- ベストアンサー
人は、花が作る実を予想し、花に魅せられる、のでしょ
動物行動学についての易しい解説書を読んでいたら、次のことに出会いました。 1、 人が花に魅せられる理由は <「果実を予想させることによる喜び」ではないかと思っている。> <やがて自分たちの食料になるかもしれない“実“ができることを意味している。> と、説明してありました。 人が花を美しいと思い、魅せられるのは、実ができる、と思っている、ということは、有力な理由でしょうか? 2、 前項が正しいとすると、知能が高い類人猿は、人と同様に、食料になるかもしれない実を予想して、花に魅せられていることもある、のでしょうか?
- みんなの回答 (26)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私も鏡を見るとすぐに飽きます。 花は美しいとは思いますが果実を想像しませんね。この美しさの起源は刷り込みです(と思いますし本能である証拠を知りません)。木の花でなく草の花がいいと感じますからこれでは果実を期待できません。 ヒトの先祖の痕跡的な本能である、という提案は面白いと思います。花が散って実が成長するまで待つ図式になるのですよね。ロマンチックです。 生物は花より団子です。 ただし装飾文化はあると思います。雌の気を引くとか。従って団子より花になって、実ではなく、ロマンス、性淘汰の切り口ですね。可能性があるとすればです。 しかしそれも文化として継承できますし実際に花をめでるのも花を贈るのも文化ですよね。 質問者さんが本能にまで行ってしまうのがすごいと思う。文化じゃ不満ですか。あなたがチンパンジーに育てられたら花に美的感心を持たなかったとは思われませんか。人間の生活は幼児が花柄のパンツをはかせるだけでも刷り込み作業ですよ。幼稚園には花壇があるし、などなど。 著者の私説ないしサービストークだったとしても低級だと私は思います。低級な人らが科学者をやっていて動物学系や脳科学系はボロが出やすいのです。馬鹿でも方程式みたく数理的に演算して済まされない、素の思考作業ですから。 実はその著者の本は文章が面白いと評判だからエッセイとして読んでみようと思っていましたが、読む前にこの質問に出会い、読む気が失せましたね。果実を想像するから美しいという文言が出てきたところで、私なら本を投げてしまいます。 そういう本ばっかりだから、進化論系の読書は非常に良くありません。 その愚かな傾向の裏を返して指摘できるのは、理由を求めすぎなのであり、適応主義の病気なのです。つまりどんな性質も適応による理由が説明できるという原理主義があるのです。いわば一見自由で柔軟な発想に思わせながら全く逆の性格であり有利不利の理由付けをしないでは済まされないという石頭なのです。花→実がなるからなんて、幼稚園児の安直もいいとこですよ。そういう安直じゃないんですよ、生物学の醍醐味は。ましてや人間を扱うとなると言語や火など生物学ではない要素がひしめき合ってくるのです。その人畜の区別がつかない科学者は無能かつ有害なのです。 馬を美しいと思うのは馬肉を期待するから?便利な道具だから?肉体的な生存競争とは関係ない、文明競争に美学の有効性でしょう。数学に魅せられた数学者しかり。
その他の回答 (25)
- バグース(@bagus3)
- ベストアンサー率29% (1973/6719)
花は、花粉を運んでくれる虫を魅了する形になっています。 風で花粉を運ぶ稲の花はきれいじゃないです。 虫が花に惹かれるのは本能ですが、人の場合は観念でしょうね。
お礼
早急な早急な回答ありgは王ございおました。 虫は、蜜を求めて、花に魅了されているのですね。人は、奥底において、観念という姿をとっているとはいえ、実まで行かなくとも、魅惑されている、かもしれませんね、
- ffdtokuma
- ベストアンサー率7% (45/604)
1 そうだと思います。人間でも本能には逆らえないです。 2 類人猿は花でさえも食料と認識しそうですね
お礼
早速の回答ありがとうございました。 <類人猿は花でさえも食料と認識> ですね。人はさすが、花は食料とは考えず。見たり香を楽しんだりします。しかし、動物も、花を食べる直前に、美しいもの、と思っていたら、と期待しています。t
- widechild
- ベストアンサー率21% (4/19)
動物としての本能の奥深いところではそうかもしれませんね。果実は食糧となり、生命の維持につながりますから。 しかし、人間には生きるための本能以外に、感受性というものもあります。その感受性で花を美しいと感じるのだと思います。食用にならない植物の花にも魅せられるのはそのためでしょう。 花ばかりでなく芸術などにも魅せられるのが人間。生命の維持に直接つながらないものに惹かれるのは、人間が複雑な動物である証拠です。
お礼
早速の回答ありがとうございました。 <人間が複雑な動物である> ので、説明が明快にはならないとは、思います。widechild様のおつしゃる、人間特有の <感受性 は、 <本能の奥深い> 所にある、 <果実は食糧となり、生命の維持につながりますから。> から来ているのでは、ないでしょうか?
- nobuo4244
- ベストアンサー率1% (11/629)
動物に美意識などはないと思われます。人間だけではないでしょうか?
お礼
早速の回答ありがとうございました。 私も、動物は、人間並みの美意識を持っている、とは思っておりません。しかし、彼らにも、美意識の芽生えがあるのではなかろうか、と期待しています。
- customar
- ベストアンサー率17% (68/392)
ない。 動物なんとかで人間を語る話はトンデモ科学ばかり。 しかし発言者主義の馬鹿どもの間では正統になる。
お礼
早速の回答ありがとうございました。 <動物なんとか> から人間の心理や行動を解釈することは、難しく、不明階なこととは、承知しています。しかし、放り投げてしまうより、少しでも助けになる手掛かりがあれば良い、と思っておます。
お礼
何回もお付き合いを頂きまして、ありがとうございます。 今反省していることは、花が美しい、と私が言っていることです。しかし、花だけが美しいのではない。馬も美しい、星も美しい、ピタゴラスの定理も美しい。いろいろ考えていると、 <花ををめでるのも花を贈るのも文化ですよね。> をかなり納得できるようになりました。 <刷り込み> などの文化なのですね。 <適応主義の病気なのです。つまりどんな性質も適応による理由が説明できるという原理主義があるのです。> については、私はまさに該当しています。生態を考える際、私は適用主義に寄りかかっているようです。これこれは何でこんなになったの、というのを、たまたまそうなっただけ、という理由(理由にならないかも)では納得しません。何か理由が付けばーへ利屈であろうが、詭弁であろうが、ーそれを聞きひと安心します。適用主義の悪しき見本でしょうね。