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人間の尊厳について

パターナリズム QOL I.カント 自己決定権 インフォームドコンセント エホバの証人信者輸血拒否事件 これらの語句を用いて説明しなければならないのですが どのように結びつけて文章にしたらよいですか?? どのように人間の尊厳を説明したらよいか アドバイスお願いします よろしくお願いします

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noname#210533
noname#210533
回答No.3

人間の尊厳を、個人個人の固有の唯一無二の自律性にあると 仮定してみると、これらの考え方は実に欺瞞的ですよね。 でも、じゃ本当に自由で私たちは自分の尊厳を守れるの?と 問われたらはなはだ心許ないけれど・・・。 パターナリズム/お前達は指導者である私の言うことに盲目的に            従えば幸せになれるのだ、という支配に対して            不服従が尊厳を守ることになるのかな? QOL/「あなたは人生の質を上げなければなりません。」      そうだわ!私の人生は私が生きたいように生きるのよ!      会社に支配されて辛い想いをして生きるなんて、もう沢山!      要するに、クビをちらつかせて社員を恐怖で支配してるんじゃ      ありませんか! ところで、クオリティ・オブ・ライフって、      個人の尊厳を測るバロメータになるんでしょうか?      メディアに踊らされてるような気がしないでもないような・・・ カント/批判だ。批判するのだ。鵜呑みにするな受け入れるな。      もっともらしい善悪の大半が嘘だ欺瞞だ悪質な詐欺だ!      受け入れるということは思考を、意思を支配されることに      他ならないではないか。 必ず自分で咀嚼しなければ、      自分の存在が無いも同然だ!・・・でも考えれば考えるほど      私たちの頭のなかって受け売りだらけでオリジナルなんて      そもそもあるのかな・・・・? 自己決定権/正規雇用の働き口はないよ。文句を言わずパートで働くか、          辞めるか、あなたが決めることです。          現状維持か解雇か。 こういう二択は自由選択?          生きるも地獄死ぬも地獄。自己決定も何もないじゃん。 インフォームドコンセント/言ったよ?ガンだから余命半年だって。                 ここから先は医者の僕に責任ないからね。                 死ぬまでほっとかれるか、僕の手術や                 放射線治療と抗がん剤で死んでも僕の                 責任じゃなくて、あなたの自由意志だからね。                 治らなくても訴えないでよ。 エホバ/輸血は神様の教えに反します。それで死んでも仕方がありません。 あなたは神のもとに自由であるために、死んでも輸血を拒否する      意思を持たねばならないのです。      あなたは神の意思によって生きているのですから、神の意思が      あなたの意思なのです。 まったく、どいつもこいつも人の気持ちなんか考えもせずに勝手な事ばっかり! 私の尊厳は、私が自分の考えと意思で生きる事ちゃうんか!! 皆自分の考えや価値観を押し付けるだけ押し付けて、決定するのは お前だから責任もお前取れや、だなんて、本当に身勝手。 これじゃ、私の尊厳のためだからと言って自分たちの尊厳を守ることを すり替えてるのと同じじゃーん!!! ヒント程度の乱文ですが、「人間の尊厳」って、本人じゃなくて社会的権威が ほぼ一方的に決めるもの、というのが現実社会のホンネになってますね。 おっかしいな、そうだったかな? これじゃ、隷属することが個人の尊厳値を評価してもらって証明してもらう 唯一の手段みたいになっちゃうよねー・・・私の尊厳って、住民票みたいな ものだったのかしらん・・・     

回答No.2

人間の尊厳に「自分の頭で考える」というのを追加しましょう。

  • horitate
  • ベストアンサー率33% (117/351)
回答No.1

 近代に入って「人間の尊厳性」をはじめて明確に示したのは、哲学者I.カント(1724―1804)であるといわれている。http://homepage2.nifty.com/takauchi/right/con2.htm  自己決定権は、通常、憲法一三条の幸福追求権ないし人間の尊厳の理念との関連で位置づけられる。 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/98-4/YOSIMURA.HTM  QOLの概念は人間の尊厳を守る意識に関連しつつ形成され、医療、看護、福祉、工学の分野で大切な概念となっている。 http://ejiten.javea.or.jp/content.php?c=TWpnME1ETTA%3D  エホバの証人らのように信仰上の理由による輸血拒否を含めて、患者の自己決定権が広く認められるようになってきている。しかし、自己決定権にはいくつかの制限が存在するのも事実である。一方、インフォームド・コンセントの法理もほぼ確立された現在では、本人にガンである事実を告知することが肯定的に捉えられつつあるが、家族が強く拒否した場合はどうか、本人に伝えるとしてもどのように伝えるべきか、また伝えた後の配慮をどのようになすべきか、など医療の基本と限界が集約されると指摘されている。 http://www14.plala.or.jp/gaybernationclub/contets_daigakuseikatu/kenpou_rejume_66.pdf  樋澤吉彦は、他者を制限する理由の一つである「パターナリズム」の概念、種類、正当化要件の整理・検討を通して、パターナリズムは自己決定を支えるために限定つきで不可欠な概念であることを仮説として示している。「勧める」、「助言する」といった関わりをソーシャルワーカーが行うことができる根拠はどこにあるのか。一つには利用者の「同意」が考えられる。しかし「同意」さえもらえれば良いのか、パターナリズムは、「同意」だけでは正当化の根拠としては不十分であると述べつつ、反対にこれまでパターナリズムと対置されてきたソーシャルワークの中に正当化が困難な「関わり」の要素が多分に含まれている可能性があるため、その正当化の根拠について検討する必要があることを示している。 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2003/0300hy.htm  以上のことから、「自己決定権」と抵触しないような「人間の尊厳」や"QOL"の尊重を考慮した「パターナリズム」の正当化の論理構築が必要とされているといえる。

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