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英語と映画研究に詳しい方、お願いします!
英語と映画研究に詳しい方、お願いします!急ぎで困ってます! 下にあるのは大学の購読で、使う資料の一部です。自分の英語ではぜんぜん理解するどころか、訳せもしません。情けないですが、どなたか、これに書かれている概要を教えていただけないでしょうか。 英語の力がなくても書かれている内容がすごく気になります。 どなたかよろしくお願いします。 While there seems a great deal of emphasis on the "immersive", tactile and "haptic" properties of virtual reality, i.e. the body-based nature of the experience, the bodily sensations are distinct from pictorial illusionism, just as visualization in this sense refers to the use of images or pictorial signs as a symbolic language, in order to render visible a set of abstract data or processes: what we "see " is information translated into a (conventionalized) language of vision, not something that is in any sense really "out there". It is as if several different perceptual and cognitive systems were deployed together, to render the "effect" of virtual reality. Instead of making up one continuous "field", these reality effects are a composite, which in its amalgamated and fused discontinuity either leaves one cold and distanced or sucks one into a fascinated self-oblivion and immersive self-presence.
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- SPS700
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バーチャルリアリティーの「浸透」、接触、「触覚」的性格、すなわち経験の身体に基礎を置く性格が重視されているが、抽象的なデータ、あるいは過程を、目に見える形にするための、象徴言語としてイメージや画像を使うという意味での視覚化のように、身体の感覚とは異なる。 我々が「見る」のは、実際に「そこに在る」ものではなく、(慣習化された)視覚の言語に翻訳された情報である。 ちょうどそれはバーチャルリアリティーの「効果」を出すために、数個の知覚組織と認識組織が同時に使われているようなものだ。 一個の連続的「分野」を作るのではなく、これらの現実効果は合成物で、その合併し融合した不連続性が、人を不感にし遠ざける場合もあれば、自分自身を忘れ、自分の所在に浸る状態に吸い込む場合もある。 (概要は、バーチャルリアリティー(VRと略します)とは、の説明です。でほんとには無いものが本当にあるように感じさせるVRは、抽象的で見えないものを可視画像にする慣習と同じだ、ということです)