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武士と石高
よく、1,000石の御家人とか言いますが、 1,000石とは具体的には何を持っていたのでしょうか。
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- shin1417
- ベストアンサー率27% (199/721)
超簡単に言えば、1000石とは給料の額のことですよ。 基本的な事を言えば、 昔の侍は給料をお米で貰っていたのです。(もちろん、貰った後で現金に換金しますが) 1石というのは成人男性が1年間で食べる米の量とされ、1石=米俵2.5俵(150kg)。 石高が高いという事は給料が高いという事、それだけ重要な地位にいる、つまり偉いって事になります。 八丁堀の旦那(町奉行所の八丁堀同心)で約16石相当。 同心の上役の町奉行所の与力で200石。 町奉行で3000石、火付け盗賊改めの鬼平は1500石。 1万石以上になると大名になります。 ちなみに御家人は下層階級の侍なので1000石は有り得ません。 御家人はせいぜい数十石から最大でも200石ぐらいです。 1000石ともなると御家人の上の「旗本」になります。 ちょっと、これから話が複雑になります。 先に給料を米で貰うと書きましたが、実はこれは500石未満の侍の場合。 500石以上になりますと、知行取りと言って500石以上の米が収穫できる『土地(領地)』を与えられるのです。 ちなみに米で給料を貰う侍の事は、蔵米取りと言います。 つまり、侍は下っ端は給料を米で貰い、ある程度偉くなると、その米の量が収穫できる領地を与えられるのです。 長くなりましたが、質問の、 >1,000石とは具体的には何を持っていたのでしょうか。 の回答としては、 1000石の米が取れる領地を持っている(幕府から与えられている)という事になります。 ただし、与えられるのは土地だけでは無く、米を作る「領民もセットで付いてきます」ので、1000石の収穫がそのまま全部侍の物になる訳ではありません。領民と領主の間で5:5か4:6の割合で山分けするのが多かったようです。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1961/11742)
石高とはその国で米の取れる取れ高 ちなみに1石は米俵100俵です て事は100万石の加賀前田家は…凄いことになりそうですね ちなみに 9999石までは旗本 10000石で大名という扱いでした
お礼
ありがとうございます。
- midorinoneko
- ベストアンサー率36% (9/25)
一般に「千石取りの侍」と言われる場合、主君の領地のうちの1000石の米が取れる土地の支配権(より正確に言えば管理権)を与えられた侍ということです。 こういう土地の支配権(管理権)を与えられた侍を「知行持ち」とか「知行取り」と呼びます。 将軍の直臣の場合、与えられた土地が1万石以上になると「大名」と呼ばれ「知行取り」とは言われなくなります(大名家の家臣が一万石以上の知行を与えられたの場合は「大名」とは呼ばれず「知行取り」のままですが、特に「万石取り」と呼ばれ、中には大名の家臣には普通は許されない将軍との面会の「お目見え」が許される者もいました)。 具体的に収入となる支配権の中身は何かと言うと、年貢・公事(年貢以外の雑税)・課役(労働課役)の課税権です。 知行取りは、これらの税率を自由に決める事ができ、支出が多い年などは多めに課税する事も可能な弾力的なものだったわけです。 ただ、「自由」といってもあまりに過酷な税率だと「治政よろしからず」という理由で知行地を取り上げられてしまいましたから、あまりにひどい課税をする事は少なく、江戸時代の年貢課税率は「四公六民」が一般的でした。 ですので、1000石取りといっても、米の実収入は課税分の400石であったわけです。 江戸時代は,飢饉時と幕末期を除いて米の値段が余り変動せず、おおむね1石=1両でしたので、1000石取りの侍の年貢収入は年収400両であったという事です。 ただし、知行取りは土地の管理に責任を持たされていましたので、知行地で橋をかけたり堤防を作ったりしなければいけない時などは支出をせねばならない事も有り、ただ収入が得られる一方と言うわけではありませんでした。
お礼
ありがとうございます。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1973/9604)
pinedeltaさん、こんばんわ。 知行高1000石もあると絶対将軍に対してお目見えできるので、旗本です。御家人ではないはずです。おそらく書院番や新御番に入れる両番の家格になると思いますから、上の方です。権限は大名と同じく自分の所領である知行所に対する行政権・司法権を行使するほか、徴税権も行使しました。表高1000石だとたぶん税率は4公6民で400石だと思います。ただ、新田・新畑がある場合は表高のほかにあることになりますから実収ももっと上がるはずです。おそらく主で自由に取決めできたはずですが、たぶん庄屋や大庄屋との相談で決めたはずです。1000石くらいだと代官を置かないで、在地代官や大庄屋に代行統治させたり、村々に分かれていると、その村の庄屋に代官の職務を代行させることが多かったようです。他におそらく奉公人も出させていたと思います。 詳しくはこのURLを参照ください。 旗本http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E6%9C%AC 御家人http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%AE%B6%E4%BA%BA
お礼
ありがとうございます。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (817/3047)
蔵米取りと知行取りのケースがあるので、具体的に何をもっていたかは蔵米取りか知行取りかわからないとだめです。 知行取りの場合は米1000石分の地域の支配権です。 支配権なので5公5民で500石の年貢を取っていいし(基本的には税率は自由です)、農民を労役に使役したり特産品に税をかけることもできます。 ただし過酷な事をして一揆がおきたりしたらお家断絶の可能性もあります。 また支配するとなると実際にはいろいろ経費がかかりますし、江戸と知行地を往復するにも費用がかかりますね。 蔵米取りの場合は、土地は幕府が管理し石高分の利益を米で直接支給する制度です。 1000石の御家人の場合、1000石の土地から得られる収入、350石の米を直接支給することになります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%B1%B3
お礼
ありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
領地でとれるお米の量です。 もっとも千石といっても、隠し田などがあります から、それよりも多いこともあります。 5公5民なら、その半分の五百石が領主の取り分 ということになります。 現代のお金にすると5百万円ぐらい、と言われて いますが、実際はもっと使いでがあったと 思われます。 尚、千石をもらっている御家人というのは 存在しません。 千石もらっていれば旗本です。 それも高級旗本になります。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。