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靖国参拝は悪という考えに対する反論
「 靖国は多くの日本人を軍部の暴走によって死に追いやった一連の戦争を賛美する主張を掲げている遊就館を併設している。 すなわち、靖国参拝は遊就館の主張を追認する行為である。 戦死者を弔うのが目的なら、遊就館のような主張をしない、国立墓地をつくって、そこで死者を弔うべきだ。 」 というような主張に、どういう反論があるでしょうか? 私は靖国参拝については、是非を決めかねています。
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まず、靖国については、日本国内の問題であって、中韓に批判される言われは全くない、ということだけは確かです。 で、日本国内問題と考えたときには、個人的には、とくに現在の日本の政治家が、負ける戦争を始めるという大失政をおかして、まさに日本人200万人を死に追いやった、東條をはじめとする過去の糞政治家をあがめる施設に参るというのはどうなのかとは思います。 一方で、当然ながら、それらの糞政治家どもの間違った(=日本の国益を大きく害した)政策にしたがって、国に命を捧げた将兵たちに同じ政治家として謝罪の気持ちで参るということは必要でしょう。 今の靖国は、たとえるなら、原発事故の被害者と、菅さんや、東電の勝俣会長なんかが、同じ施設で祭られていて、そこを、未来の東電の社長が、事故を起こした当事者である過去の東電の社長と、原発事故の被害者とを、同列にして参拝している、というおかしな施設であるとは思います。
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- あずき なな(@azuki-7)
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戦争がなければ今の先進国(自称ね)日本は無かったと思います とだけ言っておきます
- suicyo
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えっ、国立祈念施設ではなくて国立墓地ですか??? その国立墓地とやらには誰が葬られるのでしょうか。 これから日本が行う予定の戦争で戦死することになる兵士の為に、墓地をあらかじめ用意しておくっていうこと??? それとも、全国に散在する戦死者の墓を改葬して一か所に集めるということですか? ばかばかしい。 国立祈念施設、ということであれば、まだ理解できますが、それでも英霊の遺族は引き続き靖国に参拝して、国立祈念施設の方は国が儀式でもして招待状でも送らない限り誰も行かないでしょうね。 前の方々も書かれておりますが、蛇足です。 靖国批判は反対のための反対です。何をしたって難癖を付けてきます。 遊就館がなくても、A級戦犯の合祀がなくても、靖国そのものが無くなっても、次は公的な追悼・祈念行事などが批判の対象となるでしょうね。何せ反対者の歴史観は、日本は悪の権化の「戦犯国」であり、日本に許されたことは唯一、謝罪し続けることだけなのですから。 以前、韓国のどこかの新聞社の日本語版ホームページで、広島平和記念資料館のことが「日本の被害だけを強調し、加害責任を隠蔽した醜悪な施設」のようにコメントされていました。もともと広島原爆の資料館なので、原爆被害に特化した展示となるのは当然という常識的な判断は、反日に凝り固まった韓国人には難しいようです。アメリカでも原爆被害の展示会は開催が妨害されていますね。 遊就館も程度の差はあれ、同じことではないでしょうか。靖国の英霊は、侵略戦争をしているという自覚などなかったでしょう。私は軍国主義の賛美をする意志はありませんが、英霊の眠る靖国に英霊の生存時の精神構造?=「大東亜聖戦」を再現するような展示をすることを不適切だとは思いません。靖国という空間に限っては、そういうもので良いのです。靖国が気にいらない人は、靖国に立ち入らなければ良いだけの話です。私は50年の生涯で靖国参拝を強制されたことも推奨されたこともありません。先日の政府見解にもありましたが、個々人の心の問題なのです。
- jaham
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質問者は純真無垢です 国際社会では(でなくても) 純真無垢では身ぐるみ剥がれ奴隷に売られてしまいます 少しでもイチャモンを付けられることは最大限に利用するのが常套手段です そこに 論理的な思考や 他人を思いやる心など全くありません 無理難題でも 相手が反論しなければ 通ってしまいます 相手側のごく一部にでもそれに迎合するような者が居ればそれも最大限に利用しようとします テロリストや 騙し討ちするような者を英雄視するような 国・国民が何をたわごとを言っているかと一蹴すればよいだけのことです
- lions-123
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>靖国参拝は悪という考えに対する反論 すなわち、靖国参拝は遊就館の主張を追認する行為である。 戦死者を弔うのが目的なら、遊就館のような主張をしない、国立墓地をつくって、そこで死者を弔うべきだ。 というような主張に、どういう反論があるでしょうか? ↓ 我が国は八百万の神を崇め祀り、死者に対する尊崇の念を表すには、全国各地でそれぞれの宗教や宗派に基づき、また分骨され様々な信教に基づく慰霊が為されている。 それは、靖国神社に限らず千鳥ヶ淵の戦没者墓苑(無名戦士の墓)や各地の護国神社・有志や由縁者による慰霊塔並びに各自の墳墓等が有る。 さらに言えば、靖国神社は身分の別なく遺骨も無く、国家に命を捧げられた方々、戦禍に犠牲になった方々の御霊をお慰めする為に霊璽簿が奉納されているだけである。 参拝する自由も参拝しない自由もあるし、まして死生観に関わる事柄を戦争賛美とか軍国主義と結び付けたり、中韓の国内不満のガス抜きや反日教育の副作用に伴う外交問題や内政干渉をされるものではないと思います。 ※靖国神社への私の思い<既投稿> 先入観なしに素直に考えて、色んな意味で全国各地にある護国神社の中の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。 そこに、遺骨は無くとも、 多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。 そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と共に子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。 外国の偏見や謂われなき内政干渉に追随したり、顔色をうかがう対応に情けなく悲しい思いがするとともに、逆に徒に靖国神社を政治利用するかのパフォーマンスの目立つ参拝は静かに眠る御霊も迷惑だろうし、遺族&関係者にとっても困惑するばかりでは・・・ <私見> 「靖国神社」を思想信条・歴史観は例え異なっていても政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない! まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍事化の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し追随したり冒涜するような戦犯や軍属の巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊・遺族に対し、後世を託され戸尾問犠牲の上の平和繁栄を享受する私達にとっては誠に申し訳なく恥ずかしい限りである。 街宣車で大音響で軍歌を流し、旭日旗で行進している似非右翼には全く賛同共感しません。 それは死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしく悲しい心根だと思います。 私達には参拝する自由も、参拝しない自由もあり、靖国神社を御霊をどのように見るかは、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観や死生観にも繋がる心の問題でありアイデンティティの範囲かもしれないが、他国や特定の政治団体・マスコミ等から参拝の自由&不参拝を束縛・強制・干渉される事では決してないと思います お祀りされているのは靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。 戊辰戦争:3,588柱以降 その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。 安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。 シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に犠牲となられ身を捧げられた方々である。 このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。 そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。 明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。 そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。 その神・仏と成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別等にかかわりなく等しく祀られているのです。 個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。 その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。 そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。 誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、平和と繁栄の礎となり犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか? それを天皇陛下はじめ皇族も政治家も私たちも誰憚る事なく、1年365日、朝に夕に自由意思で参拝するも通りすがりに手を合わすのも個人の自由であると思うのです。 国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・自主性無き無責任な発言だと思う。 非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。 それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊にまで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。 あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに、自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。 ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>静かに手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、近くを通る折に手を合わせ心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。 私は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、慰霊の心、感謝と責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社だけでなく千鳥ヶ淵にも護国神社にも参りたいと思います。
- Epsilon03
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国会議員や地方議員の身分を持つ者の靖国参拝には反対します。 理由は『政教分離の原則』に基づく物であり、戦争を賛美するとかは解りませんが、靖国神社は宗教法人です。 従って、戦没者を祀る事に関しては問いませんが、公人として戦没者を敬うのであれば靖国神社とは無関係のそれ相応の施設を作るべきでしょう。 そうなれば、外国の要人も何の制約も無く彼らを追悼も出来る。 話は飛びますが、閣僚や国会議員の靖国参拝に必ず叫き出す中国と韓国ですが、これは土足で内政干渉をしている物です。 靖国問題はあくまでも国内の問題であって、中国や韓国は関係の無い事です。 奴らが叫くのは政治利用であって、それを武器に日本へ何でもかんでも譲歩を迫る道具にしているだけです。 A級戦犯が合祀されているからと屁理屈をも言いますが、A級戦犯と言う明確な定義はありません。 単に便宜上使っているだけです。 質問主さんが公人と言う身分でなければ、何ら遠慮する必用は無いです。
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