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自分がここにいてもいいのか?
社会人として歩み出してから2年という歳月が経過しようとしています。しかし去年、就職先が決まって就職したは良いのですが、就職1年半で前の会社を退職してしまいました。しかし、前の仕事に関して大変だけど憧れているという気持ちは確かにありました。しかし、思っていたことと異なっていたのか、前の会社に勤めている際、「自分がここにいてもいいのだろうか?」という疑問符が湧いていました。無論、入社してから2年未満なので、期待や信頼がないということは当然のように理解できていました。ところが、「楽しい」という気持ちと「自分がここにいてもいいのだろうか?」という疑問符が拮抗し続け、揚げ句に不摂生がたたってしまったのか、2年連続で体調を崩してしまいました。 しかも、東日本大震災も相まって、「自分はこの世にいても良い人間なのだろうか?」という疑問まで抱いてしまったことも少しあります。(被災された方や亡くなられた方、行方不明の方々で、不愉快と感じてもご容赦ください。) そこで社会人の皆さんに質問です。企業や家庭等で、自分の中で「自分がここにいてもいいのか?」という疑問が湧いてきた方は、どのようにしてそういう疑問を解消させたのかを伺わせてください。 そして何より、ゆとり世代の人間の発言なので、この悩みそのものが悩みなのか否かも分かりません。
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- tomban
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「ここにいてもいいのか?」…そう考えるならば、先輩方にストレートに聞いてみれば良いと思います。 そういった悩みはそう珍しいものじゃないし、数々の悩みを経ているからこその先輩ですし。 仕事の悩みはそういったところで。 震災の話ですけど、私は「一人でも、生きているからこそ」良いのではないかと思います。 命というものは、たとえどのようなものであれ、代えがたい、掛け替えがないものです。 失ってしまえば、もう元に戻ることはない。 だからこそ、生きている人が亡くなった人のことを思うならば、それは「生きていくこと」を前提とするべきです。 どのような形であってもね。 生きていればそれでいいのですよ。 震災に学ぶのであれば、そのことをこそ学んで欲しいな、と思います。
- cyrus-kun
- ベストアンサー率25% (46/183)
>そして何より、ゆとり世代の人間の発言なので、 この悩みそのものが悩みなのか否かも分かりません。 少なからず、この発言はゆとり世代の人間から頻繁に 耳にする言葉ですね。 私自身、仕事柄、学生とかかわることが多くありますが、 皆、口をそろえて「何のために??」っていう言葉を 発しています。 何のため進学するのか? 何のために生きているのか? 「何でそんなことを聞くの?」と尋ねると、 生きている意味合いが見つけられないっていうんです。 私たちが学生のころは、いろいろなことに興味があり、 大人に叱られることをわかっていても、 ありとあらゆる、悪いことにも興味を持っていました。 叱れてそこからまた次のことに興味が移る。 そんなことを繰り返しながら、みな自分の生きる道筋を 築いていったように思えます。 でも、結局、今のゆとり世代が出来上がってしまったのは、 私たち大人の怠慢さなのでは?とも感じています。 自分たちが面倒くさいことに関わりたくないし、 厄介な思いをしたくないから、必要以上に子供の行動半径を 広げないようにしてしまっている。 結果的に子供は「井の中の蛙」となり、 成長したくてもしないまま育ってしまう。 だから、中途半端で釈然としない思いを抱えながら、 狭い範囲で残された部分で物事を考えるようになって しまっているし、頑張ったところで、誰に褒められるわけでも ないから、自分の存在価値を見出すことができないんでしょうね。 私が子供たちに伝えていることはどんなことでも 臆せずトライしてみなさいと。 失敗したらそこから、また学べばいいんだし、 何もしないままだと何も始まらないと。 そして、だれの為でもなく自分自身を喜ばせるために 頑張りなさい!!と。 そういいながら、励ましていますが、 学校や家に戻るとまた、やる気のない友達、先生、親に 囲まれ、また元の考え方に戻ってしまうようです。 底なし沼から抜け出したい。 でも、それがままならない。 聊か現代の風潮というか、 社会病のように私自身、受け取っています。 質問者様にたった一つできることがあるとすれば、 自分にとって何がベストか?ということについて 考えることなのではないでしょうか? 今の会社にいてもいいのか? では、今の会社を辞めたらどうするか? また、どうなってしまうのか? 目の前にあるものを失ってしまったときに伴うリスクに ついて考えれば、軽はずみに決断して良いことと、 悪いことの区別もつくはずです。 あるとき、私と僅かしか年齢が変わらない書店の店員に、 今の自分の生き方についてどう感じているか?と尋ねると、 「バイトのままでも十分不自由することはないから、 他人のことなんて気にもならないし、 努力なんてできればしたくない」と答えていました。 情けない限りです。 せっかくの人生なのですから、 自分の思うようにデザインしてみてください。 うまくいかないことも多々あるかもしれないけれど、 でも、そこからクリエイトしていくことに人生の醍醐味があるのでは ないでしょうか?
補足
「バイトのままでも十分不自由することはないから、他人のことなんて気にもならないし、努力なんてできればしたくない」 堂々とそんな発言をした人間に対して僕にとって、情けなさもここまでくると見上げたものだと思います。 「生きているだけで丸儲け」や「生きていれば大体OK」と唱えた芸能人たちがいましたが、僕の場合は何らかに興味は湧いていたにしても、なんとなく生きていただけだと、それらの考えは全く効果を発揮しません。僕の場合はその代償が社会人になってから現れてしまいました。 それを取り戻さなければなりませんが、昔に戻れないのが一番悔しいです。また、人生は小学校低学年で決まると言う人がいました。それが正しいのなら、僕の場合はもはや取り返しがつきません。
- hanabutako
- ベストアンサー率54% (492/895)
自分本位な悩みですね。 自分を入社させてくれた方の期待にそえているだろうか? 期待以上のことができているだろうか? と上の世代は考えます。 その答えは、 会社に利益をもたらす。 自分ができることを増やす。 人を育てる。 そのために頑張る。 と明確です。 「自分がここにいてもいいのか?」という疑問は、あなたがそこで働けるようにしているすべての人に失礼です。あなたがそこにいるのはあなただけの成果ではありません。
お礼
そうなんです。自分自身を否定的に捉えてしまったことが全てなんです。 現在は、まだ無職の身です。前の会社で実現できなかった報いを、転職先で必ずや実現させて見せます!
補足
御返事、ありがとうございました。 実は、「自分がここにいてもいいのか?」という疑問を抱いた時点で、「自分がこれ以上ここにいては、会社に申し訳がない」という気持ちが生まれ、成長していました。もし許されるのであれば、前の会社に謝罪をしたいです。
- anndoromeda
- ベストアンサー率15% (279/1846)
昔?は良く先輩などから。 「地に足を着けているか」などと言う言葉を聞いたものでした。 最近ではその様な言葉を使う人はいないのでしょうか? が、これはとても重要な言葉。 そして、身につけると言うか、思い出すというのか・・とても大切な感覚なのです。 それがあるなら、あなたの様な悩み?など起きません。 出かける準備がありますので・・一言だけ。 立っているとき。 足裏に何かを感じますか? 今までは、殆ど足裏になど気持ちを向けた事がないだろう・・と思います。 全身の力・・主には肩とか腰とかですが・・を抜いたときに、足裏に、例えば畳なら、畳の目を感じたりします。 最初は難しいかも・・ピッタっとくっつく感じなどでも・・ それが、足裏感覚・・そしてそれが「地に足を着ける」と言う事です。 早速やって見ましょう ただ、一回位やっただけでは殆ど効果はありません。 毎日・・そして、気付いたなら何時でも。
お礼
御返事、ありがとうございました。 正直なことを言えば、感触はしっかりと感じていましたが、それに関する疑問をじっくり考えたことが一度もありませんでした。 なるほど、地に足が着かないと歩くことすらできませんものね。
お礼
さすがに自殺は考えたことはありませんが、「その業界にとって自分は何なんだろう?」という具合に考えていたのが最大の考えでした。 震災で亡くなられた方の中に、殉職という形で亡くなられた方が大勢いらっしゃるので、僕は前の仕事において「僕は意味を成していないのではないか?」とか「僕は役に立っているのだろうか?」、挙句の果ては「僕は生きていて良い人間なのか?」という考えになったのかもしれません。 そして、生きているのだから、人に迷惑をかける生き方だけはしたくありません。