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《ウンコ》は哲学になるのか?
- 笑いの哲学、性の哲学的考究などはあるが、《ウンコ》、《排泄》を扱った哲学はない!なぜ哲学では、《ウンコ》について考究しないのか?
- 《ウンコ》は生命活動にとって重要だが、なぜ《ウンコ》は哲学的な課題になっていないのか?
- プラトンは《ウンコのイデアがあるか》という質問に答えず、最終的に《イデア論》を放棄したと言われている。《ウンコ》をなぜ哲学者は取り上げずに放置したのか?
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このご質問に感謝します。 1.ルイ9世 経験なキリスト教徒にして名君の誉れ高いルイ9世が深夜家臣とともに街中を歩いていた。(水戸黄門様の場合と同じように、視察をしていたらしい。)暗い街路を歩いていると、一軒の家の2階の窓からぼんやりとした明かりが見える。「おや、珍しい」(電気などなかった当時、夜間に明かりを灯すことは珍しかった)と思い、上を見上げたとたんに、な、何と糞尿は降ってきて顔面を直撃。ルイ9世は袖で顔を拭きながら、家臣に様子を見てくるようにと言ったそうです。 「煤けたランプの下で、何やら一心不乱に勉強していました」という報告を受けたルイ9世は、「夜中にまで勉強するとは、見上げた学問熱心。わしが出したとは分からないように奨学金を出してやりなさい」とのたまわれた。さすが、名君ですねえ! 2.大学のトイレ 高尚な前段とは違って、マコト尾篭なお話で恐縮ですが、某大学文学部のトイレの落書きから収集された、ウンチクのある糞尿譚。 (1)外国語学科の巻:"Cogito ergo sum." のパロディ→(ラ)"Unco ergo sum." (仏)"Je unco donc je suis."(英)"I unko so am I."(西)"Unco luego soy."… (2)独文学科の巻: "Ich unko also bin Ich, und Ich fumbarke das Unchi." (3)国文学科の巻:「カミに見放されし者よ、みずからの手でウンをつかめ!」 馬蹄形に座って、目の前のドアに"Unco ergo sum." と書いてあったのを見たときは、「実感!」と思いました。(それで、その続きを書き足したのは、実は、私でした!)
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- Mokuzo100nenn
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>《ウンコ》は哲学になるのか? いや。哲学が時々うんこになるぐらいだな。
お礼
☆いや。哲学が時々うんこになるぐらいだな。 ◇それほど、《ウンコ》は素晴らしいものだということで。。。 回答、ありがとうございました。
- ukiyotonbo
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糞便学は、体系だった学問であり、哲学的考察も勿論含まれます。 糞便学会を中心にいくつかの研究会が活動しており沢山の論文が発表されています。 医学、生物学、心理学、社会学をはじめ、芸術、風俗とも関係深く、裾野は非常に広いと言えます。 まずは、女性が全裸で排泄する専門サイトがあり、哲学的コメントも寄せられていますので参考になさってみて下さい。
お礼
こんばんは。 ☆糞便学は、体系だった学問であり、哲学的考察も勿論含まれます。 ◇糞便学(Skatology・スカトロジー)という学問、学際的な領域があるのですね。 はじめて知りました。 情報提供、感謝します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC ☆まずは、女性が全裸で排泄する専門サイトがあり、哲学的コメントも寄せられていますので参考になさってみて下さい。 ◇以前、この哲学カテで《モザイク消せ消せ同盟》、《サナダムシ愛好会》と呼ばれたことがあります。 でも、ちょっとその方面の趣味は持ち合わせておりませんので、ご容赦のほどを(ペコリ)。 回答、ありがとうございました。
- Him-hymn
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朝日新聞の天声人語の記事をみつけましたので、そのままをここに。 つまり、ルイ14世の時代には2000個ものおまるがあり、汲み取りと入れも一応王様専用としてはあったということです。私もおまるがあることをトイレと言ってしまいましたが、これは分けて考えるべきだったですね。天声人語としてはめずらしく、堂々と間違いを認め、訂正を天声人語上に出しました。 ーーーーーーーーーーーーーー以下天声人語より 「ベルサイユ宮殿にはトイレがなかった。 ルイ王朝の貴族たちは適当に用を足し、 廊下も庭も悪臭に満ちていた。 フランスの歴史学者、アラン・コルバンの大著 『においの歴史』を引用して、こう記した。 同じような記述は辞典などでも目にするし、 太宰治の『斜陽』にも出てくる。 しかし事実と異なるのではないか、 昔の朝日新聞にもそういう記事が載ったはず、 との読者のお手紙だ。 調べてみると16年前、先輩記者が現地取材し報告していた。 のちに自著でも詳述している(岡並木『舗装と下水道の文化』論創社)。 結論から言えば、ルイ14世の時代は王様専用の くみ取りトイレと、約2000個のおまるがあった。 つぎの15世は約50カ所の水洗トイレをつくった。 それが知られていないのは、革命のときに壊されたり、 見学コース外だったりするせいらしい。 これも訂正しなければならぬ。 思い込みは怖い」。
お礼
回答、ありがとうございます。 ☆思い込みは怖い ◇ですね。 わたしも、コロッと騙せれていました。 「な~んだ、ヨーロッパも意外に大したことないな」という民族的な自尊心が、長い間、わたしを真実から遠ざけていたようです。 反省です。
- Him-hymn
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Him-hymnです。 ベルサイユ宮殿にはトイレがなく、その庭園で野○をしたといいますし。。。 これ、太宰治がその著書で紹介したことから、多くの日本人の知るところとなりましたが、実はこれは事実ではなかったのです。いわゆる水洗式トイレはありませんでしたが、ちゃんとトイレは存在していたのであって、まさかベルサイユ宮殿で紳士淑女がそんなことをするわけはないと思いつつ、大宰先生の言うことだからーーと鵜呑みにしてしまったのがまずかったということです。 なお、この件について朝日新聞の天声人語でも間違って記述をしてしまったため、読者から指摘され謝罪したという経緯があったと記憶しております。
お礼
回答、ありがとうございます。 ───────── *城塞・ヴェルサイユ宮殿 ヴェルサイユ宮殿では、当初トイレとして独立した部屋がなく、ルイ14世の時代には274個の椅子式便器があった。しかし、宮殿には常時4000人もの人が生活していたので、274個ではあまりに少なかった。そこで近くに便器がない時廷臣たちは、廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足した。貴婦人たちの傘のように開いたスカートは、このために考案されたといわれている。清潔好きの者は、陶製の携帯用便器を使っていたそうだが、中身は従者が庭に捨ててしまっていた事に加え、宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたため、ヴェルサイユ宮殿は中庭や通路、回廊など糞尿であふれ、ものすごい悪臭だったそうだ。 また、当時の紳士淑女の服は月1回洗濯できれば良い方で、服にカビが生えているのは当たり前だった。お風呂やシャワーも全く利用しなかったため、体臭など臭いをごまかすため、香水を大量にふりかけていた。ヨーロッパではこういう背景から香水が発達していったそうだ。 *エチケット 現代、「礼儀作法」というような意味で使われているエチケットは、フランス語で「立て札」という意味である。ルイ14世の時代、ヴェルサイユ宮殿であまりにも宮廷人たちが手入れした庭に踏み入り、木陰で用を足すので、庭師が「立入禁止」の札を立てた。それでも初めの頃は、誰もこの立て札に注意しなかったそうだが、そのうちルイ14世が立て札を守るように言い守られるようになった。この事があってからエチケットは、今日のような広い意味で使われるようになった。ただし、エチケットという言葉を礼儀作法という意味で使うようになったのは、19世紀後半の英語圏においてで、本場のフランスでは「savoir vivre(生活の知恵)」という。 http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/kou%2803-7-31%29 ───────── らしいです。 http://plaza.rakuten.co.jp/laurier/diary/200906190000/ にも書いてあるようです。 「おまる」を使っていたという話は聞いたことがあるのですけれども、 椅子式のトイレはあったのか。。。 《エチケット》なる言葉は、《ウンコ》と《おしっこ》に関係していたのか。。。 勉強になりました。
お題に関して思い出したことですが、最近まで哲学の主題になりにくかったものに性があります(20世紀に入って、マルセル・デュシャンなどいくつもの性哲学が生まれましたが)。誰の著作だったか忘れましたが、この件に関して、「神は生殖器を排泄器(とその近く)に拵えた。この神意は非常に深いものがあると考えねばならない。」というような意味のことを書いていました。これは、まちがいなく排泄物を取り込んだ哲学だと思われます。残念ながらあとの内容は忘れましたがw。 これ参考になるでしょうか。
お礼
回答、ありがとうございます。 ☆「神は生殖器を排泄器(とその近く)に拵えた。この神意は非常に深いものがあると考えねばならない。」 ◇いい言葉ですね。 ご紹介いただいた「性の哲学」について、すこし勉強してみることにします。 情報を提供していただき、ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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宇宙の果てから、認識を成立させるために延々と連なってきた 因果律は、“ここ”に認識を構成し、通り過ぎてうんことなる。 即ち、「宇宙の果て」は自分であるが、「うんこ」は、自分以外の 唯一のもの=宇宙(生)の対極であり、そこから漂う死の香り。 人は普段、自分の死を忘れる事で安心を得ているが、真実に 目をそらす事で見えなくなるのは、死だけではない。 臭いものフタをしては、死だけではなく生(真理)も見えなくなる。 宇宙としての自分の内に、唯一排泄される対局物(うんこ)、 それをいじりまくる事が哲学の本質なのだ。
お礼
こんばんは。 ☆即ち、「宇宙の果て」は自分であるが、「うんこ」は、自分以外の 唯一のもの=宇宙(生)の対極であり、そこから漂う死の香り。 ◇《ウンコ》は、「そこから漂う死の香り」ですか。 であるならば、 西洋の実存主義哲学は、 何をさしおいても、 《ウンコ》をつぶさに観察し、そこから哲学を構成するべきであった!! 《ウンコ》をその中心課題に据えるべきであった!! 御慧眼、いたみいります。 ☆臭いものフタをしては、死だけではなく生(真理)も見えなくなる。 宇宙としての自分の内に、唯一排泄される対局物(うんこ)、 それをいじりまくる事が哲学の本質なのだ。 ◇《ウンコ》は、哲学にとって大切ですよね~。 回答、ありがとうございます。
- Him-hymn
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まず、《ウンコ》について。 排泄物として、《ウンコ》であるとか、排泄器であるとか、そういうものは、西洋文明の源流といわれる聖書の舞台であるパレスチナ地方では、忌み嫌われていたと思われます。こと聖書に関しては、トイレの記述などほとんどありません。唯一一カ所、土に埋めたということが出てくるだけです。また、排泄器などの表現は出て来ません。 1917年にパリ博覧会で、Marcel Duchampが芸術作品として、「泉」と題して、「便器をそのまま展示しました。これに世界にセンセーションを巻き起こしました。便器だの《ウンコ》だのが芸術の分野に入ってきたのは実に20世紀のことなのです。 翻って、わが日本には、芭蕉がすでに300年以上前に、 蚤虱馬の尿する枕もとーーという句を読んで、尿を芸術の世界で詠んでいます。つまり、西洋文明は、この点において200年遅れていると言えるかもしれません。 芸術の世界でもかくのごとき状況ですから、いわんや、哲学の世界でのトイレ、糞尿に関してはなおさらです。 ただし、1つだけ、この糞に関して、発展した分野があります。それは、兵站術です。 トイレット博士と言われる李氏によれば、紀元前480年のペルシャがギリシャの遠征に行ったとき、400万人の陸軍兵が動員されました。問題は《ウンコ》でした。砂場の多いペルシャと違い、岩場の多いギリシャでは《ウンコ》を埋めることもできません。それでペルシャ軍は惨敗したというのです。我々の学ぶ世界史と違う考え方ですね。 こうした、兵站術では、《ウンコ》の重要性がわかり、現代でも、少なくても20世紀までの戦争には欠かせない要件です。 しかし、それ以外の世界ではこれは忌み嫌うのがヨーロッパの伝統であったようです。ご指摘のように中国を含む東洋とは違います。中国では、今でこそ西洋式のトイレが都市部では普及してきましたが、基本は、ドアのないトイレで、排泄するのです。あれには日本人でもカルチャーショックですが、ヨーロッパ人などとても受け入れられないでしょう。中国だけでなく、インドには世界でいちはやく水洗トイレを取り入れたモヘンジョダロがあります。 ただ、《ウンコ》と哲学がからむのはルソーぐらいかもしれません。哲学者ルソーが、多くの時間を便器の上で割いたと言われています(病気のため)。実は、ルソーの哲学はトイレで作られたといってもよいでしょう。しかし、ルソーとて、トイレそのもの、《ウンコ》そのものを哲学とするには至らなかったのです。 以上、ご参考になればと思います。
お礼
こんばんは。 ご丁寧な回答、ありがとうございます。 ☆ただし、1つだけ、この糞に関して、発展した分野があります。それは、兵站術です。 ☆こうした、兵站術では、《ウンコ》の重要性がわかり、現代でも、少なくても20世紀までの戦争には欠かせない要件です。 ◇のようです。 この《ウンコ》により、先の世界大戦で、 日本軍はガダルカナル島で米軍の猛攻撃に晒されたそうです。 当時の日本人は、欧米人と比較すると、《ウンコ》をたくさんしていたそうなので。。。 http://happism.cyzowoman.com/2013/08/post_2900.html ☆しかし、それ以外の世界ではこれは忌み嫌うのがヨーロッパの伝統であったようです。 ◇ベルサイユ宮殿にはトイレがなく、その庭園で野○をしたといいますし。。。 ───────── 産業革命以後、人々がさらに都市に集中するようになると、し尿の処理に困り、し尿が道路や庭に投げ捨てられるようになったため、都市は深刻な不衛生状態になり、19世紀には各地でコレラなどの伝染病が流行しました。 http://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/data/basic/rekisi.html ───────── 道路を歩いていると、 突然、 《ウンコ》や《おしっこ》が空(?)から降りかかってきたといいますし。。。 《ウンコ》問題は、西欧諸国でも大切な問題だったと思うのですけれども・・・。 西洋の哲学は、《真・善・美》を扱うものだから、《ウンコ》を扱ってはいけなかったのでしょうか。 回答、ありがとうございました。
タイトルを見たとき なっていないわけがない と思った
お礼
回答、ありがとうございます。 ☆なっていないわけがない と思った ◇あるのかな~。 わたしは、哲学書などで、《ウンコ》を扱っているものを見たことがないのですけれども・・・。
お礼
こんばんは。 ☆(ラ)"Unco ergo sum." (仏)"Je unco donc je suis."(英)"I unko so am I."(西)"Unco luego soy."… ◇だと思うんですよ(笑い)。 有名な 《Cogito ergo sum.われ思う、故に、我あり》 より、絶対に、こちらの方がいい。 しかも、 《心身二元論》を《ウンコ》は超越している!!(笑い)。 プラトンの《イデア論》すら、《ウンコ》は打ち負かしていますし。。。 ☆「煤けたランプの下で、何やら一心不乱に勉強していました」という報告を受けたルイ9世は、「夜中にまで勉強するとは、見上げた学問熱心。わしが出したとは分からないように奨学金を出してやりなさい」とのたまわれた。さすが、名君ですねえ! ◇名君ですね(にこにこ)。 回答、ありがとうございました。
補足
どの回答を、ベストアンサーにすべきか、ずいぶんと悩んだ結果、 "Unco ergo sum." をベストアンサーとして選ばせていただきました。 「《ウンコ》は死の香り」も捨てがたかったのですが、 インパクト、破壊力ともに "Unco ergo sum." が勝っているように感じられました。 本質問に回答を寄せていただいた皆さん、 回答、ありがとうございました。