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伝統の破壊
こんにちは。 歴史は興亡の連続です。 家康は大阪城を壊しました。 アメリカは日本の伝統を壊そうとしていたという。 滅んだら伝統はぶっ壊されるのが常であるかどうか できれば実例を交えて聞きたいです。 伝統がしっかりしているとどうなるか、 ないとどうなるのか知りたいです。 よろしくお願いします
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こんにちは。 つまりは戦争の勝敗によって文化が破壊され、その後の文化が変質したか否かという点についての実例を知りたいということでしょうか。 もしこれであれば、少しだけ回答を持ち合わせていますので回答します。 まず文化とは何か、という点ですが、これは「人の思考や思想が造形や行動へ反映された結果の様式」と定義しましょう。 考え方によって、建築デザインや衣服のデザインが違ってきますし、どう行動するかも違ってくるのです。 これは生活様式や職業に対する見方などがありますが、戦争に敗戦した場合、これらの思想や思考が変わるでしょうか。 結論を言いますと、日本においては衣食住というものは戦争に関わらず変化しています。 しかし行動様式は敗戦によって一変しました。 世界の例では伝統が一変するというところもあります。 どういうことか具体的に見て行きましょう。 日本のケースで言いますと、今までの歴史的伝統的意識というものは、確かに敗戦によって大きく変化しました。一番変わったのは軍人への印象でしょう。今まで軍人は一番偉い扱いだったのに、敗戦を機に大衆の見る目が変わってきます。 それでは伝統はどうなったかというと、今までの強い親父、頑固親父というものが消えてなくなり、娘や息子の扱いに困る、気弱なサラリーマンとしての父親が一般的となりました。 これは主体的な変質というよりも、客観的に見て、どういう父親像が正当であるか、という点における各時代の父親像と合致します。もし敗戦が無ければ、頑固一徹で怖い父親というものは健在であったでしょう。昔においては、父親からの子供への暴力性というものは許容されていましたが、今では暴力は許容されません。 それと同時にタバコを吸うなどの女性は昔は見られなかったものの、現在ではだんだんと一般化してきています。 こうした具体例は、戦後に占領したGHQが目論んだことではありません。ですが、敗戦に伴って今まで信じてきた伝統と権威が薄まることによって、今までの伝統的ルールも薄まっていったことが遠因として存在するでしょう。 もう一つ、実際のデザインなどについてみてみましょう。 注意深く見れば、その伝統がどこまで息づいているかは分かると思います。 神社仏閣は存在するし、近代建築だけかと思えば和風の家もある、洋風の家もある。衣服だけ見るとおおよそが洋風に変更されたが、もはや日本発といっていい改造レベルのものまである。食事は和洋中なんでもござれ、しかし全て日本風に改造されたものという。明治あたりから洋風文化の取り入れは進んでいたので、これは敗戦とは関係が無いと言えます。 そうして現在の日本となったのですが、これをまとめると、「日本においては衣食住というものは戦争に関わらず変化したが、しかし行動様式は敗戦によって一変した」という形になるのです。 伝統的意識がしっかりしていれば、父親の威厳は保たれるでしょうし、女性もタバコを吸わないでしょう。しかしそれを出来ている家庭は多数派一般的な数とは言えなくなってきています。また、夫がどれだけ乱暴狼藉を働いて飲む打つ買うをしても妻は我慢の身、世間から責められるのは旦那であっても、妻からの離婚などはもっての他、万が一離婚する際には、今では考えられないくらい余程のことがあったのだろうと心配されるような意識はあったかと思います(もしかしたら地域差はあるかもしれませんが)。 しかし、敗戦を機に夫側の威厳も無くなり、女性の意見も通せるようになって、離婚率も上昇しました。 これは日本がアメリカを占領した例です。 次は中国が東トルキスタン、チベット、南モンゴル、ウイグルなどを占領している例を見て見ましょう。 元々イスラム教が済んでいた土地を中国が併呑した時、中国は近代化の一つとして、神への祈りをやめさせました。これは日本人で言うと初詣をやめさせるようなものです。 更に、教育も中国語、職も中国語が出来なければ就労できず、そして伝統文化までを奪っていく。近代化と称しながら彼らの伝統文化を破壊しているのです。 逆に香港のように経済的併呑を受けても、その文化はそのまま、という地域もあります。但し、1969年にイギリスから中国へと返還されたことを「(香港領域拡大協約での)99年間の租借期限が切れたから、契約に基づいて平和的に中国に返還された」と思ったら間違いです。元は香港領域拡大協約(新界租借)の延長をしようとサッチャーがネゴしたところに小平がこれはチャンスとばかりに「『新界の租借の延長はしないし、香港島、九龍の返還も要求する。交渉で実現できないのであれば人民解放軍を投入して実力で香港を回収する』と領土問題の解決に戦争も辞さないという態度で臨んだため」、民族自決の観点とイギリスの経済的疲弊から止む無く返還に合意した経緯があります。返還前の香港では脱出のための移民ブームがあったと聞きます。共産党政権下ではどうなるか分からないからです。
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- shirouuda
- ベストアンサー率17% (14/78)
近年の研究により、 一般民衆の生活の変化は、 明治維新よりも、太平洋戦争よりも、 高度経済成長の電化と引っ越し。 特に引っ越しが村の伝統の継承を不可能にした。 若者がいなければ、継承は不可能だ。 ウヨやサヨは、外国のせいにしたがるが、 日本人自らが、村の伝統を放棄して、見知らぬ土地へ引っ越したのだ。 伝統社会を復活したいのなら、 まずすべきは、 村の祭りや学校のPTA活動に積極的に参加していくことだ。 それが昔の日本人。
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
●家康は大阪城を壊しました ○それは「伝統の破壊」ではなく「前権力者の象徴の破壊」です。 ●アメリカは日本の伝統を壊そうとしていたという。 ○どこからそんな事実が? 「軍国主義」にかかわるものを排除しようとして変なものまで規制していたのは事実ですが、伝統を破壊しようとしてたわけではないかと思います。 ●滅んだら伝統はぶっ壊されるのが常であるかどうか ○滅びたことで継承者が消滅して結果的に「伝統が途絶える」ことはありますが、滅ぼすことと伝統を破壊することは別物です。 ●伝統がしっかりしているとどうなるか ○意味不明です。 基本的に精神文化を破壊することはなかなか難しいです。江戸時代にキリスト教が禁令となっても隠れキリシタンがいたように。 「伝統」とは結果でしかないです。
- maho_m
- ベストアンサー率6% (7/115)
まずは質問者が言う「伝統」を定義して下さい。 あとは温故知新という言葉の意味を学びましょう。