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沖ノ島の沖津宮について

玄界灘に浮かぶ沖ノ島にとても関心を持っています。いろいろと調べているのですが、どうでもいいような、でも知りたい疑問がいくつかあります。 1.沖津宮の社殿はしっかりとした造りのようですが、いつ、だれが建てたのでしょうか?斜面を登る階段や途中の鳥居なども現在の姿になったのはいつ、だれによってなのでしょうか? 2.沖津宮には神官が10日交代で一人で常駐するらしいのですが、宗像大社の所有する船で行くのでしょうか?それとも漁船か何かに乗せてもらうのですか?海が荒れていて上陸は無理なときはどうするのでしょうか? 3.泊まり込む神官の一日はどんなスケジュールなんですか?こもってひたすら祈りをささげるのでしょうか?島内に水場はあるのでしょうか?食事は何を食べるのでしょうか? 4.沖ノ島には海鳥以外に野生動物はいるのでしょうか? いろいろ聞いてすみませんが、なんとなく気になることばかりです。 ご存知の方教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.1

管理は宗像大社がしてるのでメールなどで問い合わせたら正確な答えが返ってくると思われます。 ただし死まで見聞きしたことは決して他言してはならない、などの禁忌がいくつもあるのでひょっとしたら教えてくれないこともあるかもしれませんね。 興味を持たれたなら大島にある神社もおもしろいですよ。 七夕伝説が生まれた場所だと言う石碑みたいなものもありますから。

yusahi
質問者

お礼

宗像大社にダメ元でいろいろ質問メールしたら、あっさりと回答をくれました。 遅くなりましたが、アドバイスありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • chiha2525
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回答No.2

質問についての回答とは全く違いますが、ご了承ください。 まず、沖ノ島の昔の祭祀が行われていたものと現在のものとは全くといって良いほど関係はありません。 ご存知かと思いますが、wikiによると17世紀前半に再発見され、その後に今のような管理体制になったようです。特に1905年(明治38年)5月27日に日本海海戦を目撃しているのをもって現在記念日にしているように、この時には既に沖津宮の社殿があり交代で勤務に当たっていたようです。 最近読んだ本(あまり内容は良いとはいえないので紹介しませんが)にも少し沖ノ島のことが書かれていたのですが、昔に行われていた祭祀は全て屋外のものだったようです。現在ではお払いも社殿内部、神様も社殿内部に祭ってあるので、屋外で祭祀というといまいちイメージが沸きにくいのですが、どうやらこれが神道に通じる祭祀の当初の姿だったようです。 沖ノ島には昔の祭祀跡が、3つくらいの時代区分に分けられて変遷が確認されているようです。このあたりは、それなりの書物をあたれば詳しく書かれているのではないかと思います。 今のように、神社が社殿を建て祭祀を屋内で行うようになったのは、すべて仏教の影響と考えられているようです。また神官が常駐するのも同様のようです。 そう知ると、現在の沖津宮の社殿や交代勤務は、非常に近代的で面白みに欠けるものに思えるのではないかと私は思うのですが、どうでしょう。上に書いたように昔の祭祀に関する書物をあたるほうが面白いように思えます。 しかしながら、原初の神道の姿をがむしゃらに求めてそれを正しいというより、どちらかというと神仏習合をした姿こそが歴史を経た本当の神道の姿であり、より面白いものなのではないかと、今は少し思っております。 見当違いの話ですみませんでした♪

yusahi
質問者

お礼

遅くなりましたが、ありがとうございました。

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