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名刀蛍丸 阿蘇神社大宮司家と三田井家について

阿蘇氏に伝わっていた名刀「蛍丸」について伺います。 ネットで蛍丸について調べると、蛍丸にまつわる伝承が宮崎県の五ヶ瀬にもあることが分かりました。 「秀吉の九州平定後、三田井氏が滅亡した。  落ち武者が蛍丸を持って五ヶ瀬に逃げ、林に隠れたが、  刀が蛍のように光り、敵に見つかってしまった。  その霊を慰めるため、村人は恵良八幡神社を作った。」というものです。 http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/densetsu/031/ そこで質問なのですが、 1.三田井氏が所持していた蛍丸は、阿蘇氏につたわっていた蛍丸なのでしょうか? 2.もしそうなら、どのような経緯で阿蘇氏から三田井氏に渡り、再び阿蘇氏に戻ったのでしょうか? 3.蛍丸の使い手・阿蘇惟澄の本姓は「恵良」でした。「恵良八幡神社」と何か関係があるのでしょうか? 全部でなくても結構ですので、何か情報がありましたら教えてください。 なお、私の推理ですが・・・ 三田井氏滅亡と同じ頃、阿蘇氏も没落し、幼君・阿蘇惟光が逃亡先の矢部で見つかり斬首されています。 そして、五ヶ瀬と矢部はさほど離れていません。 このことから、  五ヶ瀬の伝承は阿蘇惟光の悲劇と三田井氏の滅亡がミックスして生まれたものではないか?  蛍丸はずっと阿蘇氏の手元にあった(三田井氏には渡っていない)のではないか? と考えています。 といっても何の根拠もありませんが・・・・ こんな説を唱えている郷土史研究家がいらっしゃったら教えてください。 とにかく阿蘇氏と三田井氏の蛍丸の関係について、ご存じのことをよろしくお願いします。m(. .)m

みんなの回答

回答No.1

そもそも蛍丸自体が伝承の部分が多い伝説的な剣です 実在したのかさえ不明 鬼切丸や村正にも色んな伝説があるし 後世に打ち直したって説もあるから 蛍丸もそうかもしれませんが 考えられるとしたら阿蘇氏から三井田氏へ恩賞のような感じで下賜された可能性はあります

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