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煩悩は無くすのが幸せでですか?
それとも、それは無理だから「中道」、ほどほどに上手く付き合いなさい、というのが幸せ・・・苦痛からより離れられると考えますか? どっちでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
煩悩ってものは、欲望ってことです。欲望のない人間はいない。 お坊さんが、自分の欲望を断ち切ろうと修行をしましたよね。だけど、欲望を私は断ち切りました。私は無ですっていう人いましたか?私が知っている限りそんな人は、いません。 「中道」ですか。いい言葉ですね。 人間に欲望があるからって、汚い人間である必要はありません。むしろ、欲望が人間にはあるからこそ、そういう人間に対し、優しくすればよいのではないでしょうか。そして自分に対しても優しさを持てばよいのではないでしょうか。
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具体的に生じた煩悩はなくすことができますし、そうすべきです。 今後も生じてくる煩悩の可能性はなくすことはできませんし、なくそうとすべきではありません。常に煩悩が具体化する危険性を抱えているし、実際に何度も具象化することはやむを得ないわけです。 ある煩悩の可能性を持っていな人は、その煩悩について何もすることができません。想像を絶するものであるからです。その煩悩をよく知る人は、その煩悩について何かすることができます。そういう可能性に蓋をするようなことは、適切ではないでしょう。 多くの人を救ったとされる数多の偉人は、おそらく無数の煩悩の一つ一つを深く知っていたのではないかと思います。可能性が具体化、具象化するプロセスを、個々のケースに応じて、よくイメージすることができたということなんでしょう。 彼らが直接の著述を残していない場合が少なからずあるのは、目の前の難事を理解して何とかすることはできても、どうしてそうできるかは膨大で書き切れないということが、理由の一つとしてあったのではないかと思います。
お礼
あると思います 言葉の壁がそこにありますね
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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煩悩ってどういうものかは新たな質問がひつようでしょうから、その説明は省きますね。 煩悩って普通の生活者にはあまり関係ないタームですね。確かにあるのでしょうが、日常では使わない言葉や観念ですね。 私は自分をその中に翻弄されていくのは愚かだし、それこそ煩悩を活動させて辛くなるのだろうと存じますよ。 まぁ人生も煩悩も翻弄されないで、その正体を見極め、それなりにしか付き合わないことでしょう。 超越とか達観なんていうと難しいから、雨風が吹いている。庭の植物や生物も活気つくだろう。被害もあるなぁ。 そんな程度の映画かドラマ位にできるといいでしょうね。 熱いだの冷たいだの感じて、それでそれだけにしとく。まぁ偉くならない。 えぁ。幸せ? まぁどうでもいいんではないでしょうか? 幸せだと思った幸せ、自覚した幸せはない。ということを中三のとき友人と話し合いました。 そんなもの忘れている方が幸せですね。 鼓腹撃壌。なに王様も政治も感じない。それが王様の政治。 空気を感じて呼吸などはしていない。 神どうだの何だの。 もっとも普通なものは判らない。そんなものではないでしょうか?
お礼
あまり納得しませんでした 回答ありがとうございます
- kurinal
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こんばんは。 >「無くす」 >「苦痛からより離れられる」 「満たされる」という方向で離れられる、というのを、一つの処方?として考えていました。 (幼児教育論) 「「飽きるまで遊ぶ、(もう十分だ、というまで)遊び尽くす」ということが、重要です。」
お礼
つまりどういうことでしょうか?
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「煩悩をなくす」というのが、「本能的衝動をなくす」という 意味ならば、それをなくしたら生命として死んでしまいます。 社会的要因(お金や法規)によって他律的に生かされ得ても、 生命として根源的な衝動である生きる喜び、その社会的応用で ある助け合う喜びなく、お金をもらうためにイヤイヤ働かされ たり、助け合っているはずの人々と奪い合ったりする事になり ます。 「煩悩をなくす」というのが、「即物的欲望をなくす」という 意味ならば、完全に『なくす』のではなく、短絡的に発露させ ず長期的に人生で最大の充足量になるようにコントロールして 発露させる、という意味ならば是です。 1つは、即物的衝動は、生物としての根源的な生きる衝動を、 脳の未発達な状態において、環境への即物的対応の複合により 達成するものであり、時に、それぞれの即物的衝動同士が対立 したり、一過性だったりして、通算すると最大の生存可能性の 実現や人生通算における充足量の最大化に反しがちです。 知性は本能と対立するものではなく、そうした即物的衝動を 広い環境や長い期間において最大化するように、コントロール して発露させるものであり、また、そうした深い認識における 意志は、より深い喜び(一過性の快感<長く続く幸福感)を 可能にするものでもあります。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 日常生活上の一つひとつのつとめや 人生上のじぶんのやりたい事をしっかりと捉え――または探し求め――地道に果たして行くことです。 煩悩がどうだ解脱はこうだと言う人たちは それを言って生活の糧をかせいで生きているのです。 またその迷路――なぜなら 明解な答えは出ない――に迷い込んでいる人たちも大勢います。 仕事――つまり 職業か否かを問わず一歩一歩あゆみつつ成して行くそのものごとです――を果たしつつ もしどうしてもまだ気になるというのであればその煩悩は 或る程度うまく自分がむしろ必要なときには それをも活用して行けるように成って行く。たぶんこのようでしょうと考えます。 つまり 見ている先が 違うのです。 ★ 煩悩 / 煩悩を無くす / それらの中道 / 煩悩をどうにかするのが仕合わせ ☆ というように《煩悩》の地平のみを見ていては その地平があたかも自分にとって鳥かごや迷路のごとくに成って来ると思われます。 そのむかし そういう仲間が欲しいという人間がひとりいたということであり 仲間を集めようとしたのだし 仲間としてあつまって行った人びともいた。こういうことだと考えます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
なぜ不幸があるのか、といえば、それは幸福が あるからです。 幸福を知らなければ不幸も解りません。 これらは、表裏でセットになっているのです。 煩悩を無くせば、喜びも無くなります。 それはもう、機械で出来た人間です。
返信です 結局のところ答えは 「深く考えない」 これが答えです 一般の人が一般の環境下で自ら欲を無くす事は出来ません 出来るとしたら欲に対して「我慢」することくらいです 自ら性格を変えられないのと同じで 煩悩なんて自ら変えられません 行きつくところは「考えないこと」 たがこれが出来たら苦労しない って言いたいよね? これはカウンセリングに通うか、何でも話せる親友などを作るか それも無理なら「考える時間を作らない」 要するに「暇」は煩悩の一番の天敵 暇を作らず、考えたり悩んだりする時間すらないくらい忙しい場に身を置けば 自ずとどうでも良くなります 悩みがちな人、いつも不安を感じてる人の多くは「暇な人」「時間に余裕がある人」が典型なんです 仕事でも、勉強でも、スポーツでも、趣味でもなんでも良い 「打ち込める」ものを見つけるのが一番の方法
お礼
そうですね! ありがとうございました! 一つ解決です!
煩悩は欲 現代は「欲」の殆どにお金が絡みます 今の日本社会経済からすると、欲は少ない方がストレスも少なく生きやすいと思われます ただ欲は「目的、目標」にもなる原点です これが「無」という事は「生きる意味」も失うとも捉えられますね
お礼
結局どうしたら良いのでしょうか?
お礼
自分が欲望を減らすと他人のが目についてどうしてもイラついてしまいます だったら最初から煩悩を憎まなければ良かった、と考え込んだりしてしまいます うまく付き合えるように精進します!