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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:たくさんの方からアドバイス頂きたいです)

精神的に苦しいと感じるとき、苦しみぬく方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 精神的な苦しみや辛さを感じるときに、感情や感覚をフィルターに通さずに全てを感じ続ける方法を試しています。
  • 自分の感情や感覚を素直に受け入れずにごまかすことなく、真に感じることに挑戦しています。
  • 過度な深慮によって小さなことでも感情があふれ止まらなくなることがあり、そのため自分の存在や生きることの意味について悩んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

苦しむのは、 我慢、メンドクサイ、無視、諦め、ひきこもり、不登校など と共に怒りの表現の1つですね。 質問者さま自身、ご自身の怒りの感情の根源が 明確になっているのでしょうか。 (斉木香津さんの『凍花』を斜め読みではなしに丁寧に読んで、 その中に存在する方法を参考にして……質問者さまの 圧縮されている負のエネルギーを顕在化してみませんか?) それと、 極限思考は大賛成です。ただ、 堂々巡りにならないように、 紙に、思考のプロセスを纏めながら、 進めていれば良好な果実が得られるでしょう。 (同じような結論に至ってしまうのは、思考の 進め方のどこかに誤りがあるのではないでしょうか。 紙に整理しながら極限思考を進めることで、そうした ことは防げるでしょう。コラムやエッセーに纏めたり、 マインドマップなどもお勧めです) 〈ふろく〉 人生とは、誰もが自分の中に持っている長編小説である。 (George Sand) この世の中に物語の種類は2つしかない。 ひとつは、男が穴に落ちてその中で死ぬ話。 もうひとつは、男が穴に落ちて、そこから這い上がる話だ。  (Leonard Schrader) 質問者さまの人生体験を題材にして、 小説を書いてみませんか。穴に落ちてその中で死ぬストーリーと、 穴から這い上がる話の2本をトレーニングで書いて、質問者さまの エネルギーを昇華させてみませんか。 Have a nice time!

floe10
質問者

お礼

とても具体的な内容で参考になります。苦しみ=怒りという概念がなかったので良いヒントになりそうです。さっそく凍花を借りてきました。じっくりと読んでみたいと思います。小説を書きエネルギーを昇華させるという方法も面白そうなのでさっそく実践してみます。ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (16)

回答No.17

人間は苦しむように作られています。貴方の場合は正にその典型的なケースと思います。お釈迦がその典型的な例です。釈迦の苦しみは『一切皆苦』と言う世界です。 今風に言うなら『心を病む』事による『意識地獄』と言う意味ですが、是は正にノイローゼの典型です。 ノイローゼが治る時は『見性』していますので、そこまで行く時、『心の矛盾』が解消します。その時一切の不安が解消する『涅槃』に至ります。 この体験を語っている動画を紹介します。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM 貴方の悩みは『深い人生への洞察』や『自分自身の理解』が出来た時解消します。彼の鈴木大拙博士は『悩みの深い人は人格が高い』と評価しています。 深い人間性への理解を高める書物に『禅』があります。鈴木大拙禅選集を読む事をお勧めします。私の場合もこの人の著作集のお陰で『見性』した体験があります。 今は安楽に暮らす事が出来ています、もう32年も前の体験です。今は65才になりました。

floe10
質問者

お礼

人は苦しむように出来ている。自分も含め人を見ていていつも感じていることです。心や意識から抜け出すことはできず、切り離すこともできない。私にとっていちばんの苦しみはそこにあります。けれど、私のような煩悩の多すぎる人間には生きているうちに安楽の世界に身をおくことは到底無理だと諦めています。書物、読んでみたいと思います。ご回答ありがとうございました。

  • blcquv
  • ベストアンサー率58% (25/43)
回答No.16

江戸時代にもあなたのような人がいましたが、84才まで生きたのであなたも大丈夫です。 白隠 慧鶴(はくいん えかく)という禅僧で、生来の気質と厳しい修行で考え過ぎたために心身を壊してしまいましたが、内観法というセルフケア法を確立しています。 晩年はユーモラスかつ深い書画をたくさん描いていて、まさに悟ったんだと思います。 自分で苦しんだ末に生き方や考え方や養生の方法を見つけただけに、優れた健康法です。 現代の自律訓練法+呼吸法に似ていますが、もっと豊かな内容だと思います。 この内観法もそうですが、他の方も書いているように体からのアプローチが有効でしょう。 私も考え抜いて納得する方だし、小さなことにも感じる方だし、感情も激しい方です。 そんなふうに自分で自分を追い詰める気質のせいで、全身が不調になって無気力になった時期もありました。 そこで心身のメンテナンスに励んでいますが、カウンセリングや心理の勉強も参考になりましたが、「考える→悩む→苦しむ」という流れを作ってしまう恐れもあるので、今は体の方を重視しています。 (ただし、心理療法にも臨床動作法という体の緊張を解いて動作や姿勢を整えることで、心を解放させる方法もあり、私には合っていました) 長年の緊張で歪んだ姿勢をカイロプラクティックで矯正し、長年の疲れで弱った「気」を鍼灸や漢方薬で補っています。 でもそういう専門家の治療だけではなく、日常生活で体を使って感じることでも良いです。 朝早めに起きて日光を浴び、昼よく動き、夜暗くなったらペースダウンし早めに寝る。 季節に合った料理を作る、食事を味わう、天気や気温を感じる、季節に合った服を着る、植物に水をやる、ペットの世話をする、深呼吸やストレッチや散歩をする、部屋の空気を入れ換えながら掃除をする、温めのお風呂に入る、寝やすい寝具で眠る。 当たり前のことを丁寧にやり、その時の感覚(五感やなんとなく感じたこと等)を丁寧に感じることが大事です。 体を動かすこと、生活を大事にすること、身近な自然(近所の散歩、家の植物やペット等)に触れることで思念を吹き飛ばし、頭も心も体もすっきりさせるのです。 事実、体を動かして循環を良くすると、頭もクリアになるし心も落ち着きます。 これは好きずきですが、私は芸術や自然科学に関わっていることもあり、そこからエネルギーをもらっています。 自然の中にいると心地良さと恐ろしさを同時に感じるし、野生動物を調べると不思議さと美しさに興味が尽きません。 古代美術や民俗音楽や民俗芸能は生の根本を表しているから、突き動かされるような感動があります。 言葉にするのが難しいですが、自然や古い芸術に接していると懐かしい気持ちとドキドキする気持ちが交ざり合います。 私の本能に近い部分が反応しているのかもしれません。 >ありとあらゆる全てが移ろいで過ぎ去ってしまう。形を変えてしまう >その事がどうしても受け入れられずにとても苦しみましたが、 >最近では移ろいでいくことこそ美しいと感じられるようになってきました まさに自然はそうですよ、絶え間ない変化、生と死と再生の繰り返し、循環であり、「絶対」は存在しません。 そういう自然(=神)に捧げる民俗芸能も、「生と死」や「聖と悪」「人と獣」が円を描きながら循環していく踊りが多いです。 自分の頭の中ではなく外界に意識を向けましょう。世界は美しいですよ。

floe10
質問者

お礼

当たり前のことを丁寧に行い、丁寧に感じる。素晴らしいことですね!日々、そんな生き方に憧れ試みているのですがどうも私の感受性は鈍く、心には余裕がなく、そして丁寧さよりも乱雑で荒いものに心が惹かれてしまうようです。自然のなかで味わう心地よさと恐ろしさ、そして繰り返される生と死…丁寧で理想的な生き方と荒々しく地を張っていくような生き方、そのどちらもほしいと望む心…自分という世界のなかでは両極端な願望として互角の力で引っ張りあってしまうことも自然のなかではごく当たり前に成り立っているんですよね…。良いヒントを教えていただけた気がします。ご回答ありがとうございました。

  • forever520
  • ベストアンサー率46% (743/1588)
回答No.15

40代既婚者男です。 私は専門家でもありませんので、下手な言葉はかけられ ないとは思うのですが、私がこれまで生きてきた経験から 少しお話しさせてください。 第一に、今のあなたは、今のあなたをこれではいけない、おかしい 治さないといけない、変わらなくてはならないと思っているの でしょうか? もしそうであるならば、それは苦しいことだと思います。 あるがままの自分がおかしい、間違っているとしたら、それは とても苦しいことですよね。 でも、私は思うのです。正しいも間違っているも無い。 良い、悪いも無いと。 つまり、今のままのあるがままの自分を、それでよしとして まずは受け入れることが必要なのではありませんか? 変える必要など無いのです。 変われない自分が苦しいのでは無くて、変えようとしている 自分が苦しいのかもしれません。 人間関係でつまずけば、こんな自分だからいけないのだと 思うかもしれません。 そしてこんな自分ではダメだから変えようという、サイクル が繰り返し起こるかもしれません。 でも、それは永遠に続く苦しみのサイクルです。 だったらやるべきではありません。 あなたは苦しみをフィルターを通さないで、とことん味わうと 言ってみえます。 これってある意味、素晴らしいことだと思います。 多くの人は、フィルターを通して本来味わうべき苦しみを ごまかしながら生きています。 とことん味わうことなく過ぎてしまった苦しみは、またいつか 現れて、苦しみを味あわせようとします。 でも、あなたのように、とことん味わい尽くせば、そこで 苦しみは終わるのです。 でも、それはとても辛く苦しい行為だとは思います。 出来れば避けたいと思うかもしれません。 でも、些細なことにまで意識を向けて感じるということは、 中々出来ないことです。 それだけ他の人とは違う大きな感受性をお持ちなのかもしれ ません。 あなたにとって、マイナスでしか無いそうした心を、もう少し 大切にしてあげてもいいかもしれませんね。 そして、自分がまたいつものパターンをやっているなって 気付いていくことが大切です。 気付いたらやめるのです。これを何度も何度も延々と繰り返し やるのです。 「あ、またやってるな」って気付くことが重要です。 そうしているうちに、自分でも気づかないうちに、深く入り こむことをしなくなるかもしれません。 これまでの自分のパターンをまずは紙に書き出して、その パターンが出てきたら、気付いて、止めるという作業を繰り返し 行うのです。 こうした自分をダメとか、おかしいと思うのでは無く、ただ そのまま素直に感じるだけでいいのです。 すみません、自分でもよく分からなくなってしまいましたが、 あなたの苦しみが少しでも消える事を祈ります(^^♪

floe10
質問者

お礼

苦しみ続ける自分を受け入れたいと思う気持ちと、それでは自分があまりにも可哀想すぎるという気持ちの狭間でもがいています。人は自分ができると思うこと以外は望まないという思い込み?があり、苦しまない人生もおくれるのではないかと思ってしまうのです。フィルターを通してうまく誤魔化しながら生きていける人が羨ましくて仕方ないんです。だけど、今の自分を受け入れきれてないというのではいつまでも前には進めないのかもしれませんね…。ご回答ありがとうございました。

回答No.14

♯12です。 私もいまだに苦しんでますよ。立場的には回答者というより共感者とでもいうべきでしょうか。 年も近いですしね(私は今年で28です)。 私は、ただ生きる(バカになれ的なこと)の実践として、昔自分の趣味だったことを仕事にしました。 なにか、変わるかな?と思って。。 ですが、相変わらずです。すぐ死んでしまいたいと思うし、日常は重苦しいです。 これはもう自分の積み重ねてきたカルマなのでしょうね。 もしも、死後の世界があるとして、私はそこでも死にたいと思うでしょう(笑 ですが、後悔はしていません。逃げて苦しむぐらいなら、勝手に生きて野垂れ死んでしまったほうがよほどマシです。 鳥にはなれないと絶望するより、鳥になりきって崖から飛び降りたいです。 私は、そういう生き方しか思い浮かびませんでした。 かなり個人的な感情が入っているので参考になるかはわかりませんが。。よければ参考にしてください。

floe10
質問者

お礼

同い年で、期待をもって趣味を仕事にして、それでも相変わらず死にたい願望は衰えず、死後の世界があったとしてそこでも死にたいと思うだろうというところ…本当に自分を見ているようです。ただ、私は鳥になりきって崖から飛び降りる潔さがなく、鳥になれない、なぜ?なぜなれないの?と深く絶望しながら生きることしか出来ないです。とても芯の強い方なのだろうなぁと感じました。そこまで振り切った潔さがあるのなら私にはない強い輝きを放って生きていらっしゃるのではないかなぁと…少なくとも、私にはそんな風に思えました。自分と似た感覚をもって生きている方がいると思うと心強く思える気がします。ご回答ありがとうございました。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.13

私には、質問者さんが自分に対して「罰」を与えたがっているように受け取れました。 子供のころに、何か大きく失敗したとか、人を傷つけたとか、大きな憎しみを受けたとか。 そういった経験があったりしたのかなと。(違うのならいいのですが) とことんまで突き詰めようとされるのでしたら、「許すこと」「許されること」については、考えたことがありますか。 人は無力で小さいものですよ。 医者だって助けられない命があります。誰も完全でもなければ万能でもありません。 質問者さん一人が小さいわけではありません。 無力な人間が存在することは、許されませんか。 枯れてしまった花は、存在することは許されませんか。 それが土を肥やし、また新たな美しい花を咲かせますが、それでも枯れた花は許されませんか。 一つの終わりは新しい始まり。 その可能性は信じられますか。 新しい始まりが訪れることを、許せますか。 中には、許せないから辛い部分もあると思います。 ならば、自分が深く思考してしまうことも、許して差し上げてはいかがですか。

floe10
質問者

お礼

罰、許すこと、許されること…。ぐるぐると頭のなかで絡まるように色々な記憶や想いが浮かんでは消え浮かんでは消え… 薄々気づいてはいたけれど、認めたくなかったおもいが次々にあらわれます。許すということは本当に難しいです。許されることということも。だけどやっぱりいつかは受け入れなければいけないのかなと思えました。ご回答ありがとうございました。

回答No.12

深く考えるほど生きる意味は薄くなり、重く苦しい義務感とそれを果たせていない自責の念ばかりが心を支配する。 そのうちに死という言葉が甘く聞こえてきて、辛いことがあるとつい死について考えてしまう。段々その頻度は多くなり、、、 しかし、生きること自体に意味が無いように死にも意味はない。 こうあるべきという理想にも意味はなく、果たせないことにも意味はない。 もちろん、喜怒哀楽にも。 善や悪だって時代や状況で簡単にひっくりかえってしまうものだ。 ならば、ただ感じ、ただ泣き、ただ怒り、ただ喜び、ただ楽しむ。それはただ生きるということ。 ただ、今をそれなりに生きる。 生きることは義務ではない。死ぬことも。 そして、わたしは猫になりたい。←今ここ これは私の場合です。参考になりましたら。

floe10
質問者

お礼

自分の頭のなかを覗いているのかと思ってしまいました。本当に、一語一句違わずに同じことを考えています。猫になりたい願望は今のところありませんが…笑。どんな日々を送っていらっしゃるのかとても興味があります。私は頭にも身体にもなまりがついたように重く苦しいと叫びながらどうにか生きているので…。 <何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ> とても好きな言葉なのですが、いつかこんな風に生きられたら…と思っています。ご回答ありがとうございました。

回答No.11

素直に自分の気持ちに向きあうことで見えてくると思います。 事件や出来事、いのち 突き詰めてゆくと無力感に覆われたりしますよね。 冷静に考えているようで実は感情に覆われて自分の中にある芯を見失っているからではないでしょうか。 どのようなことでも、どれほど考えてもアプローチを変えてみても… 辿り着く処があります。 それは確かにある あなた です。 私も考えすぎてしまうのですが、辿りつく場所はやはり わたし なのです。 琴詩酒の友は みなわれをなげうち 雪月花の時 最も君を憶う 友人との時も持つようにしてみてください。 月や空を見上げたり、草花をみることも落ちつけるかと思います。

floe10
質問者

お礼

その通りです。結局、最終的には無力感に支配されてしまいどうにもならなくなってしまう。自分の芯を見失っているというのはとても鋭いご指摘だと思います。芯を見失って、色んなものに影響を受けやすくなってしまって不安定さが増してしまってるのだと思います。一度失った自分の核のようなものを再生させる…とても難しい作業です。友人が一人でもいたら少しは楽になったかもしれませんね。色々な人と関わってみたいと思います。ご回答ありがとうございました。

noname#202739
noname#202739
回答No.10

内省や思索がお好きなようで。 オレと似ているから、アドバイスしやすいね。 あなたの言う「すべてを飲み込む」。 具体的にはなに? すべてがなくなればいいっていう 破壊的な発想は誰もがもつもの。 とくにあなたのような人なら、一度は持つだろう。 世の中のおかしな部分を見逃さないからね。 だから、具体的にすべてを飲み込む方法を考えてみればいい。 秋葉原で無差別の通り魔事件起こしても、なにも変わらないよ。 テロをやっても、ムリだね。 あんなのは世間が騒いでも、一瞬で終わる。 もうひとつ。 現実逃避したいなら、徹底的にすればいいんじゃない? あなたの言う通り、現実と妄想の区別って、臨場感があるかないか。 しょせんは電気信号。 この世はマトリックスだからね。 あなたの妄想が極限まで達して、臨場感が増せば、 見えてくる世界があるかもね。 そして、その世界が現実になる。(というか、脳がそう認識する) これがよく言う「思考は現実化する」かな。

floe10
質問者

お礼

すべてを飲み込みたい願望というのは、例えば愛する人を生きたまま蛇のように丸飲みして、その人の美しさも醜さも命も存在そのものも全てを自分にしてしまいたい。丸飲みして、自分の一部に出来ないのなら、その人を無くしてしまいたい。自分の存在も無くしてしまいたい。というような感覚です。人でなくても、強い輝きをもった景色や自然、自分の感情、一瞬の時…うまく言えませんが…。現実逃避というのは、むしろ全然出来ていないからこんなに苦しい気がするのです。私にとって現実とは生きていること、いずれ死ぬことです。それを無視して何かに夢中になることができない。現実と妄想の区別は臨場感があるかないかという考えにとても共感します。過去に極限まで空想の世界に入り込んだ時期があり、いまだにそれが現実なのか、空想なのか、夢なのか分からない記憶がたくさんあります。ある意味でそれは一番幸せなことだとも思います。勇気がいりますが…。ご回答ありがとうございました。

  • papanda26
  • ベストアンサー率40% (407/1002)
回答No.9

心を整えるには、まず体からというアプローチもあります。 考え方とか持って生まれた性格というのは、そう簡単に変えられない。 けれど、それに比べて体や生活リズムはずっと変わりやすい。 体のリズムが整うと、気持ちも徐々についていく事もあります。 まずは早寝早起き朝ごはん。午前中に日を浴びる。 頭を使い過ぎてしまう人が、いきなり早く寝るのは難しいかもしれません。 そういう時は、早起きから始めて、起きたら朝陽を浴びる(曇りや雨でも窓辺に立つ)ことから。 早起きが定着してくると、徐々に早寝もできるようになります。 また、朝食はきちんと食べること。 今までどうされていたかは分かりませんが、もしいきなり3食も食べられないのであれば 昼食は抜いてもいい。夕食の量を減らすのでもいいです。 それから、部屋は片付いてますでしょうか。 片付け過ぎてしまう人もいるので、そういうタイプでしたら気にしないで下さい。 そうでなく散らかっている場合、まずは片付けをする。 気持ちの乱れが部屋の乱れにつながる人もいます。部屋の乱れの解消から気持ちを引っ張る事もできます。 最後に、これは私がやっていた荒治療ですが、くどくど考え始めたら「何、悲劇のドラマぶってるの?」と声に出して言ってました。 結局、出発点はどこであれ、いつも辿り着く先は同じか似たようなもの。 質問者さんでいうなら、命のはかなさ・生きることの苦しさ・自分という存在のはかなさでしょうか。 何から考え始めても、結局はそこに行きつく。 物事の本質(各個人が考える本質という意味)なんて、そんなにバリエーションないです。 なので、考え始めた時点で、行きつく先は見えている。 なのに、いつまでもクドクドと考えたがるのは、その世界に酔いたいだけなんだ。自分寒いぞ!と自分へ向けて言ってました。 そうすると、少しだけ頭の中の熱が「何やってんだろ」と冷めました。 とにかく、体から整えるのは効果ありますよ。 明日や来週からすぐに変わる!ってものじゃないですが、考え方を変えるよりずっと建設的です。 よかったらやってみてください。

floe10
質問者

お礼

身体から変えていく。何だかハッとしたように身体を動かさなければと思いさっそく実践してみました。頭が変えれないのなら身体を動かして、頭にとられてるエネルギーを消費してしまおうと。確かに、内面を変えることよりもはるかに楽に感じました。生活習慣を無理矢理にでも変えて身体を動かすということに集中してみたいと思います。この方法が一番私には合うかもしれません。荒治療かは分かりませんが、私の場合はとことんまで考え抜いて頭をショートさせます。本当にプチって音がするんです 笑 客観的に自分を眺める視点は必要ですね。ご回答ありがとうございました。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.8

諸行無常、それでいいんとちゃうの。 喜ぶべきことは移ろいゆく。若い日々も過ぎ去る。悲しむべきことは移ろいゆく。老いる日々もまた過ぎ去る。幸せも苦悩もともに移ろいゆく。人の業ではどうしょうもないこともある。けれど、それでいいのやと思うよ。

floe10
質問者

お礼

そうなんです。諸行無常、そうつぶやきながら何とか過ごしています。ありとあらゆる全てが移ろいで過ぎ去ってしまう。形を変えてしまう。その事がどうしても受け入れられずにとても苦しみましたが、最近では移ろいでいくことこそ美しいと感じられるようになってきました。どうすることもできないものをどうすることもできないと受け入れる。穏やかに生きるにはまさに必要な心持ちだろうと思います。これから身につけていけたらと思っています。ご回答ありがとうございました。