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死ぬは戦の花?

こんにちは。 戦場で散るは戦の花だ、というせりふがあったと思います。 歴史学ぶと、敵の捕虜となりおもちゃとなる、慰み者となるくらいなら 戦死したほうがましだ、という考えなのだろうとわかります。 皆さんはどう思いますか? 辱めを受けて犯罪者として処刑されるくらいなら死んだほうがましなのかもしれません。 ただ、この国はまけたらアメリカの奴隷になると覚悟していたのに比較的好条件で推移してきました。複雑な思いです。

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  • octopoda8
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回答No.1

大脱走という映画の中で捕虜の将校が兵士に訓辞をするシーンがありました。 生きて捕虜になり敵の兵站補給に負担をかける事。 敵軍の情報入手と友軍に伝える事に努力する。 常に脱走を企て敵軍に負担をかける事。 こんな感じだったと思うのですが、映画だからと言う事でなくとも、至極もっともな事ばかりです。 しかし、日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず。」なんて事を言っていました。 敵にしてみりゃ捕虜を養う手間が省けるのですから、願ったり叶ったりという所でしょう。 ところが、作戦失敗後現地に連れて行っていた芸者とともに、飛行機で真っ先に逃げ出した牟田口廉也なんてバカ将官もいるのです。 結局、兵士達はともかく、それを命じていた上層部は口先ばかりという事かもしれませんね。

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その他の回答 (5)

noname#194996
noname#194996
回答No.6

敗戦後の占領軍による戦後処理のなかでのA級戦犯は別にして、捕虜虐待などの罪を問われたB,C級の戦犯が問われた事情には、旧日本軍がいわゆる国際法に対して全くというほど無知、無関心だったことがおおきく関係していたということが言われます。 日露戦争までは世界の模範になるほどにこの点に対して非常に気を使っていた旧日本軍の、その後の変質が指摘されていますが、上層部が知らなかったことを下級の兵士達に徹底できるはずはありません。昭和16年に陸軍大将だった東条英機が発した「戦陣訓」はその無知の最たるものだったということでしょう。

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  • TANUHACHI
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回答No.5

 兵を失うのはその将に指揮官としての器量が備わっていないからとの話であって、戦陣訓のような仮想念仏には意味はありません。  戦に散るなどはまことに聞こえの良い言葉ですが、戦争はいつもむごたらしいものでしかありません。

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回答No.4

戦陣訓のことですね。通州事件という戦後日本では歴史から抹殺されてしまった事件があります。Wikiなどで調べてみてください。この事件が戦陣訓発布の一因になっているのは想像に難くありません。シナ4000年の歴史は戦の歴史で、戦の後は女性の死体を凌辱する習慣がありました。 日本の自衛隊やレスキュー隊は、死体を傷つけないように、パワーショベルなどの使用は最低限度にとどめて、手掘りします。遺体が発見されれば近くの者が集まって黙祷を捧げます。遺体に対する敬意を忘れません。まさに「おくりびと」の精神です。 たとえ死後でも、女性の遺体を凌辱して劣情を満たすような行為は、日本人には我慢できないのです。

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回答No.3

お國のためと喜んで散った人々がいたからこそ今の日本があるんだ。 原爆を落とさなければならなかったほど、敵国をビビらせたんだ。 誇りに思え!

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  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.2

日本軍はこんな教育をしていたので、捕虜になってしまうと破れかぶれで次々に重要情報をしゃべってしまったそうです。 米軍は「捕虜になっても生き残れ」だったので情報が流失せずに済みました。兵士を大切にするか否かで情報戦でも崩れていったのです。

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