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吉良上野介「義央」の読み方

吉良邸に行ってきました 看板に説明が書いてあったのですが、場所によって「よしなか」であったり「よしひろ」であったり「よしひさ」でした 同じ園内で三つも違うルビで記されてました どれが正解なのでしょうか? 歴史が得意な方お願いします

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>どれが正解なのでしょうか? どれも正しいと言えば正しい。 今日、一般的(通説的))には、「よしひさ」で通っています。 また、「江戸時代史」(三上参次・元東大教授)では、「よしなか」と講義されているようです。 つまり、「義央」の署名は数々ありますが、「ふりがな」を振っていませんし、当時の人々がどのように呼んでいたかの、確たる証拠も見つかっていないためです。 (よもやま話) 同じように、鎌倉幕府での「北条政子」も、「まさこ」と呼ぶのが一般的になっていますが、これは、従三位を朝廷より送られた時、名前がなくてはおかしい・・・と言うことで「政子」と命名されました。 つまり、それ以前の名前は諸記録を見ても一切出てきていないため、何と呼ばれていたかは全くの不詳なのです。 しかし、これは父の北条時政(ときまさ)の「政」をもらって付けたと言われており、父が「ときまさ」であったため、「政子」も「まさこ」と呼んだのではないか・・・との説です。 また、尼将軍と呼ばれるようになってからは、「平政子」と署名された史料が一通見つかりました。 多分、夫の源頼朝やその子である頼家、実朝が死亡してしまい、「源」の姓を名乗る必要性がなくなったために、北条氏は「平氏」の家系ですので、「平政子」と署名したものと考えられています。

gaitu
質問者

お礼

当時はルビというものが無かったんですね 詳しくありがとうございました とても面白かったです

その他の回答 (2)

回答No.3

もうひとつ「よしちか」と言う呼び方もされてます 他の回答者さまの通りどれも正解のようです

回答No.1

“義央の読みは、従来「よしなか」とされていたが、 愛知県吉良町の華蔵寺に収められる花押などから、 現在では「よしひさ」と考えられている。” とのことです。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%89%AF%E7%BE%A9%E5%A4%AE 華蔵寺のURL http://www.city.nishio.aichi.jp/nishio/HAZU/kira/kanko/pub/miru/bunkazai/kezouji/index.html

gaitu
質問者

お礼

わざわざありがとうございます! よしひさ、が一番最近の呼び方なんですね!

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