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禅の言葉「即今・当初・自己」の意味と行動への影響
- 禅の言葉「即今・当初・自己」は、今ここで自分が生きるという意味を持ちます。
- この言葉に沿って行動する場合、将来のことを考えずに自分にとってやりがいのある仕事を選ぶべきかについて考える必要があります。
- ただし、家族にリスクが伴う場合は、自分を中心に考えるだけでなく、家族へのリスクも考慮する必要があります。
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禅を学ぶ前に、仏教の変遷を一度調べると良いかと思います。 元はお釈迦様の発想ですから、宗派がこれほど沢山あることが不思議ですよね。 ところがどこの宗派もお釈迦様の教えについては完全理解していて、同じ事をいっています。 禅では、 「お釈迦様の言ってる事は、わかっちゃいるが、出来ないんだよな」 と言う人向けの練習方法を開発し、伝えているようです。 どう教えれば簡単に出来るようになるのか? ここを研究し、弟子にのみ伝えているようです。 ですから、最初のお釈迦様の教えに関しては、普通に教えてくれます。 仏教の教義、特に禅は、人の能力向上について研究しています。 人の思考は散漫で、考えても無駄な事に悩み、有効な事を嫌がる傾向があります。 そこで、無駄な事に悩む原因は何かを考え、整理し、それぞれに対抗する練習をすれば、 これらが消えてゆき、有効な事にのみ思考を使えるので、相対的に優秀に成るという発想。 お釈迦様が説いたのはここです。 物事には物理的な法則と、これを見たときの人の感想がある。 因縁果法という4段階を定義しています。 因は、潜在する要素。(例えば不発弾) 縁は、外からの刺激や作用。(例えば衝撃) 果は、物理的な動き。(例えばエネルギーが発生し、土石が飛びまくる) 報は、人がつけた現象の名前や感想(例えば、爆発がおきた) こうして分類すると、人が語る言葉の殆どは、報です。 「道路工事をしていたら、不発弾が埋まっていて、爆発したんだ」 これら道路工事、不発弾、埋まっている、爆発は、ある現象について人がつけた名前ですから、 実際に見たものじゃないですよね。 つまり、体験していないのに、想像できるように作られた言葉です。 私が語る文章の語句全てが、そうして作られた概念用語で出来ていますよね。 と言うことは、誰もが誰かの感想を繋げて思考しているため、具体的な未来を想像できない。 思考できないとなります。 例えば、地震と言う言葉があります。 こういった災害につきまとうイメージはネガティブですが、 本当に自分が被害を受けるのは、例えば、建物などがくずれ、自分の体にあたったときです。 なのでこれを対処する事で防げるわけです。 非常に有名な言葉で、 「あたらなければどうと言うことは無い」 と言うのがあります。 こうして考えていくと、意外と身近にある何かと変わらず、対処が可能な事しか起きません。 すると、気が楽になって、ストレスが抜けますよね。 つまり、 「 人間と言うのは、人の噂や概念に付きまとうイメージで判断(ものぐさですね)しているようだよ。 実際に物理的な因果関係を調べ、対策を練るということは結構しないようだよ。 その上で驚くのは、 まるで確定した未来のように錯覚して、悩み続けることが多いようだよ。 困るのは、自分では気が付かなくて、精神を病んでしまい、実際に苦しむことだね。 まずは、このあたりを知って、テンパらないように教えないと、実害が本当に出るよ。 」 と言うあたりが活動の趣旨じゃないかと思います。 教えてる事は非常に現実的で、 ・人から聞いた概念で夢を見ないこと (例えば幸福、栄達、有名。これらは実際に存在するのではなく、第三者の感想です) ・人から聞いた噂で人が得していると錯覚しない事( (例えば、優秀な人、上手な人。これも他人が勝手にする感想です) ・人から聞いた噂で自分が出来ると慢心しない事 (例えば、普通はできる、結構簡単。これは更に感想の噂です) ・人から聞いた噂で自分が出来ないと諦めない事 (例えば、難易度が高い、稀有、努力が必要。同様に誰かの感想です) ・人から聞いた噂で自分が神秘的な力を持っているのじゃないかと期待しないこと (例え持っていても、代替する手段が科学的にあり、コストが安く、これは誰もが利用できる) 以上の事柄は並べて見ると当たり前なのですが、 けっこう自分の思考はわがままで、出来ないんですよ。だから練習(修業)法を教えている。 その上で、他人に向かってストレスをぶつけたりします。 教育上の問題で、幼少期に甘やかされていると、何でも人に頼る癖が付きます。 ですので、禅では他力による本願をよしとせず、自分のツケは自分で返せと言います。 人のせいにする事を許さず、こうした人を入信させません。 例えば、 修業をすると立派になれるんですね? と言う考えですと、やはり修業や指導者に頼ってますから、 他力ですね。それが故に、真面目に修業している人が発想を変えられずはまるようです。 ここが失敗して下手だから、もっと練習しよう。と言う人は上手くいくでしょう。 さて質問者さんへの回答です。 ”零細企業”、”倒産”、”リスク”、”給与が少ない”、”未来”、”誰にも分からない”。 全てが概念用語であり、現実に活動している企業数は確定しており、 それぞれには社則があり、経営状況があり、加えて募集している人材があります。 これらのケース一つ一つに対して、因縁果があり、これに対して自分が感想として報を行なうのです。 大雑把にまとめあげず、個別に入念に調査し、検証し、アプローチして見るしかないです。 仏教が言いたいことを大雑把に言うと、 ケース毎に違うのだから、自分で考えなさい。 考える知恵をつけるためには、オカルトを含む他力本願はやめなさい。 考え方として、因縁果があるので注意しなさい。 報とは自分の感想なので、感じ方も注意しなさい。 けっして他人の報で思考するのはやめなさい。 それは現実には存在しないから。 自分の仕事に誇りを持ってまい進しなさい。(天上天下唯我独尊) 最後に、人の認知は脳の解釈ですから、どうしても誤差がでます。 そこから出られないと言うことを知り、不用意に事実を見たとか、わかったとか言うのをやめなさい。 ここから発展させて、存在しない幸せを求めるくらいなら、 今を確り見て、少ない人生を最大活用して満喫しなさい。 あっという間に老いてしまうから。 そんなことを述べていると思いました。 以上、参考になれば。
その他の回答 (2)
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
形而上の心構えを説く禅の教えをもって、形而下の人生設計を決めてはなりませんよ。
お礼
ご回答を頂きありがとうございました。 参考にさせて頂きます。
- maho_m
- ベストアンサー率6% (7/115)
まず、禅とは何かを考える事からでしょう。 しかし、大企業であったとしても「一寸先は闇」なのに、それで 安泰と考えるのはお門違いと言えるのではないかな? リスクが無いと考えられる材料は何かあるのかな? 結局、走って走って走り抜いた経験の方が、役立つと思いますよ。 座禅で精神統一が出来て考えるフリができても、それで考えが まとまるなんて幻想に等しい。
お礼
ご回答を頂きありがとうございました。 参考にさせて頂きます。
お礼
ご回答を頂きありがとうございました。 参考にさせて頂きます。