で書いた方が時制としては正しいのですが、プレゼンテーションでの解説用に書かれた文章であるのなら、ここは “同意見であることが解ります・結果となっています” と現在形や現在進行形で表現するのが適切です。 また、添削文についての詳細ですが、これが膨大な文章になってしまうので渇愛しましたが、読んでいて理解できない箇所や原文のニュアンスと違っているとお感じになる箇所がございましたら、補足をお願いいたします。 そのときは再度回答させていただき、ニュアンスについても再考したいと思います。
- D-Gabacho
- ベストアンサー率64% (1057/1649)
>私は「数学は人生の役に立つ」という観点に賛成します。 ここでは「観点」ではなく「意見」とするのが適切。観点は、意見や考えそのものではなく、意見や考えを何らかの対象に適用する場合に使うことばで、観点に賛成・反対するというのは意味が通じません。同様に「すらすらと自分の観点が言い出せる」というのも意味が通じませんので、「観点」を「意見」に置き換えるべきです。 >数学は私たちの物に対する認知能力だけでなく 「物に対する認知能力」というと、コップを見てそれを「コップだ」と認識できるというような、赤ちゃんや重度の認知症の人でないかぎり、誰でももっている能力を意味します。「物事を論理的に考える能力」と言いたかったのではないでしょうか?
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
細かいところはなおそうとおもえばいくらでもなおせますが、文章全体 の流れはさほどわるくないといおもうので、一番なおしたほうがいいと おもうところだけなおします。 第三段落の最初の文章が不明確です。 数学は私たちのものに対する認知能力だけでなく、会話のロジック性 を高める役にもたつとおもいます。 のようにしないと、文章が完結しません。 この作文でいいたいことの中心になる文章ですし、ぜひなおすべきと 思います。 あとは、こまかいですが、ロジック性という言葉はあまり一般的でない ので論理性といいかえたほうがよいです。
表現のおかしなところ >調査対象の数も78パーセントに ”調査対象の数”といったら”人数”ですから、それをパーセントで言うのはおかしい。 『調査対象の割合も78パーセントに上ります。』 『調査対象の78パーセントが、私と同じ意見です。』 『調査対象の78パーセントが、私と意見を同じくしています。』 >役に立つと回答した人の78%の割合に対して、役に立たないと回答した人は、その半にもありません。 『役に立つと回答した人の78%の割合』というと調査対象の78%の中の、さらに78%とも受け取れます。 『役に立つという回答が78%であったのに対して、役に立たないという回答はその半分にも及びません。』 あるいは 『”役に立つ”と言う回答が”役に立たない”という回答の2倍以上あります。』 パーセントと%が混在しているのは良くありません。どちらかに統一しましょう。 >このような考えを認める人がこのように多いのでしょうか。 「このよう」が繰り返されていて不自然です。 また、同じ「このよう」という言葉の示す内容がそれぞれ違うので、繰り返すことは避けましょう。 『なぜ、数学が役立つと認める人がこのように多いのでしょうか。』 >ロジック性 論理性としましょう >観点 論点 >言い出せる 言い表せる 「言い出す」は「言い始める」ことです。 >言い出せるではないでしょうか。 日本語としては「言い出せるのではないでしょうか。」が自然です。 『言い表せるのではないでしょうか』 加油!