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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人に《考える》を望むのは無理なのか?)

日本人の考えることへの望みは何か?

このQ&Aのポイント
  • 日本人には考えることを望むが、制限があるのか?
  • 日本人の中で考える人は少なく、慣わしに望みは薄いのか?
  • 実際の問題や外国人の意見に影響され、考えることができるか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • amaguappa
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回答No.50

ええと。 コロニーを作らない遊牧民であるノマドの語が出たのは、「旅人」を自称した人への返事だから、と明確にしてあげないと。 また、リゾームつながりで面白いやなんて言っていると、地下組織を本気で疑っている人を混乱させてしまうのね。 地下の組織という語が出たのは、どのように闇に葬ったのかと尋ねる人への返事の途中で、お二階さんが事を闇から闇に葬るのは地下の組織を使ってであるというもの。 政財界や有力企業が、献金を間接的な名目を立てて遂行したり、ロビー活動をする人々に仲を取り持たせり、福島の現場の情報を握りつぶしたり、新薬の治験や評価の情報を歪めたりと、とかく情報を不透明にし独占し、見せたい情報だけ見せるということに心血を注ぐ結果、真相の事の運びや文脈や因果関係が、汚れ仕事専門の人々の手に委ねられるのでしょ。 ところで。そうだなあ。。。東京オリンピック誘致の公式HPの英語のひどさ。 あとは、ウィキペディア英語版、フランス語版での日韓係争関係の記事。 韓国の方々の熱い奮闘を目の当たりにすることができる場所なのだけれど、小論文やエッセイを熱烈に書き込んでいらっしゃるのがいかにアホらしく見えるとはいえ、塵も積もれば浮世の通念などどうにかなってしまうのではという気がしないでもない。 見識を突き合わせた合意形成のないまま通念が作られるということがありうるのか。 日本人は合意形成を大事にするから、合意形成なき通念なんてみくびってしまいがちかもしれない。 あ、日韓係争に関しては外務省のHPの英語の説明も下手くそきわまりない。 なんだか、言葉は通念であり通念は言葉であるというような、ゴリゴリした感覚が、 世界の標準にくらべて欠落しているのかもしれない。 とはいえ、素早く深く理解に届くという、日本人に共通するあの聡い子供めいた清澄さは、 外からみればたいへん繊細な神秘的なもので、 どことなく可愛らしい、という形容が、結局ふさわしいように思う。 ゴリ押しに長けた列強に混じって背伸びしても滑稽になるばかりで。 生き残れるのかなあ、日本は。。。 追伸 ななさんの文はいつもチャーミングですね。うきよさんご贔屓だと思っていたけど。でぃーくべくさんはあんまりここに居ないほうが精神衛生にいいんじゃないかなと思われます。のびたくんはドラえもんではなく薬を。

bragelonne
質問者

お礼

 あまがっぱさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ノマドなんて 安易に言ってしまって。・・・  地下の組織についても でぃーあーる24さんを始めみなさん あまがっぱさんの説明で納得してください。  《考える》ことで ふたつの具体的な事例が出てまいりました。  ★ ~~~~~  ところで。そうだなあ。。。東京オリンピック誘致の公式 HP の英語のひどさ。  あとは、ウィキペディア英語版、フランス語版での日韓係争関係の記事。  韓国の方々の熱い奮闘を目の当たりにすることができる場所なのだけれど、小論文やエッセイを熱烈に書き込んでいらっしゃるのがいかにアホらしく見えるとはいえ、塵も積もれば浮世の通念などどうにかなってしまうのではという気がしないでもない。  見識を突き合わせた合意形成のないまま通念が作られるということがありうるのか。  ~~~~~~~  ☆ いま取り敢えずは その状態・情況を知っておくということにしますが――だいたいそのように感想を述べたもらったかたちで納得をするという恰好で取り敢えずはよいと思うことにしますが――     * フランスは 日本の直面している韓国や中国の動きについて     ふつうに――ということは 日本の言い分にそのふつうさを捉     えて――見ているように思ったのですが。  ★ 見識を突き合わせた合意形成のないまま通念が作られるということがありうるのか。  ☆ これは 大きな課題であり問題であるようですね。  朴くね大統領が言ったので 《歴史認識が大事であり 日本人はそれを無視している》という通念が横行する事態。  《人権が無視されている》とひとこと言えば その見解が世界中の常識となる事態。  すなわち  ★ 日本人は合意形成を大事にするから、合意形成なき通念なんてみくびってしまいがちかもしれない。  ☆ という問題。    ★ ~~~~~~  あ、日韓係争に関しては外務省の HP の英語の説明も下手くそきわまりない。  なんだか、言葉は通念であり通念は言葉であるというような、ゴリゴリした感覚が、  世界の標準にくらべて欠落しているのかもしれない。  ~~~~~~~~  ☆ いまから述べることは 百年二百年の長期の観点に立ってのことですが どうも英語の文章をものするのは 日本人は その英語の文型が《線形論理》で突き進む性格を持つゆえに 肌に合わない。のかも知れません。  《非線形》の思いや考えを どうしても自己表現としての文章には入れたい。入れるというより そもそも表現は 非線形――あるいは またまた安易に用いるとすると 複雑系の世界――から成ると つよく思っていると思われます。それはむろん日本文の構造から来ている。というのが わたしの持論です。あるいはつまり 日本人の世界観がそうだと思われるという意味です。  ★ ~~~~  なんだか、言葉は通念であり通念は言葉であるというような、ゴリゴリした感覚が、  世界の標準にくらべて欠落しているのかもしれない。  ~~~~~  ☆ このような感覚のほうが 自然で人間的であるのかも知れない。いまの英文は その文型ないし構造が 変えられて行くかも知れない。(マーク・ピーターセンの《日本人の英語》にかんする本。むろん 英語圏の人には 日本人の発想する英語は 英語ではないと思われてしまうと言っています。それを逆手に取って わたしは言っています)。  でも人間の人間であることが 《ゴリゴリ感覚によるグローバリズム》をよしとしないのなら たとえば日本人のハダ感覚は じんるいの将来に向けて迎え入れられるかも知れない。うんぬん。・・・あるいはそうなる前に中韓連合軍にわれらが列島は沈められてしまっているのかも。・・・  次のくだりをまだ見ずにここまでを書いて来たのですが:  ★ ~~~~~  とはいえ、素早く深く理解に届くという、日本人に共通するあの聡い子供めいた清澄さは、  外からみればたいへん繊細な神秘的なもので、  どことなく可愛らしい、という形容が、結局ふさわしいように思う。  ゴリ押しに長けた列強に混じって背伸びしても滑稽になるばかりで。  生き残れるのかなあ、日本は。。。  ~~~~~~~~  ☆ ということでした。  ★ 追伸  ☆ については いまの段階で ノーコメントとしたいと思います。それによって さらに互いのみなさんのあいだの意思疎通がうながされるとしたらさいわいです。

bragelonne
質問者

補足

 おぎないます。  ★ 東京オリンピック誘致の公式HPの英語  ▲ http://tokyo2020.jp/en/plan/candidature/dl/tokyo2020_candidate_entire_1_enfr.pdf  ☆ 次のような語がそこここに出て来ていいのかなぁと。  ▲ 《 dreams / inspiration 》  ▲ Our bid slogan – Discover Tomorrow – / Le slogan de notre candidature – Découvrez demain –  ☆ こんなもんなんですかねぇ。  ▲ the spirit of exchange and friendship / l’esprit d’échange et de camaraderie  ☆ こんなもんなんですかねぇ。感覚としてよく分からなくなりました。  ▲ ~~~~   Tokyo is the world’s most forward-looking city – in business and fashion as well as innovation and technology : a city that helps to shape how the entire world lives.  / Tokyo est l’une des villes les plus avant-gardistes au monde – dans le domaine des affaires, de lamode, de l’innovation ou encore des technologies. C’est une ville qui contribue à définir la manière dont le monde entier évolue.  ~~~~~~~~  ☆ つまり  ▲ forward-looking city / ville avant-gardiste au monde  ▲ a city that helps to shape how the entire world lives / une ville qui contribue à définir la manière dont le monde entier évolue.  ☆ こういう規定もありですかねぇ。感覚がマヒして来ました。いくつかある都市のひとつだということゆえ 《世界をかたちづくる》と言っても 別に言い過ぎではないということですかね。  ▲ And it will contribute to more young people, worldwide, sharing the dreams, hopes and benefits of sport. / qui contribuera au renouveau et au renforcement des valeurs olympiques pour une nouvelle génération ;  ☆ to more → more to なのですかね。・・・

その他の回答 (44)

回答No.6

ヤバい。 また、NO5の回答でポカをやらかしてしまった(ポリポリ)。 フェルマーの最終手入りのリンク先は、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%AE%9A%E7%90%86 です。 NO5のリンク先は《岩澤理論》ですね。 ポカや誤字・脱字、日本語としての表現の誤りが多いのは、 眠り猫の習性だと思って、大目に見てください(ペコリ)。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ◇ 《岩澤理論》  ☆ これも 日本人の《思考》の成果なのですね。

回答No.5

こんにちはです。 日本人が考えることを好まないのは、《不安遺伝子》を持っているかもしれません。 不安遺伝子については、以下をご覧ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90 http://matome.naver.jp/odai/2136258422860419401 日本人は、《不安遺伝子》つまり《セレトニントランスポータ遺伝子のS型》をもつ人の割合が世界で一番高いとされています。 《不安遺伝子》をもつ人の特徴は、  (1)内省的  (2)不安・プレッシャー・孤独に弱い  (3)優越的な他者に支配されるのを好む などなど。 遺伝的形質からすると、 日本人は、基本的には内省型。なので、日本人は《うつ病》になりやすい。 自分をとことん追い込んじゃう、でも、不安や孤独に弱いから、ココロを傷つけてしまう、ココロが風邪をひいてしまう。。。 だから、 その予防として、トコトン、徹底的に考えることを放棄する、 という知恵が生まれたのかもしれません。 (3)なんか、 「寄らば大樹のかげ」 「長い物には巻かれろ」 などの諺(ことわざ)に顕著に現れていますよね~。 また、日本人の子育ての方法がこの傾向にさらに拍車をかけているかもしれません。。 親子三人、両親が子供を挟むように寝る、いわゆる、《川の字》睡眠。 母親は子供に絶えずベッタリ寄り添う。 両親、特に母親からの愛情をたっぷり受けるから、日本人はきめ細やかな《情緒》を有し、ずば抜けた《共感》能力をもつ。 これはいいことなのですけれど、諸刃の剣の側面を持っていて、他者の気持ち、立場を思いやり過ぎる傾向が出てくる。なので、《道理》や《我》が引っ込んじゃう。西洋的な意味での《自我》の発達が抑制される、《自我》の確立ができない。 遺伝・環境的要因の両面が揃っているので、 日本人は、自分や社会に関わることについて、徹底的に物事を考えることには、向いていないのかもしれませんね。 そのようなことをすると、心が破綻してしまうからです。 そして、これは オリジナルの人文科学・哲学・世界観の貧困 に結びつく。 日本発世界への経済思想・政治思想・哲学など、明治以来、ありはしない。 これは、このことを裏付けているのかもしれません。 なのですが、 数学とかは凄いですね~、日本人。 和算という、西洋の数学に遜色のない高度なものを独自に作り上げてしまった。 このことを、日本人はもっと誇りに思っていい!! 「どうだ、凄いだろう」と世界に胸をはっていい。 そして、日本の現代数学もです。 日本人数学者の業績(谷村・志村予想などなど)がなければ、 おそらく、未だに《フェルマーの最終定理》は証明されなかったはずなので。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%BE%A4%E7%90%86%E8%AB%96#.E5.B2.A9.E6.BE.A4.E4.B8.BB.E4.BA.88.E6.83.B3 日本人は、世界に向かって 「論理的に考えることができるのだ。オリジナリティー・独創性を有しているのだ」 と言っていいんですよ。 でも、多くの日本人は、このことを知らない!! なので、日本人は考えることはできるのです。 ただ、日本人は《孤独に弱いウサギさん》だから、自己を徹底的に追い込む哲学や神学などには向いていない。 ───これができた日本人は、歴史上、空海と親鸞くらいなものでしょう─── ウサギさんは、あんまり寂しいと、その寂しさのあまり、死んじゃいますから(笑)。 群れの仲間と一緒にいないと、《日本人ウサギさん》は、生きていけないんですよ。 ライオンや虎になれとは言いませんが、 日本人は《飼い猫》くらいには、ならないと、 ライオンや虎に頭からバリバリと食べられてしまうかもしれませんね。

bragelonne
質問者

お礼

 ねむりねこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ◇ 日本人が考えることを好まないのは、《不安遺伝子》を持っているかもしれません。    ▲ ( 不安は当然!? 日本人の多くが不安遺伝子を持っていた)~~~     ● 日本人に多い SS 型のセロトニントランスポーター遺伝子     多くの日本人は不安やストレスを感じやすいセロトニントランスポーター SS 型の遺伝子を持っていると言われている。  ▲ 多ければ多いほど“内向的で従順”な性格になる S 型、逆に“自主独立の性向が強く、社交的で活動的”な性格になる L 型が知られる  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ◇ ~~~~~~  日本人は、《不安遺伝子》つまり《セレトニントランスポータ遺伝子のS型》をもつ人の割合が世界で一番高いとされています。  《不安遺伝子》をもつ人の特徴は、  (1)内省的  (2)不安・プレッシャー・孤独に弱い  (3)優越的な他者に支配されるのを好む  などなど。  ~~~~~~~~~  ☆ ならば内省的にて むしろ《考える》ことを好み 人一倍考えるのではないかとも思われます。  ◇ ~~~~~  遺伝的形質からすると、  日本人は、基本的には内省型。なので、日本人は《うつ病》になりやすい。  自分をとことん追い込んじゃう、でも、不安や孤独に弱いから、ココロを傷つけてしまう、ココロが風邪をひいてしまう。。。  だから、  その予防として、トコトン、徹底的に考えることを放棄する、  という知恵が生まれたのかもしれません。  ~~~~~~~~  ☆ 羹に懲りてなますを吹くなのでしょうか? もともとは《考える人》であるということですね? 根は。  だったら少なくとも青少年のころには よく考えるということではないのでしょうか?  あるいはつまり  ◇ トコトン、徹底的に考える  ☆ と  ◇ 自分をとことん追いこんじゃう  ☆ とは限らないと思うのですが どうでしょう?  考えるなら 考えるよろこびを知るようになります。  その経験は別々にまたあらたに始めるようなものではなく 考えれば考えるだけ素養をつくりそれらが土壌となって残ります。その言わば宝は積み重ねて行けますし あたらしい問題に際しても考えるならすでに得て来ている成果とともに相乗効果を発揮することさえ出来ます。  ◇ ~~~~~  (3)〔優越的な他者に支配されるのを好む〕なんか、  「寄らば大樹のかげ」  「長い物には巻かれろ」  などの諺(ことわざ)に顕著に現れていますよね~。  ~~~~~~~~  ☆ いわゆる集団志向ないし集団主義の問題ですが だからと言って 考えることを打っちゃってしまっているとは限りません。別問題ではないでしょうか?  たとえ支配されるのを好むとしても 考えることを止めるわけでありません。支配にさからうことを考えたなら そのことは口外しないというだけのことだと思います。  もの言えば唇寒し秋の風は 言わないというのであって その言わないと決めたという内容は その前にじゅうぶんに考えているということを明かしています。考えようとしたことを明かしています。  ◇ 西洋的な意味での《自我》の発達が抑制される、《自我》の確立ができない。  ☆ こんなよきことは 世界どこを探してもあまりないのではないですか? あとは考えることを放棄せずに つねにおこない しかもその内容を活かすようにするなら 《わたし》の確立はじゅうぶんのぞましく また実現しうるのではないでしょうか。    情感の共同性なる土壌の上に 《人としての自己形成》がじゅうぶんに出来るはずです。あるいはすでに出来ているはずです。ただ 奥ゆかしく・はにかみやで 他人には見せないだけではないでしょうか? 一般のクウキにしたがって出しゃばらないだけなのではないでしょうか。  ◇ ~~~~~  遺伝・環境的要因の両面が揃っているので、  日本人は、自分や社会に関わることについて、徹底的に物事を考えることには、向いていないのかもしれませんね。  そのようなことをすると、心が破綻してしまうからです。  ~~~~~~  ☆ この意味が分かりません。考えることをなすと 心によくないことが起こるという見方が分かりません。  わづかにそれを おおやけの場であからさまに言ってしまうことには 躊躇するところがある。というに過ぎないのではありませんか?  精神が旋回するようにして 知識にもとづき思考をおこなうこと この《考える》ことに 何か《ものには限度というものがある》ということわざは通用しないと思うのですが。  ◇ ~~~~~  そして、これは  オリジナルの人文科学・哲学・世界観の貧困  に結びつく。  日本発世界への経済思想・政治思想・哲学など、明治以来、ありはしない。  これは、このことを裏付けているのかもしれません。  なのですが、  数学とかは凄いですね~、日本人。  和算という、西洋の数学に遜色のない高度なものを独自に作り上げてしまった。  このことを、日本人はもっと誇りに思っていい!!  「どうだ、凄いだろう」と世界に胸をはっていい。  そして、日本の現代数学もです。   ~~~~~~~  ☆ ということは お上の意向に沿わないような結論の出る思考は おこなわない。または おこなっても門外不出とする。――というだけのことではないですか?    ◇ ~~~~  日本人数学者の業績(谷村・志村予想などなど)がなければ、  おそらく、未だに《フェルマーの最終定理》は証明されなかったはずなので。  ~~~~~~  ▲ このラマヌジャン予想→谷山・志村予想→ラングランズ予想→超ラングランズ予想という一連の流れ(ゼータの統一)は数論の中心的テーマの1つとなっている。  ◇ ~~~~  なので、日本人は考えることはできるのです。  ただ、日本人は《孤独に弱いウサギさん》だから、自己を徹底的に追い込む哲学や神学などには向いていない。  ~~~~~~  ☆ ただただ 上から《和を以って貴しと為せ》という遺伝子が 考えることから遠ざかりそれを放棄するように作用している に過ぎないのではないですか? 幽霊の正体見たり枯れ尾花 なのではないですか?  ただただそれゆえに理数系とそれ以外というふうに《考える》を使い分けする習性がついた。だけなのではないでしょうか。  《孤独に弱い》などというのは おそらく逆ではないでしょうか? ほかの国の人たちのほうがもっと弱いのでは?  というのも 外国の人たちは おもにただただ頭の中に大きな観念を作り上げておいて その《非孤独・非不安遺伝子》のおかげで 何とかやり過ごしているだけなのだと考えられます。  日本人は もろに孤独地獄に しかもむろん一人っきりで いどみつつ おのが人生をかたちづくって来ている。のではないでしょうか。情感の共同性は 土壌であって 幹を成し花や実を成らせるのは やはりおのれ一人のチカラないし実存なのですから。

noname#195588
noname#195588
回答No.3

個人的な仏教の研究も停滞しているので しばらく仏教の話題を止めようとは思っているところですが 日本の仏教に要望といえば 日本語で書かれたサンスクリットの辞書が無いのはどうしてなの? 一応あることはあるけど、古いし値段が高いし入手に苦労するし。 サンスクリットの経典も簡単に書店で入手できるようにしてよ、と。 ローマナイズもしてね。 なんで英語で調べないといけないの? それに漢訳と対応させれば訳したと思っている傾向があって、 現代の日本語にしてくれ、と思う。 まあ、それだけ何はともあれ、漢文である必要があるんだろうけど。 仏教について、何にも知らなかった頃は 鈴木大拙の「禅とは何か」なんかをそれこそ読んで すっかり内容なんか忘れていたけど、なんだかんだ影響はあるのかもしれない。 そもそも英語で説明された仏教なんて発想は 鈴木大拙の影響だし。 読んでなかったら私もずっと漢文ばかり調べていたかもしれない。 でも禅は結局、坐禅をしないとわからないとかいって 議論を避けるから、悪く言うと逃げ口上があるから だんだん関心が無くなった。 あとは某テーラワーダの長老の毒舌ぶりとか あれで意地でも仏教なんか否定してやると思ったし。 まあ、それだけ影響は受けたのかも。 それから自分も反省しないといけないんだけど あまりに中村元の本を引用したりしたということ。 中村元が書いていれば絶対なのかよ?というね。 だって、調べようが無いんだもん。 という致命的なことはわかった。 だから原文を手に入れる必要もあった。 それで辞書の問題もでてきた。基本的に パーリ語の辞書は英語ばっかり。 やっぱり仏教は英語なんだろうか、と。 でも、なんかどこかで思想を統制されている感じはしないでもない。 仏教学者の本とか僧侶の本とか宗教学者の本とか 読んでもかえって遠回りしたかもしれない。 最近は、どういう本を読めばいいのか困っている。

bragelonne
質問者

お礼

 かざみどり365さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  原典資料と辞書と。  ★ ~~~  それに漢訳と対応させれば訳したと思っている傾向があって、  現代の日本語にしてくれ、と思う。  ~~~~~  ☆ これは案外おおきいと思いますね。従来の研究との照らし合わせには 漢文も必要なんでしょうけれど。    ★ 中村元が書いていれば絶対なのかよ?というね。 / だって、調べようが無いんだもん。  ☆ わたしの経験を勝手に言えば 中村元(その全著作)をたたき台にしました。ひとりの人の研究にしぼったほうがよいという考えです。そのあとでほかの研究書を読む。  それは 日本語学では 大野晋一本を基本としましたし 万葉集では 中西進。  日本古代史の文献学では 上田正昭。考古学では 森浩一。神話学(民族学)では 大林大良(および 馬淵東一)。  印欧比較言語学では 高津春繁(およびその弟子の風間喜代三)。・・・  というふうに決めてたたき台としました。(まぁ ぜんぶ請け売りになる場合もあるのですが)。  その道のりで 自分の考えが芽生えて来るとよいでしょうね。  あるいはまた 主題を――あとで別のものへ移ってもよいのですから――きちんと決めるということも あんがい集中力がつくものと思います。(これこれこんなテーマは どうでもよいと思ったら そこそこに済ますということがあります)。  友だちの物書きが 玄侑宗久の本がいいと言うので読んでみたら なるほどその本は 辻褄が合っていた。ならもう一冊と思ってわざわざ買って読んだら わが目をうたがいました。めちゃめちゃだという判定をしました。よくもこんな内容が売れているのかと。  ★ でも、なんかどこかで思想を統制されている感じはしないでもない。  ☆ こういう感覚は初めて聞きました。そうかも知れないし。・・・  何かのヰルスがばら撒かれているのかも分かりません。

回答No.2

>あほばかヰルスが ひょっとしたら ばら撒かれているのだろうか?  え、知らなかったんですか。もう、抗体を提供しているんじゃなかったのですか。  IDSCに問い合わせたら、このヰルスは名古屋から広がり豊橋、和歌山で新たな感染者が見つかったので、案の定、感染源の特定にやっきになっていました。  早急に名乗り出なさい。

bragelonne
質問者

お礼

 うきよとんぼさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ってなことを言っている場合ぢゃないってことですか。  ★ IDSC  ○ 国立感染症研究所 NIID( National Institute of Infectious Deseases )所属の   感染症疫学センター IDSC ( Infectious Desease Surveillance Center )    ですか。  ★ ・・・案の定、感染源の特定にやっきになっていました。 / 早急に名乗り出なさい。  ☆ なるほど。ホームページの《最新情報》にも まだ掲載されていません。  すでに感染者が見つかっているのに  ★ 感染源  ☆ が特定されていないのですか。困りましたね。  けれども《感染源》と《ばら撒いた張本人》とは同じですか? どうでしょう。  どのように分析・検証し特定しますか?

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