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考え方と考えの違い
考え方というのは言語化できますか?言語化してしまえばそれは考えになってしまいませんか?
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考え方というのは「考える方法・進め方」であり、「考えの方向性・方針」を指す言葉。従って「考え方」を言語化した場合、そこに当人の「考え」が表現されるのは至極当たり前の事である。 例えばこの回答1つを指して、これが私「CC_Tの考え」であると言うことができる。 しかし同時に、ここに文章として示してあるのは、あなたの問いに対して私がどのように考えを進めたかという「考え方」、すなわち私の思考ルーチンである。 個人の考え方を文章にして示すことで他人も同じ思考ルーチンをなぞることができるため、疑似体験として他人と同じ知識・知恵を獲得することが出来る。考え方を言語化することが出来なければ獲得した「知恵」を他人に伝えることは困難であり、実地にやってみせる、手を取ってやらせてみせるといった体験学習、すなわち「無形文化の伝承」に頼る事になる。それでは一度に伝えることができる範囲に限りがあり、また伝承の過程において普遍性を保つ事も困難であるため、高度な文明が発達することはないであろう。 考え方を言語化することで繰り返しにおいても普遍性を保つことができ、また部分ごとに納得できたか否かも自己問答できるため、その考え方に納得するか否かを容易に判断することが出来る。
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- housyasei-usagi
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いろいろな考え方により違った考えになる ・・・こんなこと言っていいのかな? とりあえず、考え方の概要は言語化できるけど、 それによって結論がどうなるかは個人個人です。 料理のレシピはいくらでも詳しく書ける。 でも、出来上がりは・・・すべて同じですか?
- TANUHACHI
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たとえば、M・ヴェーバーの『経済と社会』と呼ばれる論集は政治社会学者であるヴェーバーが綴った論考を纏めたものですが、その中の一冊に『支配の諸類型』と呼ばれる論文も含まれています。 これはヴェーバーが集めた資料を分析したものを抽象化し概念化するプロセスに裏付けられた論文であることも知られています。 そしてその「概念」をどう把握するかによって、ヴェーバーの考え方を明示することも可能になります。
- ゆのじ(@u-jk49)
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全てのものごとは言語化(記号化)できる。考え方を明記するというのは、科学的文章作成の基本。