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真田藩の歴史について
郷土史を調べています。 1622年、元和8年に真田信之が上田から松代に国替えされていますが、その際にどの程度の家来(藩士)が一緒に移っているのでしょうか、又、松代にいた元の藩士の一部は真田の家来として召し抱えられたのでしょうか、帰農させられたのでしょうか。 何方か教えて下さい。
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「信濃松代城主酒井忠勝を出羽庄内鶴岡に移し十三万八千石を、(略)、信濃上田城主真田信之を同国松代に、信濃小諸城主仙石忠政を同国上田に移し、加封す」 (東大史料編纂所『大日本史料』「綱文」より抜粋)。 上田時代9万5千石、松代時代13万石、と、加増されているため、藩士全員をそのまま引き連れていっても、養い扶持に不足はなかったはず。 ただし、松代が近いとはいえ、長らく、真田の発祥地であり、拠点であった上田とその周辺を離れるため、藩士の中には、地元を離れるのが困難な者もいたかもしれませんね。 このへんの細かいことは、郷土史料を探さないと、わからないようです。 上田や松代などの図書館、県立図書館、郷土の資料館などに問い合わせて、ナビしてもらうほうが手っ取り早いと思います。直接回答をくれなくとも、載っている資料(書籍、雑誌)や、史料名などを教えてもらえるかもしれません。 皆目わからない私だったら、調査のヒントを得るために、先ずは、上田市役所に問い合わせますが。。。
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- toshineko
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回答No.1
このあたりが参考になりますでしょうか。 長野市の図書館には、探せばあるかもしれません。
お礼
有難う御座います、大変参考になります。 長野郷土史資料を取り寄せて調べてみます。 有難う御座いました。