• 締切済み

ある因果関係について

以下創作です。 ある休日に、友人に誘われ、ある景色のいい岬に散歩にいきました。 前日はまれに見る大きな台風でした。原因は異常気象によるものかも、とテレビが言っています。 台風一過で本日はいい天気です。 岬だけあって、若干崖になっています。 天気がよく気持ちいいので、友人と岬の先端まで行きました。 ところが私だけ、足を滑らせ、崖から落ち、下の大きな岩にぶつかり半身不随となってしまいました。 ・・・とこんな話があったとします。 たぶん半身不随となったなった私は ・あの時友人に誘われなければ、こんなことには。。。 ・あの時前日台風で地面が湿っていなければ、こんなことには。。。 ・そもそも大きな台風がくるのは異常気象と関係があり、人間の生産活動の結果異常気象になったせいだ、と人類を憎む。。。 ・下に岩があったからいけない。。。 ・どうせならぽっくりいってしまえば良かったのだ。 とうじうじ考えることでしょう。 また逆に友人が足を滑らせ半身不随になったときには ・友人が足をすべられたとき、支えてあげられなかった。。。 ・あの時前日台風で地面が湿っていなければ、こんなことには。。。 ・下に岩があったからいけない。。。 ・誘いに乗らなければ友人はこんなことにはならなかったかもしれない。。。 とこれもうじうじ考えることでしょう。 一体何が悪いのでしょう。 どう考えたら救われるのでしょう。 こんなことを考えていると、何も実行できなくなります。

みんなの回答

回答No.9

因果関係には、その結果への寄与度の大小があります。 寄与度の小さい場合、気にするのは強迫神経症の恐れがあります。 特に、犠牲となった人の直接の誤った判断が主原因である場合、 それを他に転嫁する事は不可能です。 もちろん、「すべった時に助けられれば」あなたは英雄でしょうが、 それは誰にでも出来る事=義務ではありません。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.8

私だったら今手にしている大切なものを見失わないために、手にしているものを列挙していきます。 命は取り留めた。 一緒に居た友人には、同じ不幸が訪れなかった(二次災害に合わずに済んだ) 体の半分は動かせる。 思考できる。 今まで居た人(家族や友人)は、失ってない。 などなど 気をつけたほうが良かったことは、今後のために思い返すこともあるでしょうが悪者探しはしません。 自分の選択の責任を誰かや何かに押し付けても、未来を作ることはできないことを知ってます。 今、この時に私が取れる選択は何があるか。 できるだけ数多くの選択肢を探し、ベストチョイスに気を配っていくと思います。 今すでに、毎日そうやって生きていますから、そこは変えないと思います。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.7

不幸に心捕らわれれば不幸しか見えない 人は見たいものを見る

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

"一体何が悪いのでしょう。" ↑ 原因と責任を分けて考える必要が あります。 原因があるからといって、その総てに 責任を感じる必要はありません。 この場合は、原因はありますが、それに よって発生した結果は人智を超えています ので、責任はありません。

回答No.5

>足を滑らせ、崖から落ち、下の大きな岩にぶつかり半身不随  幸運にもここで半身不随になっていなければ、次の日に、帰りの列車事故で死亡していたのは確実。  以上、創作です。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.4

denzaさん、こんばんは。 >「(こんなことを考えていると、)何も実行できなくなります。」 それは、ウソでしょうね。 >「どうせなら、ぽっくりいってしまえば良かったのだ」 とうじうじ考えることでしょう。

noname#189751
noname#189751
回答No.3

未来とは不安なものです。 予測のつかない事が起きる。 人間にできる事は、最善を尽くす、という事だと思います。 望まざる不幸な事が起きてしまった場合には、 その因果関係を明らかにするよりも、まず、その事に対して最善を尽くす、最善の対処を行うことだと思います。 ケガをしたならば、まっ先に治療を行うのが筋道でしょう。 なぜケガをしたのか?と問うよりも治療が先です。 そして、その後に、因果関係を明らかにして当事者間の問題の解決をはかり、 二度と起きないように予防の対策を施す・・ まあ・・震災や原発のことを思うと・・ 最善という言葉に、揺らぐものを感じるですが・・ それでも、最善しかない 現実に起きてしまった事にも、未来への不安に対しても、最善を尽くすより他にないと思います。

noname#196973
noname#196973
回答No.2

わたしの母は足が不自由で、それこそ足が悪くなってからは出歩くのは嫌がるし、何も楽しみを持とうとしなくなるし、やはり不自由だしと色々不便なこともあります。 母本人もですし、一緒にいる家族もやはりいいことより不便なことが多いです。 でもちょっとしたときに、たとえば母の速度に合わせゆっくりゆっくり歩いたから気づくことのできた風景や、周囲の人の気遣いなど、もしかしたら何もなくても気づけたかもしれませんが、でも今この状況だから気づけたんだろうと、悪いことばかりでもないと思います。 人間万事塞翁が馬、悪いことを考えて何もしないのはもったいないです。 いくら準備しても完璧はあり得ません。 だから準備や勉強や、想像力を働かせて色々計画するのは大切だし、絶対しなくてはいけないことですが、それで何もできなくなるほど考える必要はないと思います。 人生なるようになります。っていうか、なるようにしかならないんです。 時にはあきらめも大切です。

denza
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人間万事塞翁が馬 確かにそのとおりなんですが、この創作の場合、塞翁が馬を著しく逸脱してると思うんです。おっしゃるように、不自由だと想像を超えるほど不便でしょう。 それを考え方で乗り越えられるものでしょうか。 うーん。

  • pyon28
  • ベストアンサー率11% (20/168)
回答No.1

それって、書いてある範囲にはないと思います。たぶん、その前に女を騙して二股したり したんでしょう。因果となるのならば相応の理由がありそうだからです。

denza
質問者

お礼

なんだそりゃ!!

関連するQ&A