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「禅」って何ですか?

「禅」って何のことですか? 外国にいて、たまに外国人に「ボク『禅』が好きなんだよ~」と話をふられます。 わたしが日本人だからいってるのでしょうか? 座禅の話ではないですよね? 老荘思想と関係していますか? 関係性もよくわかりません。 "Zen" は、好きな人の間ではけっこう流行ってるみたいです。 Zen House などというシェアハウスもチラホラあるようです。 なんかステキな感じの家の写真でした。どことなく和風というか。 でも高い! 高収入者の趣味なのでしょうか・・ お手数ですが、「禅」って何なのか、 基本のとこを バカでもわかるように、やわらかくお願いします。

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noname#181644
noname#181644
回答No.5

外の物事に対して心の動揺が静まっていること、だったように記憶しています。 ですから、座って目をつむることが禅と言うわけではなく、禅は心の状態を表す語句と思われます。 ヨーロッパでは、ライフスタイルの一環のように思われている節があるようです。 日本で言うロハス?みたいに。原義を理解するのは難しいかもしれないですね。

kanakyu-
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、心の動揺が静まっていること、と聞けばわかりやすいです。 いろいろな解釈や意味があるのですねきっと。 日本のロハスと聞けばわかりやすいです。日本を出る前にちょうど流行っていました。スローライフみたいな感じですよね。 たしかにライフスタイル的な要素が強いみたいです。 Zen Houseは高く、お金のある人の道楽っぽくも見えました。 シンプルで質素なわけではなく、演出された雰囲気がある感じです。

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  • mibuna
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回答No.9

仏教で悟りにいたる方法で「戒定慧(かいじょうえ)」って 三つあるんですよ。 戒律・禅定・知恵のことで「禅」は悟りにいたる瞑想と思えばいいです。 (これ以上簡単に説明するのは難しい)

kanakyu-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なんとなくちょっと分かった気がします。 インドにも、悟りに至るために同じようないくつかの道があったと思います。 そういう道の1つなんですね。

noname#181697
noname#181697
回答No.8

思いっきり意訳すると「素材の持ち味を活かす」のが禅という事になると思います。日本料理は茶の湯の影響を強く受けていますし、茶の湯は侘び寂び、簡素、枯淡の文化であり、これは禅の世界観に通じるものがあります。 西洋文化を盛り込みによる足し算の美学とするなら、禅とは即ち、引き算の美学です。 恐らく、余計なものをとっぱらう事によって本来の持ち味を活かし、移ろいゆく時の中にも美を見出すという手法が、外人さんには新しいものに見えるのでしょう。「simple」と「zen」には共通点もあるけど、根底にある思想が違いますからね。 一応、坐禅修養や老荘思想も引き算の美学ですけど、とりあえず今回の話とは関係ないかな。

kanakyu-
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「素材の持ち味をいかす」はいい考えですね。わたしも好きです。 なんとなく、わかったような気がします。 なるほど、外国人さんには物珍しいのですね。 思ったのですが、西洋では環境を自分に合うように作り替えるようなところがありますね。 洋服でも体に合う形につくるし、フォークやスプーンも使いやすいし、暑ければクーラーを入れる。 日本では、作り替えの効く構造のキモノとか、簡素な作りの箸とか、 障子や畳なんかも、自然な感じで助けてくれますね 自分の方をある程度変えることをよしとしているような気がします。 生き方の中に、自然との調和があるような。 それは関係あるのか分かりませんが、なんか好きだなあと思いました。 今日は日本をしのんで、ゴザを買って参りました。 いいにおいです。

  • ri-zyu
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回答No.7

主観の「在る」と「ありたし」という二つのものがとかく矛盾衝突して、不安や苦が生ずる。 主観の内外界に対する態度が一定しないとき精神的不満が起こり、心が不安定になる。 (主観が確定して)内外の境界に臨み一定すること。

kanakyu-
質問者

お礼

ありがとうございます。 おおっ 意外にわかりやすい気がします。 好きになれそうな考え方です。

回答No.6

#1です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A リンクがおかしかったですね。各宗派で禅を用いて祈ったりするのですが、 「禅定」とは手段であって目的ではない。何故ならば、禅定とは意識を落ち着けて 思索とあるが、人の心ほど移ろいやすく不安定なものはない。西洋哲学ですら、 意識のさらに深層に自我があると説いている。仏教で言えば末那識と言っていい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98 #2の意見を極端に言えば、考える脳がないんだから少しは落ち着いて考えろという 動物に対する調教みたいなものです。また、座禅を極めた姿がダルマなのですが、 周囲の環境によって転がり続ける状態は、宗教の求める「幸福」という状態から程遠い。 以上の点から、禅とは宗教ではないのです。宗教法人として存在しているが、 理屈、理論においても宗教として独り立ちできるほどではない。格闘技でも 練習の最後に瞑想をする事がある。所詮はそんなもんで、無知な西洋人には目新しい と感じる事があるかもしれない。だから、敢えて言います。そんなもんなのです。

kanakyu-
質問者

お礼

わざわざありがとうございます。 今の私には理解できませんが、心に留めておきたいと思います。 宗教とはびみょうに違う感じなのですね。 それをお聞きして思い出したのですが、日本人の礼儀正しさや謙虚さなども、 外国から見たら宗教のような不思議な存在です。 宗教という枠の中に入らない、そういう微妙な存在は きっといろいろあるのですね。

noname#180442
noname#180442
回答No.4

 説明できる人が、羨ましいです。好き嫌いのレベルなら、やはり鈴木大拙さんとかの本一冊読んで自分の言葉で語るべき。

kanakyu-
質問者

お礼

書き込みありがとうございます。 鈴木大拙さんという方が本を書いて外国に紹介しておられるのですね。いま検索して知りました。 西洋に伝わっているのはきっとその教えなのですね。 ご出身地の金沢市に住んだこともありますが存じませんでした。

回答No.3

禅とは、お釈迦の教えを『身体で再現するものです。』仏典や聖典は沢山在りますが、頭の中で得た知識は『机上の空論』と同じで本当の意味では『役に立ちません。』 本当に役に立つと言う意味は、身体で『生死の問題を解決する。』と言うほどの意味です。例えて言うなら、剣豪が相対して刀で『命のやり取りなどをする場合に於いて』身体も心も『生や死』に囚われる事なしに、相手の剣の動きに対応する事を意味します。 『心が何ものにも囚われないで、自由に流れている。』と言うほどの意味です。 聖典や仏典を如何に暗記していようが、何も役に立たないと言う意味です。宗教学の権威と言う人が如何に学問や知識を振回したところで『自分自身の死に対しては無力』と言う意味です、何故ならば『自分自身の生死の問題の解決が出来ていない』と言う意味になるからです。 こういった禅での『心の鍛錬』の為に、プロのゴルファーが禅を学ぶと言う場合もあるようですが、その理由が『自由な、流れる心』を体得するためです。 優勝が掛かった『一打』を打つ時、脳裏に少しでも『優勝が、ちらついた場合では、身体も心も乱れる場合があるからです。』 命のやり取りをする剣豪と、優勝争いをするゴルファーの場合も『同じ心の圧迫を受けている事を意味します。』オリンピックの場合なども同じです。 上がり症の場合でも対人恐怖症の場合も同じです。もっと広い意味では自律神経失調症や過敏性腸症候群なども同じです。他には『心を病む場合も同じです。』 心を病む場合では『湧き上る自分の感情』を意識して問題にする場合と、『湧き上る自分の考え』を意識して問題にする場合と言う違いはあるにせよです。 今書いた事は全て『意識する』と言う問題については同じです。人間の意識性の問題を、お釈迦様は解いて見せたのです。この解き方が禅の中に在る事が、世界中で禅は精神衛生には良い、とされている理由です。 人間の意識性が人間の障害になったり、或いは見せかけの人生を真実の人生と思い込む事がある場合では、『何か本当の人生があるのではないだろうか?』と言った疑問が脳裏によぎる事もあります。 こういった人生そのものに対する向き合い方も、禅は答える事が出来るようです。 禅を科学的に、簡単に説明します、ただ是は机上の空論と同じですので、貴方が自分自身で『体得する時』私の書いた事がぴたりと分かる筈ですので、分からなくとも読み進めて置いてください。 人間の心の仕組みからです。脳科学で説明します。人間の脳の基本構造です。ウイキペデアからです。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 この場合の左脳に存在する意識が『顕在意識である、自我意識です。』右脳の人格は、無意識の中に封印された形で『意識の根底に』存在しています。 この本来の姿を、脳卒中の為に、返って良く体験出来た脳科学者が、奇跡的に生還して、その時の事を語っている動画を紹介します。 『脳卒中、ジル、ボルト、テイラー博士』と検索をしてみて下さい、動画が出てくる筈です。 この体験こそ『生死の問題が解決する瞬間です。』自分の命がなくなってゆく体験の中で『全てを諦める瞬間』を語っています。 お釈迦が『我を去れ』という意味がここにあります。我を捨て去った時『右脳の意識=仏性』が出て来て、全ての問題を解決してくれます。この体験が『見性体験』です。 感情や考えを湧き上がらせていた意識(人格=機能)が、自我意識の前に姿を現す時です。この体験以後、『自分の心は自分の心と争う事が無くなります。』 自分の心が自分の心と争う時『意識地獄に落ちています。』この正確な意味は『出番争いをしている』という意味です。 脳梁の中で、自分は知らないとしても、二つの意識は対話をしています。そうして出番を決めています。 この出番争いに『自我が勝った時』意識地獄は始まっています。心に掛かる『得体の知れない違和感や圧迫感は』無意識からの交替要請です。 心を病む場合も神経症で苦しい思いをする場合も自律神経失調症などで辛い体験をする場合も『出番争いに勝った事』を意味します。ですが本当は『無意識の自分に任せておく事がベターだったのです。』 見性体験以後出番争いをする必要がなくなるために『心の中は、飽くまでも青空のように澄み切った静寂に包まれます。』この境涯を『涅槃』とお釈迦様は教えています。 全ての障害と思っていた事が完治する時です。 この出番争いをしなくなった状態を、聖書では『神と和解して、神の僕となる。』と表現しています。 見性する前までは『神に逆らってばかりいて、神を認める事が無かった』という意味です。 どの道『脳の機能の違いを知らないでいたことを意味します。』 禅問答が難解と思われる意味は、左脳の自我意識では解けない問題という意味です。是は脳の機能に由来しています。如何しても『左脳の意識、自我意識では解けなかった事』を了解した時、右脳の意識『仏性』が出て来て問題を一瞬のうちに解いてくれます。 禅問答は、左脳の分別脳の機能では、解く事が出来ないように仕組まれています。 従って、一つでも徹底して禅問答が解けた時、自分自身を知る事を意味します。

kanakyu-
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 難しくて私にはよくわかりませんでしたが、 自我ではないレベルで生きるような感じ?なんですね。 なるほど、どうりでライフスタイル的だという印象も受けるはずです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

禅は仏教です。 それも大乗仏教の一種です。 中国では流行らず、日本で流行り、日本から 世界に流行りました。 日本で流行ったのは、鎌倉幕府が積極的に 取り入れたからです。 どうして取り入れたか、というと、武士の 秩序を維持するため、武士に適合した仏教 として禅を導入したのです。 武士、というのは戦闘の専門家で、非常に荒っぽい 訳です。 だから、武士に秩序を守らせる必要があるわけです。 しかし、武士は無学が多く、難しい教義は理解でき ませんし、しようともしません。 だから、簡単で肉体面を重視する禅を取り入れたのです。 禅は、こういう宗教ですので、教義がどうのこうのと 七面倒くさいことはあまり言いません。 まずは実践です。 黙って座っていろ。 そうやって長時間経てばやがて無念無想になる。 禅は理屈ではない、直感だ。 あるとき、不意に悟ることが出来る。 理屈ではないから、悟りの内容を言葉にすることは 出来ない。 禅をやっていると、恍惚状態になるそうで、これが悟りだ という人もいますが、心理学者に言わせると、アドレナリン が出ただけだ、ということです。 何しろ、荒々しく虚飾を嫌う武士に適合した仏教だ ということです。

kanakyu-
質問者

お礼

おおっ 回答ありがとうございます。 まずは一番分からなかった所が、スッキリ解決できました。仏教の一種なんですね。 やっぱり私が日本人だから言っていたのですね、話についてきてほしそうな雰囲気だったので。 何にも知らず恥ずかしく思います。

回答No.1

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/禅定 まあ、落ち着いて思索を重ねると考えていいんじゃないかな。

kanakyu-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まだ混乱しているのですが、「禅」とは思想や宗教にあたるのでしょうか? それともライフスタイルとか修行みたいなことですか? 日本では、どのような場所で行われているのですか? お寺ですか? まったくの個人ですか? お寺では座禅ならあるのは知っています。 こちらでZen Houseというのが流行っているみたいなので ライフスタイル的な思想? なのかなという印象を受けました。 西洋では違った受け入れられ方をしているんでしょうか。