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苦い薬と甘い薬の意味とは?
- 苦い薬と甘い薬には、人生における苦しみと幸せを表す意味があります。
- 苦い薬は苦痛を液体にしたもので、味はまずく一気に飲むと死んでしまう可能性もあるため、少量ずつ摂取することを推奨されています。
- 一方、甘い薬は幸せを液体にしたもので、最高に美味しく一気に摂取しても良いし、少しずつ摂取しても良いと言われています。しかし、これらの薬は各自が毎月必ず摂取しなければならず、摂取する量は人によって異なります。
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毎月2本ずつあるペットボトル。 >苦ばかりが24本の人もいればその逆もある という言葉からすると、 「苦」なのか「幸」なのかは、本人にはわかないというイメージですね。 だから「苦」を味わいたくないばかりに、いつも混ぜて飲むことで、 「幸」すらもちゃんと味わえない。 混ぜると「苦」の味と大差ないのに、でも「苦」を味わいたくないという気持ちが強くて、 「幸」を楽しめないことになっている。 本当は楽しめる「幸」を楽しまないから、いつも「苦」だと、自分は不幸だと思っている。 ということが言いたいんじゃないでしょうか? 「苦」と正面から向き合う(「苦」だけを飲む)ことで 本当の「幸」だけを味わうことができるんだよ、 というお説教ではないでしょうか。
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>混ぜたら2の幸せではないんですか・・・? そう、普通はね。 でも文中には 「ちなみにこの二つを混ぜると「苦」になります。多少薄まる程度で基本「苦」味になります とあるでしょう。 どんなに幸せを混ぜても薄まるだけで「苦」になるんですよ。 それから便宜上使った数字は正確に出るわけないので訂正します。
お礼
再度の回答ありがとうございます 納得できました
- Nakay702
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1つの見方です。 >ものすごく恵まれているのに、自分は不幸「だと錯覚しているんじゃないのか? ⇒これを教えたいんじゃないでしょうか。 「隣のバラは赤い」とか、「隣の芝生は青い」という格言があります。「他人のものよく見える。相対的に、自分のものは悪く見えるものだ」という意味でしょう。チルチルとミチルは、「青い鳥」(幸福の象徴)を探してあちらこちらさまよったけど、結局家にいたんでしたね。 「自分ほど不幸な者はいない、自分は世界一の不幸者だ、などと勝手に決めつけて、いたずらに他人をうらやむな、いたずらにいろいろなものを欲しがるな」ということを(主人公に)伝えたい。つまり、「足るを知れ!」と言いたいのだと思いますよ。 以上、(個人的解釈による)ご回答まで。
お礼
足るを知る、のテイストは入っていると思います
- alphaXXX
- ベストアンサー率40% (108/264)
人間は基本的には幸せなことよりもいやなことや不幸や不運を強く記憶して印象に残す傾向があります。これは野生で生きていくときに危険なことを強く記憶することで危険を避けるための本能ではないかと言われています。 具体的にはアスリートなんかは日ごろから成功してばかりの技を一回失敗してしまったら,その技が信じられなくなって上手く出せなくなる,といったことがよくあります。野球で何人ものバッターを手玉にとってきた自慢のフォークを一回打ち込まれたら「次にフォークを投げたらあの時みたいにまた打たれるんじゃないか?」という恐怖心に襲われ,腕が震えて上手くフォークを投げられなくなってしまった,というような経験をしている選手の話はよく聞きます。比率的にはフォークで打ち取った回数のほうが圧倒的に多くて打たれたことはわずかなのにそのわずかな経験からくる恐怖心が伸びやかなピッチングを阻害するのです。 他にも毎日仕事をミスせずしてる人が,うっかり一回ミスしてしまった場合,その人は「今月は31日の中で30日も仕事が成功した。嬉しい!」ではなく「今月は1回もミスをしてしまった。いやな月だ」とそう思う可能性が高いと思います。 そう考えること自体は悪いことではありません。得意なフォークを手酷く打たれた経験から「よし,今度はもっとピッチングに磨きをかけて打たれないように工夫するぞ!」と努力したり「ミスして嫌な気持ちになりたくない。だから仕事の内容を見直してミスをしないように,あるいはミスをしてもすぐフォローできるように工夫するぞ」と自分の仕事を見直すきっかけになったりします。 しかし自分の努力でどうにかなることならともかく,幸不幸となるとただただその結果を受け止めるしかありません。結果,幸せなことと不幸せなことを一緒に思い出すと,嫌な気持ちの方が強く思い出されて,自分は不幸せだと思ってしまう,そういうことを例えているのではないかなと思います。 とはいえ,これは個人個人の性格にもよります。ものすごく楽天的ではたから見ても嫌なことを嫌だと思わない人だっていますから全ての人に当てはまるというものではありません。 その文章はその作者さん個人の経験から考えたたとえ話ですので当然当てはまらない人や理解できない人もいるかと思います。なので別にそこまで深く考える必要もないと思います。
お礼
私はこの作者が大好きで意味のあることだったと思ったので深く考えたくて質問しました 回答ありがとうございました
- kurinal
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gaitu様、こんばんは。 自分が分かっているかどうか、わかりませんが、 (さらに、その原典も知らないのですが、) 「自分がやりたいと思うことをするほうが、人から「やれ」と言われることをするより、多分、いいですね。 しかし(その上で)「人から「やれ」と言われることも、(その気になれば)出来る」というほうが、 多分、なお、いいでしょう?」 (自分がやりたいと思うことも、人から「やれ」と言われることも、その気になれば、出来る(ものすごく恵まれている)、まずはそれに満足して、マア、飲めや) 「毎月24本」という表現があったので、そのように連想しました。
お礼
???? チンプンカンプンでした 回答ありがとうございました
1の苦痛と3の幸せがあったとき 混ぜると2の苦になる(3-1=2) これを2不幸という。 混ぜなければ確かに1の苦痛はあるが3の幸せも味わえる。 苦痛1に対して3幸せなら普通、幸せだと感じるのに混ぜてしまったが故に不幸だと感じるのはもったいない。 ケジメが大事。
お礼
分かったような分からないような・・・ 混ぜたら2の幸せではないんですか・・・?
お礼
なるほど! 幸が苦に引っ張られていては勿体無いぜ! ということですか 納得できました! ありがとうごぁいます