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日本語へのご訂正お願い
- 海外で日本語教師をしている外国人が、日本語の文章の訂正をお願いしたい
- 多くの日本の表現には文化的な背景があり、そこから生まれる言葉遣いやマナーがある
- 日本のマナーや謙遜の文化は、他国の人々からも興味を引くものである
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質問者が選んだベストアンサー
1、以上はそれぞれ一理ある感想ですね。 @『ような』は必要ありません。 2、こう考えて見ますと、「またお会いしましょう」は積極的で、「さようなら」はどうも消極的で、「また会う」どころか、正反対の「もう会えなくなる」という意味もありますので、気をつけたほうがいいですね。 @『愁嘆的』という表現はまず用いません。使うのであれば『悲観的』でしょう。 ただこの場合『積極的』という表現が見られるので、その対義語である『消極的』としました。 以上の原因から、朝出かけるときに家族に「行ってきます」と言う代わりに、「さようなら」と言ったら、それは“永遠の別れ”、あるいは“死”を意味します。もう帰って来ないものと思われます。 「さようなら」における悲哀は、ある外国の詩人が1924年に日本を訪問した際に作った詩にも表れています。 @『もし』は要りません。『愁嘆』よりは『悲哀』が一般的です。 3、日本のMSNの相談箱でのことですが、ある質問に対し、わざわざ熱心に何千字もの詳しい回答文を書いてあげても、文末に、「長い文章で、すみませんでした」と書いて謝る日本人が結構います。 さらに面白い例として「今日はすみません。雨が降りまして」などと言う場合もあります。 @この場合『長い』は要りません。 4、相手を罵る言葉には、既に例として挙げた罵詈雑言がありますが、文化によって酷さの認知度が違います。 @『感知度』という言い方は滅多にしません。日本語には『罵詈雑言(ばりぞうごん)』という慣用語があります。 5、なぜ日本では、こういったマナーが存在するのでしょうか。次の日本人のコメントを読めば、納得できるでしょう。 6、こういった集団志向の強い社会では、次のような諺がまだ生きています。 7、たとえば、私が何か分からないことをネットで訊くと、見ず知らずの日本人が熱心に、2千文字もの詳しい説明文を書いてくれました。寧ろこちらが感動してどんな風に感謝したらいいかと迷ってしまうほどでした。しかも説明の文末では「長い文章ですみませんでした。」とか、「長文になりまして、失礼しました。」等としめくくっているではありませんか! 何故世話をしてあげている者に謝る必要があるのでしょうか。さすがに謙遜を美徳とする国民だと感心しました。 8、日本人の謙遜度を測るために、私は以下について、かつて日本人の感想を尋ねたことがあります。 9、それを読んで、私が10年前、日本に留学した時、渋谷駅にある“有楽菜館”という中華料理屋でアルバイトをしていたときの体験を思い出しました。お客さんの食べ終わった皿を調理場へ運ぶと、皿におかずが半分程残っているのを見たチーフが、かんかんになって怒ったシーンでした。 その時は彼が一体どうして怒っているのか、不思議に思ったのですが、後で周りの日本人に聞いたら、「食べ残しは失礼」という考えが日本にはあるからだということでした。 10、以上のように物乞いがいない原因はいろいろありますが、その中でも法律の規制のほうが面白いですね。 11、日本が世界水準から見て比較的豊かな国ということもありますが、日本人は子供の頃から「働かざる者、食うべからず」と教えられていて、物乞いは人の道にもとる、惨めで悪いことという観念が行き渡っているからでしょう。 @この場合は『行き届く』よりも『行き渡る』 12、過剰な勤務により、日本語の中には「過労死」のほかに、「サービス残業」や「朝残業」という言葉まで生まれました。 このような言葉が日本語の発音のまま、或いは漢字のままで、他の言語に伝播しているという事実が、日本人の勤勉さを、よく表しています。 13、個人が意識しなくとも、日本には上履きと土足があったり、他所の人に使う敬語と身内の人に使う言葉を遣い分けたり、「内と外」をしっかりと分けるような社会の仕組みになっています。 異文化間でのコミュニケーションにおいては、お互いに考え方や価値観が違うという考えを念頭において進んだほうが良いと思います。 14、たとえば、ネット上でこんな声が出ています。 15、ずいぶん昔の話ですが、1945年に第二次世界大戦が終結しても、戦闘停止の命令が届かなかったために、1974年までフィリピンの密林に身を潜め、フィリピン警察軍などと単独で戦闘を続行していた旧陸軍軍人である小野田寛郎という人がいました。 1974年初頭、日本人青年鈴木紀夫が現地を訪れ、小野田との接触に成功し、日本が敗北した経緯や今の状況を説明して帰国を促しました。しかし小野田にとっては、それが直属の上官の命令解除ではないため固辞したのです。そして同年3月に、かつての上司谷口義美元少佐からの戦闘停止の命令をもらって初めて降伏したのです。 戦争が終わっても小野田寛郎にとって、上司の命令は絶対的でした。彼にとっては命令がないまま勝手に任務を離れることは絶対にできないことだったのです。こうしたことは外国人には中々理解できないかもしれませんが、上司の命令には絶対服従をするという、優れた日本文化の顕著な例です。 内容はともかくとして、文章は大変に良く書けています。 幾らか日本語の慣習的な表現に変更しました。 ご参考まで。
お礼
ご親切な訂正どうもありがとうございました。その日本人の優しさに感動いたしました。