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命題論理と必要条件・十分条件
「pならばq」が真の時にpをqの十分条件と言いqをpの必要条件と言う、という説明をよくみます。下記の例1については理解できるのですが、例2のような「必要条件」や「十分条件」という言葉の使い方も正しいのでしょうか。 例1 「すべてのxについて、xが草ならばxは植物である」が真の時、xが草であることはxが植物であるための十分条件、xが植物であることはxが草であるための必要条件である。 例2 「東京スカイツリーが埼玉県にあるならば東京タワーは千葉県にある」が真の時、東京スカイツリーが埼玉県にあることは東京タワーが千葉県にあるための十分条件、東京タワーが千葉県にあることは東京スカイツリーが埼玉県にあるための必要条件である。
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- asuncion
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すべてのxについてとかいうのは、全然関係ないです。 例えば、 私が犬ならば、あなたは猫である という命題が真であるならば、 私は犬である は あなたが猫である ための十分条件で、 あなたは猫である は 私が犬である ための必要条件です。
- asuncion
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正しいっすよ。
補足
回答ありがとうございます。 質問文が言葉足らずでした。 例1で、{x|xは草}⊆{x|xは植物} 、つまり草であるxはすべて植物であり植物でないxはすべて草ではないということから十分条件や必要条件や「ならば」の意味を理解していました。しかし例2では集合は関係無く、例1とはそれらの意味が異なると思います。もし異なるとしたら二つの例のどちらにおいても同じ言葉を使うことは不適切なのではないか、と思っていました。 例2での使い方が正しいのは「ならば」の意味が例1と同じだからでしょうか。それとも意味が異なるとしても正しいのでしょうか。 (「東京スカイツリーが埼玉県にあるような世界のすべてで東京タワーは千葉県にある」が真の時…などと考えればいいのかもしれませんが)
お礼
ありがとうございます。 つまりたとえばオイラー図なんかを描いて集合の包含関係を図示するのは述語論理に関連する必要条件や十分条件の説明に有効なだけで、命題論理でそういう図が描けないからと言って命題論理と述語論理で必要条件や十分条件の意味が変わるわけではないということですよね。