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五・一五事件 「義挙」とされた政治テロ
僕は五・一五事件は本来、現役軍人が首相を暗殺する計画的な政治テロだったという程度の認識しかありませんでした。 しかしこの事件が当時、農村救済を大義に掲げる「農村のための義挙」だったとされていた事を最近習いました。 それで全国から減刑嘆願書が寄せられたり、軍法会議でも甘い刑が申し渡されたりしたという事ですが、これに対してある大学教授が、事件を裁いた軍部にも社会全体にも、武士が守るべき道徳である「弓馬の道」が欠けていた、と断じていました。 ここから質問なんですけど、当時の軍部や社会全体に「弓馬の道」が欠けていた、という大学教授の指摘はどういう意味なのですか?
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東大+明星大の名誉教授・小堀桂一郎でしょう。 全体を読んで文脈・趣旨を把握しなければ、正確なところはわかりませんが、表現・形容について著者の筆が滑ったというか、弓馬の道という言葉自体にこだわって難しく厳密に受け止める必要はないと思います。 質問文にもあるように、事件への処分について、国民も軍も政治も「甘過ぎた」のだ、という意味・趣旨、と受け止めれば、それで良い、と。。。 つまり、犯人たちに、国民がいくら同情を寄せても、軍部と政治は、後先を考え、法に従い、厳しい処分を、断固として実施すべきだった、ということを表現しているのだと思います。 汚職、国民の・特に農民の窮状、それらとは対極的な財閥や特権階級の肥え太り、こうした環境での国民の気持ちもわかるが、テロ、殺人、クーデタを許してはいかんではないか、甘過ぎる処分が、226につながったのだ、ということ。 特に軍部は、国民の同情に甘え、甘過ぎる処分にとどめて犯人の軍人仲間を救ったことで、さらに軍内綱紀を緩める結果を招いた、ということですね。 この場合は、弓馬の道=武士道と国民???といったことにこだわる必要もないでしょう。
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- TANUHACHI
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そうした見解を初めて耳にしました。どこの教員がその様な見解をどの論文で発表したのか、詳細な典拠をお知らせ下さい。小説やフィクションの世界ならいざ知らず、近代史の解釈として示したのであれば、具体的な史料を同時に提示する必要もあります。 何か道徳論やら最近の不気味な世相風潮に迎合するかのような言説と存じます。
お礼
東大名誉教授の小堀桂一郎氏が「運命の十年」の中でそう断じていたそうです。
- eroero1919
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よく分からないっすね。「弓馬の道」って要するに武士道ってことでしょ。「大衆は武士道が欠けていた」ってことですけど、大衆のほとんどは武士じゃないんだから武士道が分からなくて当たり前なんじゃないかと思いますけど。 その教授に「先生、武士ってのは明治初期の戸籍調査を基にすると人口の約7%だったということですから、大衆が武士道が分からないのは当たり前なんじゃないでしょうか」って聞いてみたらどうでしょうか。 ただし、その教授に睨まれて落第させられても当局は一切責任を負いません。
お礼
回答ありがとうございました。なるほど、そういう視点からの考え方もできる事が分かりました。ご意見は参考になりました。
お礼
回答ありがとうございました。おっしゃる通り、これは東大名誉教授・小堀桂一郎氏の指摘なんですけど、何で5・15事件の処断の甘さが武士道精神の欠如に起因するものだという理屈になるのか、その辺が僕にはよく分かりませんでした。